カテゴリ:野垂れ死に的生活行為
業界の鼻つまみ者、突然、来客からそう告げられて、コロナ問題で時の人であったI教授の人となりについて、そういう事を存じ上げなかったものだから驚いた。しかし、よく考えてみるとその来客も不用意であったと言わざるを得ない。I教授が、もしウチの親戚であったら、友人であったら、やはり、失礼に当たるであろう。
鼻つまみ者、という言い方が良くなかったと思う。 来客は男性である。ひょっとして、ボキャブラリーが不足していたのかもしれない。 ひょっとして、同じ業界?の方であったかも、だから詳しかった?そういう事ごとを全く予習がお互い出来てないところでの、発語。 持って他山の石である。 しかし、何事によらず、時折、世の中では、非常に優秀な人というのはいるもので、それが、出現する仕方により、周りを驚かせたり、恐ろしく感じさせたり、あきれさせたり、感動させたり、印象の波が激しく及んだり、、というのはあり得ることなのだ。 本人の自覚とは別に、という場合もあるし、確信して、この分野では自分はだれにも負けない。と思っている方も居るだろうし、。 往々にして、出来るやつ、ってのは、敬遠される。(笑) もてはやされている時は嬉しいし、儲かるし、鼻も高くなるだろうし・・。 一般論ではあるが、 仕事するのが2割、しないのが(出来ないのが)2割、後の6割は出来たり出来なんだりして過ごす。ってのが社会の様相である。虫のアリ、でも、同じらしい。 安定的な社会の様相の中でこの2割の出来るやつばかりを集めたら仕事量が格段に上がるかというとそうでもないらしい。 アリで実験した科学者がいる。 またもとの、2対6対2に変化していくらしい。 ただ、日本では、特に、この出来るやつ、の取り扱いが下手な組織が多い感じがする。 出来るやつは賢いから、早々にトーンダウンして、やり過ごすことが多いようにも思う。 作戦として、匍匐前進し、時期を待つ、ってのもいるだろう。 匍匐前進ばかりして、そのまま、うつぶせになって、息絶える、ってのもあるかもしれぬ。 ただ、社会にとっては、この出来るやつをなんとか生かして、その能力を開花させ、社会のために使ってもらうように人員配置をしないとこれからの世の中、難しい案件ばかりが山積するのだから、排除ではなく、抱合へ、かじ取りをしていかないとあかんでしょ。と思います。 そんな風に昨日、初めての来客と話を進めたかった。しかし、時間が来たのでまたお会いしましょうと、お別れした。 岩田先生の記者会見はどうなっただろうか。 船籍問題もあるし、時期の問題もある、。ただ言えることは今回の隔離は隔離ではなく、排除であったということ。対処方法の善悪はともかくとして。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年02月21日 19時42分13秒
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