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皇紀2664年、平成16年正月元旦
我々日本人が、去年も不況だったと騒ぎながら、実は我ら現にパソコンに興じて来た。パソコンばかりではない。新築してめでたく新居生活に入った又はもうじき入るという家庭もあろう。今年は車を買い換えようと計画する者もいるはずだ。余り細かく書くと字数が足りなくなるからこれ以上は措くが、私は以前書いた日記の異国娘が去年の仕事最後の日と聞かされた夜、相手のかけ直しの要請を受けて、電話をした。 簡単に通話内容を書くと、「お仕事お疲れ様。打ち上げパーティーでご飯食べてお酒飲んだら、ゆっくりお休み。楽しませてくれてありがとう」と言うと、「ありがとうございます。お休みなさい」という程度のものだ。 私は言い忘れたことがあるので、夜6時ごろ再び電話をかけると、相手が「今どこにいる?」と問うので、自分の部屋だよと答え、同じ質問を返した。すると、「わたし、ベッドに横になってる。もうすぐ寝る」と言うので、あわてて来春早々帰国前のお別れに行くよと言って、電話を切った。 我らが愚劣なテレビ番組に興じ、又はレンタルビデオをどっさり借りて見ようとする以前に、娘は寝ようとしていた。そりゃそうだろう、仮にテレビが備わっていても、いずれの局も、無芸と堕した我が国の芸人が居並んで、楽屋落ちにも等しい雑談で時間をかせいでいる愚にもつかぬバラエティーばかりである。無論、この娘は紅白歌合戦なぞ見るわけもない。 電話には周囲でまだ何やら話しているほかの娘たちの声が入って来たが、その中でこの娘は早、さっさと眠ろうとの準備をしていたのである。電話では終始「だいじょうぶです」と言っていたが、誰よりも疲れていたのだろう。 金額は明かせぬが、私は年内にほぼ推薦入試を通過して私が不要となり、家庭教師を終えた生徒が相当数いたので、ただいま、この娘の月収とほぼ同額の薄給である。 だが娘は半年ほどのあいだ、フルタイムで働いてこの金額である。私は今年又新たな依頼を受ければ、やがて旧に復する見込みがないではないに対し、この娘は当分この金額であろう。上がってもたかが知れていよう。 今、我が国高卒の就職率が何十パーセントなぞと報道して、低い数字を強調しているが、あれはよしたほうがいいと思っている。就職遂にかなわず自殺する若者が急増したら、報道する程度にとどめてはどうか。働き口がみつからず餓死した若者がいたという報道には接したことがない。わざと隠しているわけでもあるまい。 現に私の向こう三軒両隣を見ても、同じ市内かごく近い地域に働く息子・娘たちが、装甲車の如き勇ましい車で、元いた自宅に帰って来ている。何らかの職を得て、親もとを進んで離れて、糊口足りている証拠である。今、日本の若者の多くは自活したいと言って、結構なマンションに近いアパート又は本物のマンションに移り住んで、マイカーで通勤している。私の車は1800cc足らずのものだが、彼らは2000cc,3000cc,4000ccクラスを楽々買って乗り回し、何不自由なく生活している。 「親と一緒の生活は疎ましい」と言う若者、特に娘に告げたい。ただし、ゆえあって親もとを遠く離れる必要ある者は除く。異国娘は、親もとを事実離れているが、給金はその親もとへ送金しているのである。本心は親もとで暮らしたいはずだ。何用あって、わざわざ指呼の間に等しいアパートへ去るのか!?それとも自立して強くならんと意気込んでいるのか。又は、親と気が合わぬからというだけで、それほど離れねば生活がきゅうくつか。親に育ててもらったのではないのか。既に夫婦者なら、核家族を主張するゆえか。仕事は水商売か。無論堅気だろう。異国娘にも好き好きあろうが、少なくとも私の指名の娘は、根っからの水商売好きではない。 だがそれでも、夜の街で働く異国娘をさげすみ哀れむとしたら、その罪万死に値するほどの罰当たりであり、心得違いである。この娘は、初めて訪れた私のところへ来てしばらくすると、指名を請うて来た。それが下心と思うなら、並の勤め人が業績を上げたいと、工夫するのと同じである。私が気に入ったと口にし、娘もそう判断したから指名を請うたのである。立派な仕事根性である。 忠告終わり。どうせ読んでもわからぬだろう。 さて、私は突拍子もないことを空想した。もっとも突拍子もないから空想と呼ぶのだろうが、突拍子のなさにも差がある。今、日本の女が男を欲すること少なくなり、よって未婚女の実数は増えるいっぽうだという。この女共を異国に強制追放して、代わりに同数の異国未婚娘を日本に来させてはどうか。言っちゃ悪いが、美形率で日本の娘はかなわぬ。 異国とはいえ様々で、いかにも異国風あり、白人と見まがう者あり、又は日本人に似たる者ありで、よりどりみどりだ。結婚願望強くともかなわぬ日本の男たちは、たちまち飛びつくのではないか。ならば、社会問題となっている少子化は解消されるのではないか。その見込みは少なくないのではないか。彼女らは容易には離婚なぞ迫らぬのではないか。 貧困とはいいものだと私は思っている。昔、我が国もその時代を経験している。お大尽がいて、かなり又はやや豊かな者がいて、並と並以下がいて、そして橋の下には乞食がいた。それでも乞食は飢えなかったか飢えること少なかった。例えば篤志家(とくしか)が、善か偽善か、いずれにせよ、家の塀の一角に針金を取り付け、そこに穴あき銭を毎日決まった数を通してさらしておいたから、乞食は、きちっと又はほぼ等分にして、その日を暮らせたのである。乞食もその分際を心得ていたのである。 自慢になるが、これは我が母方の先祖が、今の富士市吉原のユニーという大きなスーパーのあるあたりに広大な土地屋敷を持っていた頃、有り余る金のいくらかをそのようにしていたのである。我が祖母は、幼い頃、いい加減歩いてもまだ自分の先祖の土地の中にいることを知って驚いたという。 物持ちいつまでも物持ちで代々継がれていく保証もないが、衣食足りて礼節を知るとも言う。篤志家は、有り余る金を必ずしも独り占めせず、貧しきに対し恵んだのである。これが「金は天下の回りもの」の理想の一つと思う。 私自身ぎりぎりの生活だから、この娘の境遇を貧なりと言っては娘に無礼だと思うが、本文趣旨ゆえにあえて推量するなら、娘はたとえ境遇良からずとはいえ、値の高い物品などを欲しない。金を欲する。だが金が欲しいのではなく、必要なのである。 ゆえに娘は、その心が豊かだと察する。この稼業は由来さげすまれがちだし、現に身を投じて次第に歳月を経ると、その魂も次第にすさみ、あばずれても来るかも知れぬ。 あるいは、娘が適齢の指名客と夫婦になる運に恵まれたとしたら、彼女も次第に今の日本の女の如くになるかも知れぬ。だとしても、そうなるには時間がかかるはずだ。既に民族性に根ざした故国での分というものを身に染み込ませている。めでたく娘が鴛鴦(えんおう)の契(ちぎ)り浅からぬ夫婦と呼ばれうわさされる頃には、既に老境にさしかかるか、又は他界していよう。 娘は我が国の女共が失った女の気高さを全うして、ついでに恐らく天寿を全うするのではないか。 私はこの娘に恋心は(当たり前だが)抱いてはおらぬ。私は己れの娘が欲しくて、悪縁ゆえにそれを果たせなかった者である。こう書くとずいぶん己れの都合ばかり書いているように思われようが、私は「子供を早く作ってくれ」と頼んでつかの間の伴侶に去られた者である。私はこの娘に恋心ではなく、親心を抱いている。本物の父親にかなうべくもないのは当然だが、父親の如く接することが出来たら良いがと思っている。 ただ、私は父親の体験がないから、どう接して良いかわからず、半端になって疎まれても怪しまれても困ると思っている。「うそつけ」と思われてもかまわない。 実は職務とはいえ、この娘がひざをくっつけ、片手を我がひざに置くのが、悪い気はしないが、いやなのである。 さりとて、対座を申し出ては、かえって娘の仕事の迷惑になる。私は指名客失格かも知れぬ。 それでいて、この娘には日本の女並の所帯の生活を味わわせてやりたいと願っているのである。 まあ、ここまで書いてきて、思いあがりかも知れぬとも察している。だがいずれ私は世間知らずだから書く。今一つ計画している突拍子もないと疑われることがあるが、決して見返りを求めてのものではない。その逆である。むしろ、法手続きをどうして良いのか、又、我が両親をして、いかに説得出来たものかわからなくて、少し困り出している。無論短兵急な行動は必ずせぬ。世故に長けるを自認する人には推量していただいてもいい。 私はこのまま独り身を通すつもりである。いや、まず間違いなく通す。私が死ぬと、かなりのとは言えぬものの、築16年目に入ろうとしている家自体は二束三文なるものながら、土地が残る。 私は初め、菩提寺に頼んで、先祖の永代供養を託し、自身は無縁仏でも何でもいいと計画していたが、無念なのは、土地である。生きているあいだ、夜の街の女にうつつを抜かすとその身を滅ぼすおそれが限りなくあるが、五尺ちょっとの命が絶えれば、既に身は滅びたのだから、死人に口なしとなって、恐らく、生きている親族の勝手気ままに扱われるだろう。この話、ここで止める。 ただ、店でひととき和気の如きが生じて撮影した娘の笑顔は、帰宅後見て確かに可愛かったが、ふと思いついて引き出しから出して改めて見た名刺の写真の、免許証写真のように写っている顔を見ると、この娘は笑顔よりこちらの表情が似合っていると思えた。これも思い上がりと取られるともかまわぬが、じっと写真一葉に見入るうち、不覚にも涙を流してしまったのである。 以後、この娘のことは二度と書かぬ。批判ある人もあろうが、読み流してもらいたい。反論あるとも、それへの反論もせぬが首肯もせぬ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.01.01 17:28:43
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