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2004.01.29
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富士山私の一枚というコーナーが、夕方のNHKのローカル版にあるが、どれも同じに見えて退屈である。バイク好きがいろんなバイクの写真を並べてホームページで公開しているのと同じようなものかと思う。私のようなバイク好きでさえ興味が起きない。
同様に、車好きがいろんな車をホームページに公開しても退屈だろうと思う。
この富士山を幸か不幸か私たち静岡県人は、毎日部屋の窓から眺められる。

パソコンを置いてある元教室の窓から富士山が正面に見える。毎朝机に向かい、ふと富士山を見ると、ジェット機が三機編隊を組んで飛行機雲を引いて飛ぶのがよく見えるが、方角から考えると、浜松方面へ向かうのだろうか。銀色の機体が太陽を反射してキラッと光り、富士山とよく合って美しい。

ところが富士山私の一枚にジェット機が登場することは全くない。私は海軍航空隊の写真集を持っているが、霊峰富士をバックに数十機の編隊が飛ぶ写真が随所に散りばめられている。富士山に飛行機はよく似合うのだ。
これも恐らくNHKがふるいにかけて必ず採用しないに違いないと判断している。ゆえに見飽きた富士の写真なぞ、一切見ない。

採用される写真は富士山だけを撮影したものである。だから面白くない。風景・光景というものは少なくも二種類の全く融合せぬものたちをあわせて写しこんだ時、ドラマチックになる。
私は架空の万能艦が好きだから、これをいつかジオラマ制作して、富士山を背景に飛行するシーンを撮ろうかと漠然と計画している。

「大一プロブック」廃刊の第95号に、紙製組立付録で「海底軍艦」を付けたのが、本誌組立付録最初で最後の大掛かりなものだった。この時は、本物に似せる必要を余り意識せず、轟天号らしく見えれば良いと思って、設計図を作った。無論作業は難航し、試作品が何とか無事完成するのを確認したうえで、型紙作りにかかったから、轟天号一艦完成可能な部品をすべて紙に印刷するまでには、おおげさにいえば疲労こんぱいしていた。

さて、そこで今漠然と計画しているのが、富士山を背景にした轟天号のジオラマである。
私の名前で制作していただいているジオラマHPの目下の作品である「鉄人28号パート2」が、突如制作意欲ダウンして、頓挫しているので、轟天号がいつのことになるか、自分でもわからないざまだが、これは私の病の一種である。やってもいないうちから計画だけ先行するのだ。そしてほとんどの場合、時間はかかるものの、いずれ実現する経験を持っている。

だが轟天号は恐くて挑む気力が出ない。見事な艦形の再現がむつかしいと思い、しり込みするのだ。これが故・小松崎茂画伯のデザインだと知ったのはそう昔のことではない。ならばなおのこと無理だと思ったのだ。
実在した戦艦で最も美しいと思うのは戦艦大和だが、大和は艦橋がずっと後ろのほうにある。更に艦橋に煙がなるべく届かぬよう配慮した結果と言われる煙突の傾斜が、この戦艦の艦形を整えるにずいぶんと貢献している。大和は艦首からしばらくの間は、長い甲板が続き、そこから突然三連装二基の巨大な主砲が置かれて、その後ろに副砲、そして文字通り鉄の塊のような艦橋・煙突と続いて、更に艦尾方向に向いた副砲・三連装主砲各一基が置かれて、全体のバランスが世界一整った戦艦の傑作である。

ところが轟天号は艦橋がかなり前に位置している。三連装主砲は前に二基、後ろに二基ある。それでいて全体のデザインは美しい。艦橋は艦の後方近くに位置することが、艦形を整える大事な要素だと思っていた私の考えは、小松崎氏の轟天号によって完全に覆された。
今もってこの理由はわからない。ただ、轟天号組立付録を作る時、改めてこれをまん前から見た図を確認して驚いたが、まるで大福もちのようにふくれている。美しいものにはどこかにそうでない箇所があるのではないかと思った。

そこで戦艦大和プラモデルをあらゆる方向から見て見ると、どこから見ても美しく見とれるばかりの形の中に、一箇所だけ美しくないアングルを見つけた。ただし、このことは既に知識にあり、とっくに確認済みのことではあるが、轟天号との比較では初めてみたいなものである。
真上から見ると、戦艦大和は、主砲・艦橋など上部構造物がゴチャゴチャ置かれている箇所が、異様にふくれ上がって、必ずしも美しいとは言えない。

この時、大和建艦にまつわる驚嘆すべきエピソードを思い出した。当時の我が国の造船技術の優秀さをも知らしめることなのだが、巨大な主砲を三基積むと、途方もない重量になり、重巡洋艦一隻の重さに相当すると聞いたことだ。つまり戦艦大和は既に巡洋艦一隻を積んだも同然の巨艦だということだ。重巡とは重さ七千トン以上のものをいう。
戦艦大和は主砲塔一つだけで2774トンに達するから、単純計算で三倍すると、優に八千トンを越える。

このようなおおざっぱな知識は、私たちが少年時代に親しんだ月刊誌やのちにこれを駆逐した週刊誌の図解特集にほぼ毎号のように出没したから、私など50代の人で余程図解特集を毛嫌いせぬ人なら、少年時代に一度や二度は、旧軍の軍用機・軍艦の情報に接して、それらの優秀な技術・兵装を知っているはずだ。
私見によれば、団塊の世代と呼ばれる昭和22年から25年生まれの人が、これらの感化を受けている。私などは27年生まれだからややハズれているか、軍事情報の恩恵にあずかった後発ギリギリの世代である。

当時トップを走り続けた「少年サンデー」では、その名も「特ダネ図解」と称して、他の週刊誌グラビアを圧倒していた。ここに、今思うともったいないほどの一流の画家の先生たちの戦記グラビアが掲載されて、いやでも目が行く。
後年、小学高学年になるのに、「戦艦大和」を知らず、「宇宙戦艦ヤマトなら知っている」と言った少年がいたのには驚き、その笑い話とも取れぬ、珍妙な軍事知識にあきれたものだ。

このような少年相手に「空母信濃は、初め大和級の新戦艦を建造する予定だったのが、戦局の都合からか、突如空母に変えられ、紀伊水道を出たとたん、敵の魚雷に沈められた」などという話は全く通じぬから、つまらぬと思いながらも「妙だ」と疑問を感じ、書店へ行ってみたら、それまでおびただしい数で書棚を圧倒していた秋田書店の少年向け戦記図鑑が一冊もなく、占いや心霊関連の本がとって代わるかのように勢ぞろいしていたので、これも時世かとあきらめるしかなかった。

何も戦記ものに興味を持てと言っているわけではない。私自身が、さほど興味を持たなかったのだが、それでも以上書いたことぐらいは知識にある。
あの、おびただしい数の軍用機・軍艦の色彩豊かなグラビアは、もはや日の目を見ることがないかと思うと、やや寂しいと思うのである。





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最終更新日  2004.01.29 23:21:08
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