「まほろば」って
ようこそ、お越し下さいました。今回の西国巡礼の旅の訪れたかった一つ、高野山とその参詣道のひとつの高野山町石道は、積雪のため断念しなければならないようです。私の先入観で、いくら高野山が900m級の高地といっても、温かな和歌山県。積雪で行けないなんて思いもよりませんでした。1年前に同地を訪れた時、一か月の滞在で3回の雪に遭いましたが、それも積もるには至りませんでした。その観念があったのか、当地の観光協会に問い合わせて初めて知りました。特に、今年の寒さは特別とのこと。まったく、迂闊でしたね。高野山町石道(こうやさんちょういしみち)は、高野山参詣の表参道で真田幸村隠棲の地で有名な九度山町から始まり、弘法大師空海の母堂がおられた慈尊院を経て、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に現れて、高野山へと導いたとされる丹生都比売(にうつひめ)大神が祀られている丹生都比売神社があります。空海は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借り受け、真言密教の総本山高野山を開いたとされております。そんな参詣道を、ゆっくり2日かけて高野山壇上伽藍へと歩く道です。(結構、きつい道ですよ)そして、3日目は宗教都市としての高野山を堪能し、明治まで女人禁制だった高野山に、ここまでしか女性は行けないという女人堂を巡るトレッキングの計画でした。それが、今回は断念しなくてはなりません。宿泊は、左程遠くない奈良県五條市に借りる予定のウィークリーマンションです。今後、行けるとしたら秋の終わりころ?また、楽しみが増えましたね。さて、旅の計画を立てていて、よく出てくる言葉が「まほろば」。辞書を引くと「まほろば」とは、「素晴らしい場所」とか「住みやすい場所」を意味し、美しい日本の国土とそこに住む人々をたたえた古語のようです。観光案内や、田舎暮らしのパンフレットには、「まほろばの里」をキャッチフレーズに使うのが多い気がします。私のイメージは、情緒や風情が豊かな所。歴史や今より一昔前を思わせるような場所。大自然と共存している場所。そこに住む人は、むやみに競争せずのんびりと暮らしている。そして、穏やかで笑顔があり優しさがある。私が思うにはこんなところかな。特に、奈良のあちこちに「まほろば」という文字が出てきます。奈良は、京都のように派手さはなく、形よりも心を大切にするという感じ。いやいや、京都は形だけという意味では決してありませんよ。(笑)住めば都といいますが、「終の棲家」(ついのすみか)としたい場所が「まほろば」なのかな。私にとっての「まほろば」は、何と言っても網地島です。時代から取り残された所ですからね。私が奈良の地に憧れるのは、約1000kmという距離がいいのかな。今は、仕事や経済的理由やらで住みたい場所には住めないけど、いつかは「まほろばの里」と自分で言える場所に住んでみたいと思っている方も多いでしょうね。生きるって、何かを得るためには、何か(囚われ)を捨てなければならないことって、結構多いんじゃあないのかな。-----*****-----*****-----*****-----連日の強風のため、屋根工事が遅れています。やっとこさ、屋根垂木が終わりました。このけらば垂木の施工が面倒です。屋根材を張り、天井を取り付ければ見えなくなりますが、きっちりとやらなくてはいけません。