10日間遍路の終了
ようこそ、お越し下さました。やはり、旅を切り上げて帰路に立たなければならなくなりました。ちょっと残念ですが、これも初めから想定していたこと。旅の初めは1月2日から。雪の北陸道を東に走り、能登半島を巡り金沢から加賀へここでは、加賀が誇る九谷焼を堪能。そして京都嵯峨野と栂ノ尾、大原の里。四国に入る前に、ちょっと寄り道の奈良宇陀の室生古道ウォーキング。そして四国へ。四国に入るまで11日間も楽しませていただきました。更にお四国で11日間か。ちょっと欲張りな旅でしたね。10日間の遍路旅を振り返り、一つ面白いことに気付きました。400km弱の歩き遍路旅で、遍路道に迷うことが何度もありました。頼りは手元の地図と、遍路保存協会が示して下さる道順シールでした。このシールは白地に赤の矢印が描かれているだけで、その矢印の向きを「こっちだよ」と示してくれます。それを公共の電柱やガードレールなんかに貼られていて、随分と助かりました。ここで言う遍路道というのは、現代の整然とされた道ではなく、旧道と言うか、なるべくそれらしい田舎道のような道を選んでその矢印で案内されています。A地点からB地点まで直線的に行けるのに、それをわざわざくねくねと曲がり遠回りして示されます。きっと1200年前の遍路道は、こんな苦難の路なんだろうと、それに近づけるための努力が見られます。A地点からB地点までの地図上の距離は5kmとしても、その遍路道は6、7kmになることは当たり前となります。だから、頼りになるのは地図よりも矢印シールなんですね。歩いて行って分岐に近づくと、まずは矢印シール探しをする。いや、その前から間違っていないかの確認の意味で探すのかな。大概はすぐに見つかるのですが、どう探しても見つからないことがある。バッグから地図を引っ張り出して確認作業をする。そんな時、必ずと言っていいほど教えて下さる人が出現します。そばの家の玄関がガラッと開き、箒を持ったおばさんが「こっちへ曲がってこう行くといいよ」と言って教えて下さる。あるいは、どこからとも無く車が近寄ってきて教えて下さる。すごいおばあちゃんがいたっけな。同じ方向に歩くおばあちゃんがいて、その脇を挨拶をして私は追い越していく。おばあちゃんは、何やら道順を教えてくれているらしいのですが、私は方言の為か半分しか理解できずに「ありがとう、ありがとう」と言う。どんどんおばあちゃんとの距離は離れ、私はおばあちゃんに言われたであろう道を右折して、しばらく進む。「あれ、ちょっとおかしいかな」と立ち止まって地図で確認する。例の矢印シールはない。ずっと地図を眺めていると、そのおばあちゃんが猛ダッシュで駆けてきて、「違う、違う!」と手で合図する。そのおばあちゃんの年齢、いくつ位と思います?ちょっと見80前後。前歯がないから老けて見えるのか、まあ若く見たとしても75といった所。そのおばあちゃんが、私との100メートルを超える距離を一気に駆け抜けた!!!まるでちょっとしたアスリート。「驚き、桃の木、山椒の木」とはこのことで、そのあと道々話をしながら一緒に道を戻りました。ここで「同行二人」(どうぎょうににん)と言う言葉を思い出します。歩き遍路は、どうしても個人の歩行ペースが違うため、一人旅が多いと聞きます。でも、お大師様がいつも見守っていて下さるので二人旅だよという事。だから、道を示して下さった方々は、みんな空海様の分け御霊をお持ちになった方々なのではないかと。言い換えれば、お四国の人達は皆が弘法大師様なのかもしれません。確かに、普通的に言えば親切な方ばかり。お遍路さんを見れば、何か困ったことはないのか、観察してくださっているみたいに。お遍路さんにお接待をはじめとする親切や思いやりは、1200年の年季が入っています。お接待や親切をすることで、その人と一緒に遍路旅ができるという考え方。言わば、「徳を積む」という行為が当たり前になっているのですね。素晴らしいお大師様の教えですね。まさしく「弥勒の世」「極楽浄土」ではないのではないでしょうか。道々の野仏にも、自然と手を合わせることができる遍路。そして、私の好きな真言を唱えます。「おん ばざら たらま きりく そわか」これを3回唱えます。まだ四国遍路は1000km以上残っています。四国遍路の片鱗をうかがい知ることができて、とても幸せでした。多くの方の想いも一緒に巡らせていただいた遍路旅、次回いつになるか解りませんが、今回の続きをやりたいと思っています。合掌