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テーマ:今日行ったコンサート(1138)
カテゴリ:クラシック
すみだトリフォニーホール 14:00〜
3階右手 小曽根真:ピアノ協奏曲「SUMIDA」 <独奏アンコール> 小曽根真:Asian Dream ワーグナー:歌劇「ローエングリン」〜 エルザの大聖堂への行進 ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 WAB109 (ハース版) ピアノ:小曽根真 ベース:小川晋平 ドラムス:きたい くにと 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:大植英次 暫く新日は聞かなくていいや、と思っていたのですが、たまたま午後空きがあったこの日に、小曽根真の委嘱作をやるというので、調べたらまだチケットがあるじゃないですか......というわけで聞きに行ったのでした。 新日フィル創立50周年ということで小曽根真に委嘱したのがこの協奏曲「SUMIDA」。小曽根真、ジャズ屋でありながらクラシックも弾く、というだけでなく、山形交響楽団にも委嘱作としてピアノ協奏曲「もがみ」というのを書いてます。確かそんな題だった筈。一昨年くらいに都響と再演したんじゃなかったか。 なので、これが初めてではありません。ピアノ協奏曲なんだけれどベースとドラムスが入るのも「もがみ」と同じだったか、あっちは他にも入ってたかな?ともあれこの「SUMIDA」は今回の金土のシリーズが初演ということで、演奏者も作曲者本人だし、まぁ、委嘱作ですしね。 で。まぁ、賑やかで、墨田区界隈の歴史を踏まえて描いた作品、ということで、まぁ、そういう感じで、かつ、例によってジャズのイディオムがふんだんに織り込まれていて、かつ、小曽根真のオリジナルなテイストも勿論織り込まれていて、まぁ、悪くないと思いますが..............そうねぇ............まぁ、これを言うのもどうかとは思うのですが、小曽根さん、次は、是非、誰でも弾ける曲を書いて欲しいなぁと思ったりするのではあります。 んーとね。いや、いいんですよ。勿論。ただ、勿体無いなぁと思うんですね。つまり、端的に言うとですね、クラシックの楽曲にジャズのイディオムを取り込むというのはもうとっくにガーシュインがやって成功しているんですね。だから、それ自体はそれほど意味は無くて。で、そうすると、小曽根真の独自性というものが作品として求められるんだけれども、これも勿論申し分ない。ただ、小曽根さんの音楽は、というかこれは小曽根さんに限らずなんだけれども、パフォーマーにして作曲家というのは、往々にして自分が演奏する前提で楽曲を作ってしまう気がするのです。 いや、それはそれでいいのですよ。ただ、このピアノ協奏曲、小曽根さん以外の人が弾いて面白いのかなぁと。まして、ベースとドラムスが入るから、で、それなりにジャズのイディオムが入っているから、どうしてもそういう色が濃く見えてしまうのですね。それだと、他の人が演奏して面白いかどうか、いやそれ以前に弾けるかどうか、になってしまう気がします。技術の問題じゃないんです。音楽性というか、曲が人を選んでしまいそうな。 別に他の人が弾かなくたってかまやしないとは言えるんですが。でも、ラプソディー・イン・ブルーは、そういう意味では、ガーシュインでなくても弾ける曲になっているわけです。そういう意味で、次は、「他の誰かが弾く事も当たり前にあり得る」という前提の曲を見たいなぁ、と思うんですけれどもね。特に、ベースとドラムスも抜きで。抜くまでしなくてもいいかもだけれど、あくまでオケの一部に過ぎない形で。それで初めて「誰でも弾ける曲」になる気がするのです。別にいーじゃん、そんなこと、と言われれば、まぁ、そうなんですけれど、そういうの聞いてみたいなぁとは思うんですよね。 後半はオケのみのプログラム。エルザの大聖堂への行進の場は、まぁ、何でこれわざわざ取り出してやるんだろ、という感じなので、ともかくとして。恐らくはメインになるであろうブルックナーの9番。 悪くはなかったと思います。特に近年の新日からするとかなり真っ当な音を出していたと思います。管は、まぁ、毎度のことであまり安定してないですが、なにしろかなり増員して張り切ってやっていて、傷はあれどもまぁまぁその甲斐はあったというくらいの出来ではなかったかと。 問題は弦ですが、例によって弦を張りつめて金属的な音を出すスタイルは変わらず、ですが、この日はまだしもましに響いていたと思います。そこまで聞き苦しくない。大植英次の薫陶でしょうか。でもね、実は、この1週間前に、10年ぶりくらいでクリスティアン・アルミンクが振りに来てたのですよ。それじゃないかなぁと。だって、今常任だの何だので定期的に振ってる人で、オケきちんと鍛えられる人いないですからね。邪推ですがね。でも、やっぱり新日アルミンクでなきゃダメじゃん、というのが、この十数年の変遷を聞いての結論ではあるかも知れない。 スライディング土下座でもしてでも、もう一度振ってもらうべきだと思いますよ。文句のある団員には出て行って「新・新日本フィル」とか作って貰えばいいんじゃないかと。自主的には無理だったし、おしこのまままた良くなる一方ならともかくですが、多分そうはならないと思うのでね。 まぁ、来年くらいにでもまた聞くとして、さて、どうなってるかなぁ。 ブルックナーとしては、まぁ、そういうことで、悪くなかったと思いますよ。ただ、久々に9番聞いたけれど、割と退屈でしたかね.... 元々最終楽章、今回は補筆版ではないので第3楽章ですが、これは最終楽章として作曲されたわけではないから、中途半端に響く部分はあるのですが、それにしてもちょっとダレたかなぁ、と。最後、大植英次が微動だにせず、結構長い時間じっとしていたのだけれど、お客の方はついて行けませんでしたね。拍手始まってしまった。悪い演奏とは思わないし、気持ちは分かるんだけれど、お客の方も含めてそこまでじゃない、って感じでしょうか。その一因に、終楽章後半の、ややダレた感じがあったんじゃないかなぁという気はちょっとしました。お客さんって、割と正直ですからね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年03月22日 01時23分26秒
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