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2003.12.04
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カテゴリ:雑記
「君は素質がない」とハッキリ師範から言われてなお、下手な「拳法」を思いつくとやっている。この拳法は、日本拳法の流れをくむものである。

だが私は拳法に凝っていない。長年素質なしと言われながらも続けたのは、護身術感覚ではない。ましてや、身にふる火の粉を払おうなぞとは思っていない。

まず、私が初めに習った少林寺拳法について。これには批判的である。強い素質ある者ならば良いが、私のように素質のない者には、やるだけ時間の無駄という代物である。
誤解のないよう断わっておくが、弱い者に少林寺拳法は適していないと言うのだ。健康のためとか、スポーツと割り切ってとかなら、話は別だ。

少林寺拳法には「柔法」と「剛法」の二種類あって、剛法が他で言う突き・蹴りなどであり、柔法は、人間の主に手の弱点を利用して小手先で倒す多くの技を含む技法である。
大学時代よく「逆ごて三年」と言われ、この逆ごてとは、手首をつかんだ相手の逆をとってその場であっけなく倒して戦意喪失させる強力な技だが、相当習熟しないことには、実戦の役には立たぬ。

最も簡便なものの一つに「片胸落とし」という技があり、これは胸ぐらをつかんで来た相手のひじ関節を痛めつけて、完璧にやればそのまま関節をはずして、相手を戦闘不能に陥れるが、これも転瞬に決める修練を要する。

さて、剛法と呼ばれる突き・蹴りだが、これにも問題がある。まず突きだが、腰のひねりを入れぬ技そのものの弱点がある。くどいが、素質なき者に効果薄きものとして書いているから、誤解なきよう願う。強い者は格闘技を選ぶ必要なし。少林寺拳法にも猛者が五万といる。

一年余りやって、たいして強くもないのに初段手前の一級をとって、更に受ければ受かる初段試験寸前で私は見切りをつけた。少年部のことや現在の仕組みは知らぬが、私の時代、三級をとると、すぐ茶帯となった。一級まで茶帯である。技が身についた実感がない。

私はこの部をやめ、一人で剛法だけをやってもみたが、どうも突きの威力が、あるところにとどまって伸びぬ。
富士市へ帰って来て、単に「拳法」と称する先ほど書いた技の道場へ通い、いや正確には個人指導であるが、ここで師範に少林寺拳法の突きの弱点を、力学交じりの説明を受けつつ教わって理解した。

やはり腰のひねりがないとの指摘である。「いやある」と反論する人のために説明すると、「拳法」の突きは、前に出した軸足(仮に左足とする)を固定して動かさず、突くと共に後ろの右足つま先をやや回転させながら、右手で突くのである。無理に言い換えれば、軸足がコンパスの中心、後ろに引いた足が鉛筆の芯のついた部分である。無論右足で円など描かない。その場でつま先をやや回転させるだけだ。

回転のモーメントが加わるから、ただ突くよりも強力である。言い換えれば破壊力が増す。私のような素質のない者は、できるだけ効率の良いものを選ばねばならない。
早速帰宅してサンドバッグを突いたら、手首がグニャッと曲がって痛めた。これが「拳法」の突きの威力の証明である。



今まで腰の回転を入れずに突いてきたのが、一瞬のあいだに回転を入れて突いた結果、威力が増し、その威力に弱い手首がついていけなかったのだ。このあと私は腕立て伏せならぬ拳立て伏せを毎日七十回ぐらいずつやり続けて、手首を鍛えながら、サンドバッグをたたいた。そしてようやく、短く鋭いパンッという乾いた音があたりにこだまする強力な突きを身につけ、少林寺に訣別を果たした。ただし、縦拳と言って、突く時にこぶしをひねらぬまま突き出す少林寺の長年の癖だけは残ってしまった。

いちいち書くときりがないが、回し蹴りも、少林寺のは技そのものに威力がない。それでいて一通り身につけるのに工夫と時間を要するから、下手な者にはますます適しない。
拳法・空手の回し蹴りの型は等しい。これも私は少林寺の癖を捨てるのに苦労した。
空手や拳法の回し蹴りは、右足を後に引いた位置からいきなり繰り出さない。少林寺の回し蹴りは前蹴り姿勢のまま足を上げ、尻を割るようにして蹴るから習得しにくいし、威力もない。

対する空手などの回し蹴りは、後に引いた足をそのまま浮かせ、尻を割って蹴り込むから、こちらも威力がある。前足との角度を保つのである。
では威力があるばかりで弱点はないのかというと、ある。時間ロスがある。ただし修練次第で一瞬のものだから、全体に少林寺拳法よりも強い。

悔しいと思う少林寺拳法有段者は、段数の等しい「拳法」有段者と立ち会うとわかる。断言できるが、拳法が圧勝である。実は私はこの目で確かめたし、数多くの話も聞いた。
ここまで書けばわかると思うが、私に限らず、平均して少林寺拳法は実戦に弱いのである。ずっと以前、少林寺拳法七段の師範が、ちんぴら一人にナイフで刺し殺された事件があったが、「ははあ、やはり」と思った。

私は最近の家庭教師経験で、生徒の家の多くが、子供に少林寺拳法を習わせている現実に驚いた。そして彼らの多くが防具に頼る「乱取り」空手などで言う「フリー」をやる際、前蹴りと、グラブをはめた突きしか使わぬのを、「まずいな」と思った。
雇ってくれているお宅の子供に悪口は言えぬから、遠慮したが、ある生徒が余りに少林寺の多才な技を自慢するので、ある時、「ちょっと軽く手合わせしないか」と誘うと、急に勇ましい表情を浮かべて来たので、久しぶりに「やろう!!」と決意した。

無論私が負けるかもしれない。だが庭へ出て始めてみて「やっぱり・・・」と思った。彼は防具つけての技しか使わぬ。しかも蹴りが私の胴に入ると、「僕の勝ち」なぞと言うものだから、「あのさ、軽くは軽くでもあらゆる技を使わないとつまらないよ。それから私を倒さないうちは勝ちにはならないからね」と言うと、猛然戦意をみなぎらせて攻撃してきた。

私はしばらく彼に身体至るところを突かれ蹴られて、そのまま様子をみた。身長は180cmほどある。私は169cm弱。大差である。だが慣れていないせいか、回し蹴りが少なく、前蹴りで私の胴ばかり狙う。なお、突きの顔面攻撃はこの時は禁じ手だ。
そろそろこちらも攻勢に転じねばと思い、試しに下段回し蹴りを彼の太ももに飛ばしてみた。

私は左ぎっちょだから、彼の右太ももにヒットした。又前蹴りが来た瞬間、これは空手の十字受けという受け技だが、サッと沈み、両手を交差させて彼の右足をはさみ込んでそのまま体を起こすと、ドサッと彼は後ろへ倒れた。だが相当悔しかったとみえ、すぐさま起き上がると、私同様下段回し蹴りを飛ばして来て、これは私の左太ももにヒットした。
「痛えッ!! やるじゃん。少林寺も少し変わったのかな」と言うと、「いえ、空手のまねごとやってるもんで。今の効きましたか?」とようやく穏やかな顔になった。
「いやあ、これぐらいにしよう。やっぱり六尺豊かな長身にはかなわんよ」

さて結論。彼は次の日「僕、格闘技を変えました」といきなり言い出すので、余計なおせっかいしたことを悔いながらも、「悪いけど君は誤解してるよ。言っただろ。私は素質がない分を補うために変えたって」
そしたら、彼の答えがふるっていた。
「ならば、もし僕に少しでも素質があったら、同じ理屈で、もっと強くなれるんじゃないですか?」

こりゃ、一本取られた。今彼は極真空手の流れをくむ、ある道場に通っている。時々「先生、又手合わせしませんか」と誘うが、その手には乗らぬ。直接打撃の空手を始めたら、すぐに私より強くなる。ひたすら逃げ回って二度と誘いには応ぜぬことにしている。

それにしても、格闘技を習う若者が増えるのは、いい傾向と言えるのか? いくら物騒な世の中とはいえ、私はこんな若者がはびこる世の中が恐ろしい。本来、空手などは異端の武道、アウトローであった。K1の影響もあるようだ。
生兵法は大怪我の元。最近はワルも、技を使える。何よりケンカが強い奴に、並の技は通じぬ。素質なき者は、私のように空の財布見せて謝るか、脱兎の如く逃げるが勝ちだ。

これは強い人が口をそろえて言った「負けるが勝ち」のサバイバル法だ。現に大学時代、空の財布見せながら謝って難を逃れたのが一度、三人の相手にボカボカ殴られながら、大げさな苦悶の芝居をして、早めにドサッと倒れ、気絶したふりをして助かったのが一度。空の財布でどうやって外出するかって? それは秘密。人間ケンカするばかりが能じゃなく、頭を使うのである。財布は空だが現金は身体いずこかに隠してある。亡き祖父もこの方法を使って、巾着切りの難を逃れた。

数発殴られるぐらい我慢が肝心。殺されるよりましだ。いよいよ殺される危機に陥ったら・・・、そっから先のことは私ゃ知らぬ。おだぶつとあきらめるも一生かもしれぬ。
くどいが、この一見情けない逃れ方を伝授したのは、日本拳法・極真空手・そして本当に強い少林寺拳法2,3段の人ばかりである。あるジムで知り合ったのだ。
逆に相手に入院させる怪我を負わした場合、下手をするとこちらが罪になると、つよーい兄さんたちが皆々言っていた。この人たち、いずれも手加減できる名手なのである。

なお最後に「拳法」がとり入れている少林寺拳法の見事な技がある。これは又の機会に書くとする。





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最終更新日  2019.03.05 12:01:42
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