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テーマ:今日行ったコンサート(1138)
カテゴリ:クラシック
<2/22> サントリーホール 19:00〜 ピット席 <2/25> オーチャードホール 15:00〜 3階正面 ベートーヴェン:交響曲第6番 へ長調 op.68 「田園」 ストラヴィンスキー:春の祭典 <アンコール(2/25)> 「春の祭典」〜大地の踊り 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:チョン・ミュンフン うーん............................. 今月はチョン・ミュンフンの指揮。先月はプレトニョフだったので行かなかったから、定期は今年初です。まぁ、それはいいんですけれどもね。サントリーは所用があって前半の「田園」だけ聞いて出てきました。それで記事にするのもなんなので、まとめて書くことにしたんですが....... 木曜も日曜も雨模様。それでも日曜日はチケット売り場に長蛇の列。どうやら事前にネットで買った人もそちらで渡すということらしく。最近、東フィルのチョン・ミュンフンの回は、韓国系と思しき人も多いようで、これはN響なんかでもそうですけれども、インバウンドのお客さんが増えてるような気はします。客筋は例によって有名どころを聞きにくるおじさんおばさんが多いなぁと。 まずは「田園」なのですが............. まぁ、「いい演奏」だったとは思います。ただ................ コンサートのプログラミングというのは意外と気を遣うものだと思います。よくあるのは同じ時期や同じ、あるいは付き合いのあった作曲家の作品同士を組むというやり方。あるいは何某かのテーマで組むというのもありますが。で、よく、似たような作曲家の作品を並べて、バリエーションに乏しい、みたいな見られ方をすることもあるのですが、その一方で、あまり親和性のない作品を組むのもどうかなということもないではない。食い合わせみたいなものですね。うなぎに梅干し、天ぷらにスイカ。まぁ、あれだって、もっともらしい理屈があるといえばあるし、迷信といえば迷信でもあるし。とはいえまるで無根拠とも言えまいと。 そう、このプログラミング、「田園」と「春の祭典」というのは、そういう意味ではかなり縁遠いと言っていいと思います。プログラムではどちらも作曲家の自然観が表れている作品云々理屈付けていますが、それはそれとして、この組み合わせ、ちょっと食い合わせがよろしくないのではないのかなと。何処のオケでもそうだとは言いませんが、少なくとも今日の東フィルとしては難しい組み合わせだったのかなとも。 結論から言うと、このプログラム、どうも受け止めとしては「春の祭典」がメイン、ということなんじゃないかと思うのです。いや、それがいけないとは言いません。まぁ、私個人としては、やっぱり「田園」でしょ、と思っているのですけれども。ただまぁそれはいい。問題は、どうも、ベートーヴェンの演奏がストラヴィンスキーの方に引っ張られてるんじゃないかという気がしたのですね。 サントリーでもオーチャードでも感じたのは、「田園」でのオケが、特に弦が、拡がりを見せなかったこと。この曲をどのように捉えるのか、考え方は色々あると思います。ただ、これが自然の情景、或いはそれを見る誰かの感情の描写に満ちた作品であり、古典の枠をはみ出たものであるように感じられるとしても、その一方で、その語法、構成の基本は、やはり古典派の延長線上にある。だから、第一楽章は、あくまでソナタ形式を踏襲するし、であるからこそ、提示部の後半では描写としても構成としても、音楽としてオーケストラが拡がりを持って演奏して欲しいのです。まさに展開部。いや展開部じゃなくてまだ提示部なんだけど。でも、固いのですよ。オーケストラが花開かない。 よく言えばタイトな演奏です。全体としてはいい演奏としてもいいと思います。ただ、響く空間に限度があるサントリーのみならず、オーチャードでもあれだけ開かずにタイトにというか固く行ってしまうと、ちょっと「田園」としての楽しみは薄れてしまう。 もう30年以上前、「田園」を盛んにCDで聞いていた頃があって、その時のお気に入りは、ムラヴィンスキーがレニングラード管だかを振ったものでした。録音もそこそこ古かったけれど - もっとも当時はまだムラヴィンスキーはそこまで古いとは言われていなかったけれども - 、この組み合わせはなるほど重い。重苦しそうなのだけれど、しかし、ちゃんと田園なのです。何よりも描写がどうとか以前に、オーケストラとしてきちんと華やぐところで華やぐ。まぁ、今時の、古楽器オケなんかとは比べ物にならないスタイルではありますが、それはそれでちゃんと現代オケで演奏する「田園」としてきちんと鳴らしていました。ちなみに私が持っていたCDのカップリングは、確かチャイコフスキーの弦楽セレナーデ。私は別にこういうのが特に好きというのではなくて、ムラヴィンスキーだって他であれこれいいと思ったことはなく、その後も今も殆ど聞きませんが、しかし、あれは掛け値なしに良かった。オーケストラ音楽を聞く楽しみを感じさせるものだった。 実演だから、ということでなく、今回の東フィルの「田園」は、拡がりがなかった。 もう一つ言っておきたいのは、弦が弾ききれていないこと。サントリーではピット席だったこともあってあまり気にならなかったのですが、オーチャードの3階で聞くと、特に第一楽章など、弦がフレーズを、というより音符を音価通り最後まで弾ききれていない。抜けちゃうんですね。日本のオケあるあるですが、最近の東フィルではあまり感じなかったのだけれど、今回はどうも抜けてる。指揮者の指示故なのかオケの問題なのか、なんとも言えませんが。こう言うと「いや、1階席ではちゃんと聞けている。3階なんかに座る方が悪いんだ」と言われるかも知れませんが、ちゃんと弾ききればそんなことにはならないんです。抜くのはダメなんですよ。むしろ負け惜しみを言わせてもらうならば、それこそがオーチャードの3階席に居座り続ける理由です。オーチャードは誤魔化しが効かない。演奏する方も、聞く方も。 全体に悪い演奏ではないんですよ。でも、これは、悪い演奏ではないけれど、決して「田園」の魅力を引き出してやろうとした演奏とは言えないのではないかなぁ。 そうなってしまうのには、やはり食い合わせ、つまり、「春の祭典」があっての「田園」だから、なのではないのかなぁと。 田園でもう一つ気になったことがあるのです。それは、トロンボーン。見ていると分かるのですが、この曲でトロンボーンは第5楽章まで確か出番はありません。見落とし聞き落としがあったかも知れないけれど、確か、無い。最後の、アタッカで続けて演奏される第3楽章から始まって、最後の第5楽章「牧歌、嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」の最後の方で、とうとうトロンボーンが出てくるのです。昔本で読んだ覚えもあるのだけれど、このトロンボーンは「神の声」なんですよね。なんでそうだと言われても、元々古典派の頃はそのように認識されていた、ということで、実際、ここのトロンボーンも殆どこの一声みたいなものだからこそ、ここは力の入れどころなのだけれど、これが全然「神の一声」のような感じじゃないんですよね。これは古典派のトロンボーンじゃない。 「春の祭典」では、トロンボーンは、もう、攻撃的で暴虐な金管楽器の一員でしかない。ただの金管楽器。でも、「田園」のトロンボーンは神の声、なんです。そこは表現し分けて欲しい。食い合わせ、と言うのはこうしたことです。 この食い合わせは多分全体にもあって。この日の「春の祭典」は、やはり非常にタイトな演奏でした。多分そう言うアプローチなのでしょう。この曲。オケで生で聞くのはかなり久しぶりだなと思っていて、ピアノ連弾とかで聞いた記憶の方がむしろ強くて、なので「普通」がどうとかあまり言えないのではあるけれど、ただ、もっとオケを暴れさせる演奏が多いんじゃないかと思うんですよね。この日の東フィルは、チョン・ミュンフンにガッチリ手綱を握られて、コントロールされた演奏と言っていいのかも。その意味では確かに見事なのですが、しかし、これがいいのかと言われると.........うーん............... 「春の祭典」をわざわざやるのならば、やはり、オケとしての響きを開放するような演奏がいいなぁと思うんですよね。いや、つまり、多分私はなんであれオーケストラを聞く上で求めるのってそこなんですよ。響き。この日の演奏は、確かによくコントロールされていたかも知れないけれど、それは私の聞きたい響きじゃない。響かないと言われるオーチャードだからこそ、響きを大事にして聞かせて欲しいし、全力でやって欲しいと思うのです。 勿論、このプログラムをとにかくこなすのが精一杯で、オケ的に縮こまってしまっているということかも知れません。それならそれでもっと頑張れとでも言うしかないんですけれども。どうなのかなぁ。 まさかのアンコールが「大地の踊り」、いわば一番派手なところなのは、多分、この統制の取れたオケを見よ、と言いたいのかも知れません。でもそれは私が東フィルを聞きに行く時に求めているものではないな。私がチョン・ミュンフンを立派と思いつつも決して好きとは言えず、バッティストー二を好む理由がそこにあります。 場内はそこそこ拍手喝采だったようですが、そういうことなので、個人的にはそれほど感心はしなかったのでした。まぁ、オーチャードでの田園で少なからず「あれ?」と思ってしまったので乗れないのかも知れないですけれどもね。ともあれ、少なくとも、春祭に気が行ってしまっていて、あれは確かに忙しいから弾き飛ばしたくなるのかも知れないけれども、ちゃんと田園では弾き飛ばさずに丁寧に弾ききるようにして頂きたいです。行かないけど、火曜日にオペラシティでやりますからね。偉そうに口幅ったいことを言いますが、それが音楽に対して誠実、ということなのだと思いますのでね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年02月27日 02時01分24秒
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