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恐竜境に果てぬ第1章第1節その1


恐竜境に果てぬ第1章第1節その2


恐竜境に果てぬ第1章第1節その3


恐竜境に果てぬ第1章第2節その1


恐竜境に果てぬ第1章第2節その2


恐竜境に果てぬ第1章第2節その3


恐竜境に果てぬ第1章第3節その1


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2004.01.30
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カテゴリ:映画・テレビ

以前しばらく異性との話をうわっついた感じでよく書いた。これらを抹消し、架空の存在に仕立てると書いた通り、全く色気なしの日記となったが、実在するものを抹殺出来るわけもないから、ここに出て来ないだけのことで、当人たちはそれぞれに生活にいそしんでいるはずだと書いておく。

多分私に所帯があれば、日記さえ書く余裕はなかったとも思うし、所帯がなければこそ、数少ない想い出を回顧し、手の届くはずもない異性に憧れもするのだということぐらいは書いてもかまわぬと思う。又、昔から変わりやすい女心を天気に例えて言う言葉も聞かされたものだが、ものの本によると、あれは男心の移ろいやすさを言ったものだという。

そう言われてみると、少なくとも私の場合は心が揺れている。思い切って書くと、私は異国に帰って、四月来日予定の娘のことも、実は未だに気にかかっている。本人は気にならなくとも、私は気になる。先日書いた歌舞伎役者の澤村田之助氏は、36違う伴侶とのあいだに、可愛い幼女がいる。この澤村氏、人間国宝である。もう一人、その上を行く歌舞伎界の大御所でやはり人間国宝の人がいる。この人にも年の離れた伴侶がいる。

屋号を天王寺屋と言い、口跡鮮やかな中村富十郎氏である。前名(ぜんみょう)は市村竹之丞(いちむら・たけのじょう)と言い、この名の時代に何回か話題にした往年のNHK大河ドラマ「天と地と」に出演して、やはり上杉謙信の重臣役を好演して、強い印象を残している。
人間国宝二人と私ではまさしく月とスッポンだが、男としての思いはわかる気がする。

勤め始めのウブさかどうか、例の娘は本国の住所を私のノートに残してくれたから、とりあえずエアメール用の下手な英文を二種類内容を分けてつづり、保存してある。
揺れる我が心とはこのエアメール文面に表われている。これを読んで心穏やかならぬ人がいると察するが、この年へ来ると恐いものが昔より減って来るから、ここでハッキリ書いておくと、私のわずかな預貯金に興味が行く者よりも、必ずしも豊かならずと言えども懸命に生きる娘に心が傾くのは仕方ないことだ。

英文は娘が日本を離れる直前に書き始め、これまでに少なくも五回は加筆訂正している。ためらううちに四月が訪れる予感も充分ある。文面で最も配慮しているのは意味が伝わることなのは論を待たぬが、その次に相手の気持ちだけを考えた内容にしたためることである。私に下心がないのは、百万言費やしても他人には納得してもらえぬだろうが、本心である。娘が私を忘れるならそれもよし、第一再会の意図はない。再び六ヶ月後帰国するなら、又手紙を出す予定である。それ以前に見限られるなら、それまでのこととあきらめるしかない。そのおそれは多分にある。第一客にあらざる者を、なお認め、気にとめてくれるはずがない。

独身を余儀なくされる男の気持ちは所帯持ちにはわからぬものと断言する。殊に、既に所帯を持つ婦人を除き、今の3,40代の未婚女には理解出来ぬことだろうが、こういう男がいるのだ。預貯金での将来何年かのたつきなぞ、実はほとんど考えていない。前にも書いたが、武士道精神を表わした一書「葉隠(はがくれ)」に忍ぶ恋というのがある。
ここで突然東宝戦争特撮映画のことをわずかに引き合いに出すが、三船敏郎氏が見事に軍人役をこなす映画が目立つ。そして三船敏郎氏を見ていると、どうしても忘れられぬ一作が浮かんで来る。




これこそ、金に飽かせて女にうつつを抜かす世の男どもに見よと言いたい名作である。その身の不遇ゆえに独り身で一生を通した男の、かなうべくもない忍ぶ恋を描いて、原作者畢生(ひっせい)の傑作となった「無法松の一生」である。村田英雄の演歌などが雰囲気を壊して、イメージダウンになったことが惜しいと私は思う物語である。なお、原作は岩下俊作氏の「富島松五郎伝」である。
人力車夫・富島松五郎は、ふとしたことから知り合った陸軍歩兵大尉・吉岡小太郎に招かれて、一晩酒を酌み交わすが、既に吉岡は風邪をこじらせて、40度近い発熱に倒れ、帰らぬ人となる。

吉岡未亡人は松五郎に、一粒種の敏雄の成長の助けになって欲しいと頼むが、さすがの無法松も「これは大役だ」とポツリつぶやく。そして、その時から無法松の献身の生活が始まる。
だが我が子のためにも後家を通す決意固い吉岡未亡人・良子(よしこ)にも次第に心ひかれて行く己れに気づき、それを恐れて、ある夏の晩、かろうじて我が心中の一端を告白するかのようなひとことを残して、未亡人の許を去り、以後全く出入りしなかった。松五郎が吉岡良子に語った言葉はわずかに次の如くであった。

「奥さん、俺は淋しかったんじゃ。俺の心はきたない。奥さんにすまん」。
このひとことが詫びと訣別の言葉となり、ようやく老境にさしかかった松五郎は、ある雪の日、粗末な身なりのまま雪の舞う冬の野を、酒ビン一つぶら下げて、あてどなく歩き続け、遂に心臓マヒに倒れて、絶命する。あとに、吉岡未亡人とその子・敏雄名義で五百円余りも貯めた預金通帳を残して、世を去ったのである。なお、無法松絶命の場所は、その身の不遇ゆえにかよえなかった尋常小学校のすぐ目の前だった。仕事の合間によく教室にそっと近づき、授業風景を見て、さらに、授業そのものに親しんでいた。

私がこの映画を初めて見たのは小学高学年だったと思うが、子供心にも松五郎の忍ぶ恋のやるせなさがわかった。比較にはならぬだろうが異性に関しては我ながら早熟で、小学二年の時、既に隣の席の可愛い女の子に初恋をして以来、ほぼ毎年、片想いの恋心を隣の子相手に抱き続けた経験があったからかも知れない。

この映画については、「大一プロブック」第85号・新年特大号にたっぷりつづっている。本誌完成は平成三年(1991)暮れであるが、表紙の「キングコング対ゴジラ」のジオラマからは予想も出来ぬ記事である。我ながら数多くの記事を一人何役にも書き分けたものだとあきれるが、「我が往年の銀幕ロマンへの郷愁」という長々しいタイトルの長期連載記事中、珍しく特撮から離れ「メロドラマ」と銘打った読みきり連載記事の一つである。
ついでに扱った映画を挙げておくと、「心の旅路」・「愛情物語」と洋画を題材にしたのち、しめくくりとして「無法松の一生」を出来る限りの情報資料を頼って写真掲載し、巨細につづったものである。

だから我が特撮機関誌は、時に何の雑誌か読者を翻弄する内容で編集したと書いたのだ。B5判24ページにわたってつづった「無法松の一生」をここに再現するのは無理である。だがメロドラマテーマ最終回の「無法松の一生」に最も力がこもったのは確かである。
この物語が見る者の心を打つのは、松五郎の恋が哀れだからである。彼は己れの分際を充分心得ている。吉岡未亡人への想いは、我が意志でつぶし、けがれのない忠義に似たものなるべしと、己れに言い聞かせ、言い聞かせながらも消し去ることが出来ない。それでも何かと母子のために尽くし、そうすることでわずかに己れの本心を抑え続けてそれを全うしたから、人力車夫・松五郎の物語は人の心を打つのである。

映画「無法松の一生」は戦前(戦中)・戦後と同じ監督によって演出され作られた。これにはいわくがある。戦前版は、かの名優・阪東妻三郎主演で、吉岡未亡人は園井恵子さんが演じ、昭和18年大映京都の作品である。ちなみに園井恵子さんは、広島で被爆死という非業の最期を遂げた。この映画は検閲で、先に述べた「松五郎の告白シーン」をカットされている。車夫馬丁(ばてい)ふぜいが、いやしくも帝国軍人の未亡人に恋するとは醇風美俗にもとるとの検閲当局の判断によるものだ。



上掲2画像ともに、昭和18年の阪妻阪「無法松の一生」。なお、上掲一枚目の画像についての説明に、山田洋次監督のことがありますが、これは「大一プロブック」本誌のもので、本ブログには載せていません。


監督の稲垣浩氏はこれに激怒し、戦後再び総天然色で復元した。戦後版は、主演の松五郎役が三船敏郎氏、吉岡未亡人役は高峰秀子さんが演じている。日ごろ旧軍全面悪の風潮に反発し、時に旧軍支持のコラムを書く私でさえ、この当局の雅量の欠落を情けなく思った。陸海軍いずれの検閲か知らぬが、成績優秀なる軍人学校出のお偉方が怪しからぬと言ってカットしたのだろう。実に健全な精神である。健康である。私はだから健康というものを嫌う。健康というものは不健康なところが少しでもあるとこれを駆逐する性質のものだ。健康とはいやなものである。

だがこの健康というものは、戦前にあって戦後はなくなったわけではない。形を変えて今でも残っている、日本人ある限りこれは消え去ることがない。ごく最近の例で言えば、沼津駅におけるストーカー殺人に対する判決を巡る世論にこれを見ることが出来る。同じ殺人でも非行少年のそれには、人権派弁護団が人殺しの少年たちをかばう風潮である。ところが女子高生殺人の判決に対しては、皆々口をそろえてストーカー男の無期懲役を論難する。私には死刑にせよと言っているように聞こえる。被害者の女子高生を美化して報道する。明るくしんが強く、大学受験を目指していたと、ほとんど紋切り型でその死を惜しむ口調である。

だが今や大学はそう苦労をしなくとも入れるご時世だから、大学を目指したことはさほど評価に値せぬと見る。明るくしんが強いということは、押し出しの強い面があり、性格にもきついところがあったのではないかと思われる。見かたを変えればこうなる。最もけげんなのは、当時27歳の社会人の男と一度なりとも付き合った娘の料簡である。私は昭和60年ごろ、何人かの女子高生、それも地域トップクラスの生徒ばかりにインタビューしたことがある。

つまり「交際相手の年齢の限界は?」という質問だったが、ほとんど皆口をそろえて「社会人は恐い」と言ったことを覚えている。加害者は当時27歳ぐらいであり、女子高生とは十の開きがある。私がインタビューした女子たちは、「せいぜい大学生ぐらい」と言い、中には「大学生でも少ししり込みする」と言った女子もいた。何より、大学受験を控えて男女交際は余り考えたくないと言っていた。被害者にむち打つようだが、昨今の女子高生は、恐れを知らないのではないか。さもなくば、大学を目指しながら男女交際にも興味を持つ被害者の料簡が解せぬ。

映画「無法松の一生」は人々が分際を知る時代の忍ぶ恋を描いて大衆の支持を得た。分際を知れなどと言うと立腹する人があるかも知れぬが、私は己れの分を知ることは必要だと心得るものである。今は形ばかりの平等で、各々の間に垣根がなくなってしまったかに見えるが、天分という言葉はまだ残っている。ならば分というもの、分際というものも全く消え去ってはいないはずである。今、中高生女子が、性に関してお盛んなようだが、くれぐれも要注意の時代でもあると言っておく。



「編集後記」in 2019
「無法松の一生」の昭和18年版の検閲について、新しい情報を得ました。
かつて検閲で「松五郎の告白シーン」がカットされたことにつき、検閲に関わった陸軍上層部の人は、「必ずしも作品が悪いのではない。時代が変われば、当該シーンも、名シーンとして認められることもあろうから、忍耐を請う」との意味のことを語ったそうです。
やはり我が帝国陸軍はわからずやではなかったと、このことにも感動致しました。
さらに検閲は正しくは当時の内務省によるもので、どちらかというと、警察権力だと思われます
陸軍と付したのは誤りかも知れません。






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最終更新日  2019.04.07 23:58:14
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