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カテゴリ:カテゴリー未分類
異性がらみのことはなるべく書きたくないが、必ずしも不謹慎なことではないので、時々書くこととした。既に所帯がないので、所帯を持つ人にとやかく言われる、思われる筋合いはない。またフィリピンの娘ジェーンのことも、二度と書かぬと書いたが身辺事情一変したので、前言撤回する。
昨年、ひょんなことから旧知の異性と再会の運びとなったことは書いた。くどいがもてたのではない。元妻が戻りつつあるだけだ。 「始動」とのタイトルで書き始め、相手にとってはいささかカケとなる去年であった。幸か不幸か、カケは向こうの勝ちとなった。そして、私はこの「始動」なる計画にとりあえず終止符を打った。そして引き続き「アクセス気にしない計画」を立てた。 このごろ、この相手からのメールがしつこい、もとい、ひんぱんである。いや、忙中マメにくれるからありがたい。 ありがたいが、「アクセス計画はどうした!?」と、やや不満の内容を伴う。ウソはつけないから、私はアクセスが上がるたびに報告している。計画が既に破綻しかかっているではないかと抗議するので、考えると返信しておいた。 書き始めの頃のアクセスは一日平均20ほどだった。これが気づくと27になり、40台になり、相手の希望を満たすこととなったが、今度は減らせと言う。ただ私は「アクセス気にしない計画」とは書いたが、「減らす」とまでは書いていない。すると相手は私をウソつき呼ばわりし、減らす実績を作らねば、アクセス増加計画も同然だと言う。一理あると思った。 実は私の日記にほとんど一べつくれぬリンク相手がある。私は新日記が出るたび義理として必ず訪問している。読めば面白いこともあるから、必ず訪問する。読まれぬならリンクをはずそうかと思うが、微々たるものなので露骨なことはせぬほうが良いと、これはとりやめた。 そこで昨日は私の第一の趣味である怪獣をテーマにしたら、見事にアクセスが減ったので、ヒントとなった。早速メールでその旨知らせると、すぐに共感の返信が来た。ただし、リンク相手の悪口は控えよと言う。余計なお世話だ当たり前だと返信の返信をしたら、それきり来ないから多分仕事に出たのだろう。 私は以前楽天日記の書き込み欄に直接書いていたが、ある時からエラーがひんぱんとなり、それまで書いた文章が消滅する経験をしたので、今はワードに打って、あるいは途中で止めて記憶させ、更に書き続けて一通り終わると、又止める。時刻を見計らって、推敲に入る。誤字脱字、重複表現(馬から落馬するなど)、公表に相応しくない内容などを訂正する。 ここまで打って一旦閉じてメールを確認したら果たして件の相手から届いていた。携帯電話を使ったようだ。「ジェーンちゃんのことで、お世話になった人へのあてつけと取れることが書いてある、よく見よ」と男みたいな表現だったが、不承して確かめてみたが、思い当たらない。再び「身に覚えなし。あてつけと取れるようなら、深読みである。ついでに言うが、もう少し女らしい言葉を使え」と送ったら、「前言撤回」と書いたあとに、「ただし、そちらのつづり方の影響なり。山本夏彦にかぶれ過ぎでは・・・?」とあったから、思わず笑いながらも、早速又返した。 「かぶれていない証拠を後日の日記に書くからとくと見よ」と。すると「忙しくなったから、昼休みまで送信不能なり。内容あらすじ送れ、あとでゆっくり読む。なお、私のことを話題にすると、アクセスが増えるおそれありと忠告しておく」と来た。 思い上がりも甚だしいと一度は苦笑したものの、待てよと思った。再びしつこいが「もちや方向に異変あり」はアクセスが上がっていた。ジェーンのことを書いた時も私としては異常に高いアクセスだった。そして、ここまで書いてきて、既にこの話題はまずいのではと思っている。 ここで軍艦に例えれば右16点又は左16点回頭して再びゴジラは・・・なぞと始めればたちまちアクセスは減るかも知れぬが、ここまでの話題が異性がらみであるから、何とも言えない。 私は特に山本夏彦氏にかぶれていない。そう取られるとしたら、山本氏のコラムの思想に共感できるところが多く、そして独特の文体にだけは大いに感化され、見習いたいと思ったので、これは仕方ないし、かぶれたのではない。 逆を言うなら、これまでの作家のいかなる文体も平凡で、得るところなかった。一時期遠藤周作氏の随筆にひかれて、彼の著書ばかり20冊余り買って読んだが、印象に残る内容はあっても、文章表現となると全くない。 私は話し言葉をそのまま文章にしたような、だらだらしてしまりのない文章が嫌いなので、山本夏彦氏にようやくたどりついて、その骨法を学びたいと思った。山本氏のコラムをそのまま文章にしたら、私などまだまだとても足元にも及ばぬ見事さである。 刀でいうと名刀、剣客でいうと達人である。覚えず笑いを誘うと思いきや、転瞬にして寸鉄人を刺す字句で本領を読ませる。一つの内容にこだわると思うまもなく、一転し再転して、こちらをけむにまくから、応接に暇(いとま)がないことがある。 この「応接にいとまがない」という言葉遣いも、他の作家ではお目にかかれない。もしあったら、そこだけ浮いて、木に竹をついだように、その作家の背伸びが丸見えとなろう。以前現代作家の一人が「人口に膾炙(かいしゃ)する」と書いていたので、バカな作家だと思った。私は膾炙のいずれの字も書けない。読めるのは山本コラムのおかげだ。だが山本コラムなればこそ、この言葉も生きて来る。「人口に膾炙する」と言いたいなら「広くおおぜいに知られることとなる」と、普通に書けばよいではないか。 山本氏自身「死語は使わない。使うのは滅びかけていてまだ復活する見込みのある言葉に限る」と書いている。その基準がどこにあるのか私にはわからないが、何、読めばお目にかかったことのない字句でも次第にわかるし、わからなければ辞書をひけばわかる。 かと言って現代作家が使うのはやめるがよい。殊にオカルト小説程度しか書かぬ小説家がこのような言葉を転がすと、知ったかぶりとしか読めぬ。「魔界小説」でヒットを持続させているなら、言葉でなく、独自の文体を確立するほうがよろしいかとおせっかいながら思う。 若手女流ながら凄いと一時期夢中になったものに、栗本薫(くりもと・かおる)の「魔界水滸伝」がある。さすがに第16巻で疲れ飽きて、読むのをやめた。この人なぜか知らぬが「中島梓」の別名を持っている。文章は男のそれである。言葉遣いに気負いがなく平明だが鋭い文体である。 著者近影と略歴だけでは人物が浮かばない。底に強いものを秘めた女流なのかと想像する程度だった。 ところが第四巻から突如あとがきを始め、これが想像していたイメージを狂わせること甚だしく、むしろ才媛だと思い知った。例えるなら、NHKの「プロジェクトX」のテーマを歌う中島みゆきの豹変ディスクジョッキーといったところか。以前彼女を悪く書いたが、家庭教師で糊口をしのいでいた時期、ラジオの深夜放送で彼女のメチャクチャとも言える人格変貌のおしゃべりに実は興じていた。だから中島みゆきも、ある意味で才女なのだと思う。 「魔界水滸伝」に戻る。これは和製クトゥルー神話である。クトゥルー神話とは、海外の異色作家、H・P・ラヴクラフトが描いた、異世界である。言っちゃ悪いが陰陽師ものなぞ消し飛ぶ一流独自の魔物の世界を活写して、人類起源までを疑わせる説得力がある。 これは映画化してほしいと思ったが、無理だと思った。部分的にはクトゥルー神話を映画化したものがあるが、このおぞましくもなぜか魅了する異世界の全景描写は、ハリウッドでも不可能だろう。 何だ、完全に軌道をハズれた。ここまで来るともはや軌道修正不可能だから、突如進路変更する。私は左利きなのでここは左16点回頭する。なお回頭とは船が進路変更することで、16点回頭とは180度方向転換することをいう。従って8点回頭といえば、90度方向転換の意となる。 最近又大学生の間でマルチ商法がはやっていると聞いた。何、ねずみ講のことである。こんなの昔からあるが、こりない者共がこりない欲のかたまり共をだますことが時をおいて出没しているだけである。山本夏彦氏はこれらが永久にやまないのは、我が国に「金教育」がないからと言っているが、私は山本氏のこの説に反対である。委曲は後日尽くすつもりだ。かぶれてなぞいないのだ。もう一つ、もてた話は書かざるべしと言っているが、私は女に縁のない典型である。もてたのではなく、たなからぼたもちだっただけだ。縁は異なものという。それをも含めてつづっているに過ぎぬ。平均値をとったら私は最下位である。恥をさらしているようなものだ。 繰り返すが私は一人の人間にかぶれることはない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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