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かつて、いくつかの作家の著作、特にエッセーに興味を持ち、あれこれ読んだ中に、なるほどとうなずけるものがあった。私は今は思想的に好きになれないが、筒井康隆のエッセー中に、ホームドラマのうそというタイトルだったろうか、説得力ある一文があり、著書そのものはもはやないが、印象強く残っている。
ホームドラマ中の役者のセリフは過激なことがままあるが、テレビドラマとして見ているせいか気づかず、気づかぬうちに一世を風びし、これらを現実の世間で使う茶の間の見物がはびこり出したら、恐ろしいことである、との趣旨であった。 例えば、やや太り気味の婦人の前で、「僕、女の人の肥満って、それ自体罪だと思うけどなあ」と若者が言うシーンがある。 若い部下が上司に、会社を利するためだと前置きされて、姑息な手段ながら社名を知らしめてくれと命ずるシーンで、熱血の部下が「課長、それは売名行為じゃないでしょうか?」と反論する。 あるいは何者かが相手に「僕、その考えは思考停止以前に白痴化だと思うなあ」と告げる。 これらはシナリオライターが、劇を印象づける効果をねらったセリフの応酬シーンである。 まさかそんなことをと言う者があるとしたら、想像力の欠如である。もう何年も前から、手をかえ品をかえ、ドラマはおおげさなセリフを吐き続けて、それをまに受けた見物たちが、日常至るところで平然とまねて、相手を傷つけていることに気づかぬようになった。私はこれを父との口論にわざと使って試したことがあるが、それを聞かされた父の激怒の凄まじきこと、火に油を注ぐという通りの結果を招いたので、印象に残っている。父の意見を「白痴化だ」と言ってみたのだ。 トレンディードラマ・刑事ドラマは劇的セリフの宝庫、いや倉庫である。 夫が妻に、若い男が彼女に「愛してるよ」というのも、実はおびただしいドラマ、更に映像の影響である。 由来我が日本人の語いに「愛している」なぞはなかった。初め新劇などの芝居で言い出し、ついでテレビ・映画に飛び火したものである。 冗談半分に口にしてみるならともかく、これを平然と日本人が口にするのはおかしい。それに気づかず、日常にしているとしたらばか者というほかない。 白人たちはこれを日常としているからそのまま和訳すれば良いかというと、良くない。 日本人なら全く言わぬか、せいぜい女の「あたしのこと、どう思っているの?」に対して、「今更くだらぬこと聞くな!!」とか「よせよ。嫌いなわけないだろ」ぐらいが上等である。 「俺、お前にほれたんだ」すら、鳥肌の立つ言葉である。 だがこれが蔓延してしまった。亡き評論家・大宅壮一氏の有名な言葉に「一億総白痴化」という、テレビの未来を予言したものがあるが、その通りとなった。 こうなると衆寡敵せずである。昔まともだったはずのセリフを日常で使っても効果薄いとみて、知らずに身に染み込んだテレビのセリフを臆面もなく吐く輩だらけになったから、己れの内奥の本心を遠まわしに言ったら、かえって相手に伝わらなくなった。 私は「I love you.」は、和訳できぬ文だと心得ている。書いた通り、かつて新劇か何かのある芝居で、英語のこの言葉にあたるセリフを電話で女が吐くシーンに苦慮した結果、「あなた、あなた・・・」と和訳して、役者が絶句する場面を演じた話を聞いたことがある。 そのことに気づいていたから不肖私めは、言葉に頓着ない人々を見ると、その瞬間から「バカかこいつ」と本能的に判断するくせがついてしまった。 実はドラマばかりではない。携帯電話のどこかのメーカーのCMで、写真機能を更に進歩させて動画(アニメみたい!!)機能を持たせたカメラ付き携帯電話のシーンをしばし見せたあと、「ムービーだからもっと伝わる!!」という意味のナレーションでしめくくるのがあった。あれは胸が悪くなった。 たかが、遠隔通話機の電話線が取れただけの商品を売るのに、こんな気持ちが悪い文句を聞かせるとは、それこそほとんど犯罪ではないかと思えた。 ドラマが見物を洗脳して見るに聞くに堪えぬことが日常となった極は、娘を嫁にやる父親の結婚式当日前後の、心中・態度描写である。 父親は人前もはばからず、娘を嫁にやった嘆きを見せることが多くなった。結論から言うと、これもテレビドラマの影響である。 可愛い娘を嫁にやりたくないと言う。相手の若者に難くせをつける。 けれども式当日は刻々迫り、あっというまに来て式は終わり、たちまち日は過ぎる。愛しい我が娘は去った。淋しさに耐えかねて、ある夜ガバと起きて庭へ出て、狼じゃあるまいに、娘の名を連呼して恋しがったと、当の父親がテレビで語ったともいう。 それを父性愛の発露の如く、相づち打って聞くほうも聞くほうだ。 これが全国の茶の間の父親どもを刺激し、その風(ふう)は蔓延し、テレビをまに受ける父親共が増えたのである。これがまともな父親だというのが主流になると、取り乱さぬ昔気質(かたぎ)の父親はさぞ迷惑と思う。 昔は「嫁いだからには帰る家はあると思うな」と言ったことを、取り乱す父親共はうそだと言い張るだろう。ならば、「いつでも帰っておいで」と猫なで声出すのも怪しいものだ。 帰られたら、本当は困るのではないか。再び八方手を尽くして次なるもらい手をさがして躍起となるのではないか。帰るな、又は帰れと言ういずれもが、怪しいなら、当の娘が実は一番わかっている。何、父親より亭主のほうがいいに決まっているのだ。 そういえば、息子の入試についていく母親の過保護を難じた男共がいたが、娘の去ったことを嘆くこの者たちの未練こそ、母親そっくりではないか。そんな思いが本物なら、ほとんど近親相姦ではないか。 手塩にかけた娘だもの、手放して未練ないわけがないが、そこは男なら言わぬものだ。 まずはめでたいと、よく言うではないか。全部本物、全部めでたいことなぞ、この世にあるものか。この世はうそで固めたところである。 私はテレビから発したこのうそが大嫌いだ。ほとんど憎んでいる。 話は変わるが、「想い出づくり」なる吐き気がしそうな言葉が定着したのも、テレビが発信源である。山田太一とかいう反戦左翼思想脚本家のドラマだったか。それを同じくまにうけて、まだ旅支度のさいちゅうなのに、「楽しい旅行して、いい想い出いっぱい作ってきましょ」などと、又無気味なことを言う輩が増えた。バイクツーリング如きでも、いい年の大男がこれを言うはずだ。バカか!? 想い出とは、のちに来し方(こしかた)をつくづく振り返って、あるいは懐かしむ時、脳中に生ずるものだ。その想いも悲喜こもごもであろう。 あんまりだから、私は一つ昔はやったジョークを書いておく。 「池田首相とかけて何と解く?」 「新婚夫婦と解く」 「そのこころは?」 「人作り」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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