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2023年03月20日
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カテゴリ:オペラ
新国立劇場  14:00〜
 4階左手

 オッフェンバッハ:ホフマン物語

 ホフマン:レオナルド・カパルボ
 ニクラウス/ミューズ:小林由佳
 オランピア:安井陽子
 アントニア:木下美穂子
 ジュリエッタ:大隈智佳子
 リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット:エギルス・シリンス
 新国立劇場合唱団
 東京交響楽団
 指揮:マルコ・レトーニャ
 演出:フィリップ・アルロー

 結論から言って仕舞えば、行った自分が悪い、ということになります。

 ホフマン物語。チケット発売時に勢いで買ってしまったのですが、もう何度もやっている演出の再演。初回は2003年だそうです。20年前。それ以来5回目だそうです。蛍光色多用したり、正直あまり好きではありません。美しくない演出と言っていいでしょうか。派手でどぎつい、まぁ、品の無い見た目です。問題はその品の無さが活きてないことでしょうか。
 そう、この演出、ホフマン物語という少なからずめんどくさいオペラを余計ややこしくしているのは確かではあるのです。元々とっ散らかったところのあるオペラな上に、版も幾つかあることになっていて、なにより作曲者の死後に初演されてるようなものなので、如何様にも弄られてしまう。で、この演出、最後にホフマンを自殺させる演出なのですが、確かにそういう演出も他にもあって、昔はそれほど気にはしなかったのですが、今回改めて見ると、全然必然性感じないんですよね。演出家のコメントだと孤独な死によって永遠の命が生み出されるだの、モディリアーニの死から連想しただの言ってるんですが、言い換えれば「死ななきゃ大したことない」って言ってる訳でね。どうなのそれ。とか思ってしまうのは、多分、私が歳とったからなんじゃないかとも思うのですが、しかし、死が永遠を導く、だから自殺させよう、っていうのは、ちょっとおかしいというかダメなんじゃないかと思います。安直だし。酔っ払いのままでいいだろ、と思います。いいじゃないかどうしようもない酔っ払いが永遠の芸術を生み出したって。死ななきゃミューズに愛されないって、ミューズは死神かね。

 で。演出はまぁそうだとして、公演内容はどうかというと、なんというか.......
 きっと、それなりに評判は良くなるんだろうなという気はします。それなりに一応演奏してるし。
 ただ、自分としては、どうしようもなくダメだな、と思って、軽く絶望するくらいにはがっかりして帰ってきました。これねぇ。多分分かってもらえない気はするんですが、書くとですね。一言で言えば「田舎芝居」なんですよ。
 これ、実は演出もそうなんですけれども、全体に、観ていて「何をやりたいのかわからない」、いや、と言うよりは、「他人に見せよう、聞かせようと思ってやってるようには思えない」感じだったんです。
 当人達は「そんなことない」って言うと思うんですよ。でもね。そもそも演出がそうだからどうしようもないのだけれども、歌唱も、舞台での挙動も、「そうすることになっているからやっている」感が強いのです。歌唱も、たとえばオランピア。あれは確かに人形で、ある意味滑稽で、機械仕掛けの歌で、それはそうだし、そのように聞こえて然るべき。でも、これはオペラで人が歌っているのであって、それを聞くのも楽しみの一つであって、そういう重層的なややこしさというのもこのオペラの楽しみだったりもするのだけれども、で、思わず思い出していたのだけれども、グルベローヴァは晩年も時々リサイタルでオランピアの唄を歌っていたのだけれども、リサイタルですらそうした重層的な楽しみというのを垣間見せてくれるほどであったのだけれど、まぁ、それと比べちゃ悪いが如何にも薄っぺらい。いや、これはオランピアだけではない。他も、ホフマンも含めて、皆、歌ってはいるけれど、如何にも書き割りチックな歌なんですね。いや、書き割りで歌ってるなら、それでもまだ「書き割り」レベルには見せる気があるのだろうけれど、今日のは正直言って、日本人キャストは「見せる」つもりでやってるようには見えなかった。

 天井桟敷で見てますからね。偉そうなことは言えないと言えば言えない。でも、悪いけど、見ていて、その役がどうであって、どうであるべきか、突き詰めて、説得力を持たせるレベルには見えませんでしたですよ。
 演出としての問題は勿論大きくて、そもそもこのとっ散らかった作品がどのように整理するのか、と言った時、「芸術家 死んで花実の 咲くものぞ」とでもいうような安直なところに持っていってしまうことで、3つのエピソードの統一感がまるで無くなるんですね。これ、元々無いので、無いのは仕方ないといえば仕方ない。ただ、だからそのままというのでは困る。何より、そうだとしても、じゃぁ、それぞれのエピソードではどう位置付けて行くのか。元々違う短編を脚色したものだから、無理はあるけれど、上演する以上その辺の難しさを承知で歌う方も考えて欲しいのだけれど、まぁ、考えてないよね。歌手ですのでこの役なのでこの役を歌います。楽譜にそう書いてあるからそう歌ってます。いや、そんなことない、って言われるんでしょうけれども。
 「田舎芝居」というのは、つまり、自分がやりたいことだけやってる感じなんですよ。見せてるつもりはない。これ、あれですけれどね、アマチュアなんですよ。つまり、二期会と同じ。出てる人が二期会所属が多いから言うのじゃないですが、自分の歌だけ歌ってる感じ。それが、オペラ全体を見てる人、つまり観衆にとってどうであるかは興味ないのかも知れない。

 合唱もほぼ同じですね。加えて、舞台上の挙措がひどい。これは演出の問題だけれども。

 オケは、音は出てましたよ。ただ、音楽的には、似たり寄ったり。つまり、演奏としても、司司はよくやってるのかも知れないけれども、それって全体としてどうなの?と言いたくなってしまう。

 なんでしょうね。言葉にすると酷い上に非常にわかりにくい。ただ、非常につまらなく思ったのは確かなんです。

 一つ追加するならば、いや、こちらが一番深刻なのかも知れないけれど、そもそもなんでこれを今回掛けるのか、それが一番の問題かも知れません。
 やっぱりね、これ、そんなに優れた舞台ではないのですよ。で、ホフマン物語という演目自体問題含み。その中で、どうしてこれを掛けたのか。フランス語オペラだと言うならば、何年か前にウェルテルをやったろうし、それでもいいじゃないかと。どうしてこれだったのか分からないけれど、敢えてこんなとっ散らかったものを選ぶのならば、相応に考えて取り組むべきだったんじゃないかと思います。

 一般的には高評価になるような気はしますが、なんだろうな。こういう公演があったことを1年後にどれだけの人が覚えているかな、という気はします。
 新国立劇場の迷走ぶりを示すものであるような気はします。





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最終更新日  2023年03月20日 02時17分29秒
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