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テーマ:今日行ったコンサート(1138)
カテゴリ:クラシック
オペラシティコンサートホール 19:00〜
3階右側 シューベルト:冬の旅 テノール:マーク・パドモア ピアノ:内田光子 コロナが世界的な認識としては下火になって、いろんな音楽家がやって来てくれるようになりました。というか、ちょっとしたラッシュではあります。この間もプレガルディエンが来ていたようですし。まぁ正直全部付き合ってる訳にもいかないのでして。とはいえ、内田光子だし、これはまぁ行っておこうと思って買ったのではあります。 土曜にしては珍しく19時開演。それが理由でもないとは思いますが、客の入りは6割くらい。一階もですが、2階、3階も、正面だけでなく両サイドにも空席が。どうなんですかね。人気がないのか、コロナも第8波入りとか言われてますし、手控えているのか。どうもそんな感じでもなさそうだし、売れなかったんですかねぇ。正直、雰囲気的に、ドイツリート聞きに来てる感じでもないような人も少なくないような気も.... まぁ、マーク・パドモアはともかく、内田光子目当てというお客も少なくないのでしょう。でも、ねぇ、冬の旅だからねぇ.....どうだったんでしょうね。プログラムというかパンフレットが無償配布されていたのだけれども、上から見ていると、かなりの人がそれを開いて聞いていたようなのだけれども、別に歌詞が載っている訳ではなく、そんなに一生懸命読むほどのものでもないのだけれども..... こちらは勿論「冬の旅」を聞きに来ていますので、そちらが目当てというか、ポイントになります。勿論内田光子は以前から幾度か聞いているし、いいピアニストだとは思っている。マーク・パドモアも比較的近年シューベルトの歌曲集の録音を出しているし、最近「白鳥の歌」を内田光子と録音したのが発売されているし。そういう意味では演奏者に対する興味は十分あるのですけれども、まずは「冬の旅」を聞きに来ているのでして。 で、どうだったか。 演奏としては勿論良かったです。 最初、正直「あれっ」という感じがしたのは、ピアニストも歌手もなんとなく座りが悪いというか、やや気ままに演奏している感じがしたのですね。これは特に最初の方はそうだったと思います。フィットしないというような。演奏としては立派なんですよ。ただ、「え?そうだっけ?」という部分もあり。第1曲はかなりゆっくり目で、ただ、途中でテンポが揺れたりもして、「ん?」と思うことはあり。勿論、そういう表現なんだ、ということはあるのですが、表現だからどうやってもいい、というものでもないし、ね。「菩提樹」より後はだんだん落ち着いていく感じではありましたが。 上手く色々と噛み合うようになったのは後半でしょうか。特に、第20曲「道標」からの5曲、就中「宿屋」は見事。ここは歌手にとって歌い上げたいところなのですが、ピアニストも聞かせどころになります。パドモアの歌唱も勿論いいのですが、ここは内田光子の伴奏も素晴らしい。今月は、月初のシフ、先週の小山実稚恵とシューベルトが続いているのですが、「宿屋」の後奏での和音が、シューベルトの後期のソナタのそれと同質なのだな、と改めて思わされたり。そういう演奏でした。 加えて第23曲「幻の太陽」。正直言うと、「冬の旅」のクライマックスは、「宿屋」というイメージが強いのです。その後3曲は、どうでもいいわけではないですが、ただ、やはり「あと」の3曲、という感じはあって、多くの演奏でも、この「幻の太陽」などは、太陽共々沈んでいく感じではあるのですね。 この日の歌唱では、ここを大幅にテンポを遅くして、かつ、「宿屋」同様に歌い上げるような形で、敢えて言うならば、「宿屋」を人生に対する思い切りを歌うのに対して、「幻の太陽」では悲恋に終わった女への思い切りを歌う、というような、とか、そんな感じなんですかねぇ。 細かい話をすると、「宿屋」のテンポ指示は Sehr Langsam、とても遅く、なのに対して、「幻の太陽」は Nicht zu Langsam、つまり、あまり遅過ぎず、なんですね。上記の「あとの3曲」のイメージはこの辺にもあります。ちなみに終曲「手回しオルガン弾き」の指示は Etwas Langsam。私もそれほど詳しくはないのですが、いくらか遅く、くらいでしょうか。「幻の太陽」よりも速いくらいだったり。まぁ、それほど変わりませんが、「幻の太陽」ではむしろ「遅くしたいだろ?でも、そんなに遅くしちゃダメなんだよ」と言ってるくらいのイメージでしょうか.....この最後の2曲、この日の演奏はかなりゆっくり目でした。まぁ、そういうアプローチもあるよね、という枠内ではあるので、受け入れ難いみたいなことではないのですが。 この日のマーク・パドモアと内田光子の演奏は、そういう意味ではかなり自由に表現を追い求めているという感はありました。無論「こう書いてあるからこうでなきゃいけない」というものではないし、全然踏み外した演奏、というものでもないので寿司。なにより演奏としてとても良いものでした。特に後半は最後の方だけでなく歌唱としてまとまりが良かったし。 言い換えると、前半、やや散漫とした感じはありました。演奏が、というより、「冬の旅」という曲集として見た時、強い指向性、まとまりを感じさせるかというと、ちょっとそういう感じでもないような。特に前半は、ですね。むしろ逍遥するというような。つい彷徨する、と言いたくなるけれど、そこまで悲壮感は漂わない。逍遥、ですね。それが後半に向けて収斂していくといった感じでしょうか。 ただ、全体としては、「こうやりたいからやってみよう」という感じの演奏ではあったと思います。不思議なことに、テノールが歌う場合、こういうアプローチを取るケースがあるような気がします。バリトンだと、あまりそういう感じではなく、むしろあえてやると破綻する、みたいな。まぁ、その辺は多分気のせいだと思いますが.... そういう意味では、この日は終わってみれば「マーク・パドモアと内田光子を聞いた」に近い感じではありました。「冬の旅」としてはダメ、ということではないですけれども。一方でこの二人が「冬の旅」を喰った、というわけでもないし。いい演奏でした。ただ、そうだなぁ..........比較するものではないだろうけれど、逆に言えばこういう話をするレベルの演奏だったということなのですが、たとえば、昔聞いたディースカウやプライの「冬の旅」とか、そこまで昔じゃなくても、ボストリッジの「水車屋」とか、ゲルネの「冬の旅」とか、そういうのと比べた時、「ああ、「冬の旅」を聞いたな」という感じではなかったのは事実です。むしろ「マーク・パドモアと内田光子を聞いたな」という感じなのは確かです。それは立派なことではあるのですが、ちょっと毛色が違ったな、と言ったところでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年11月20日 11時19分13秒
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