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ヴィーテ・イタリア高岡(Hiruccio)のイタリアワイン&主夫日記

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2008/07/21
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カテゴリ:ヴィーテ上級大阪
22日開催しましたイタリアワインスクール上級編の


マストロベラルディーノ特集


についてお伝えします。というか、最初はカンパーニア州とナポリに
ついてのガイダンスです。


マストロベラルディーノは、カンパーニア州アヴェッリーノ県
アトリパルダを本拠地とした大御所的なワイナリーですね。



およそイタリアほど、我々日本人がイメージする


  陽気で明るい国民


というキャラクターからかけ離れた、画一的イメージと
異なる国もないと思われますが、このカンパーニア州の
ナポリほど、このステレオタイプ=「陽気で明るい」性格が
ぴったりと嵌るところもないのではないかと思います。


とはいえ、その明朗さとは、ディズニーキャラクターに
代表されるような垢抜けた、ソフィスティケートされた
きらびやかな明るさとは大きな溝というか、次元の違う
明るさがあるでしょう。


ディズニーの起源は、アイルランド、更に歴史を遡れば
フランスのカルヴァドス県「イズグニー」に行き着く
といいます。


移民の子孫であり、アメリカ合衆国という国家同様に
イケイケ街道をまっしぐらのアメリカンドリームの権化が
生み出した明るさのキャラクターは、日本の戦後と同じく
誰もが目指した「中流」の意識と重なるものがあるに
違いありません。


一方のナポリの明朗さとは、「極貧」の明朗さであり、そう
した希望を微塵ももてないものの皮肉とあきらめが
合い混じったものではないかと思います。


しかし、南イタリアを見たとき、シチリアのパレルモにも
サルデーニャのカリアリにも、プーリアのバーリにも、ナポリ
という街が発する「明るさ」は感じられません。


このナポリらしさが何かと考えると、「寛容さ」という言葉を
思い出します。


昨年のカンパーニアツアーの際に、知ったことですが、ナポリには
ヨーロッパの大都市に必ず存在するユダヤ人ゲットーが
存在しないそうです。


ブルボン王朝統治時代に当局が作ろうとした際にも、人民側が
反対をしたそうです。


ヒューマニズムの観点からいうと、実に美しい話に映ります。
個人的には微妙に違うのではないかと推察しますが、ともあれ
目に見える形で被差別人民を隔離する政策にはそっぽを向いて
来たナポリがあります。


寛容という言葉は一見、立派なイメージを与えますが、一方では
無関心、無頓着ということもいえるわけで、このちょっと意地悪な
感覚からナポリを見れば、ナポリの明るさを説明することも
可能ではないかと思います。


もう一方に一神教の不寛容と多神教の寛容という表現もできます。


ナポリはギリシャ起源の街であり、伝統的にローマ時代も
一貫してギリシャ文化を重んじてきた歴史があります。あの
ギリシャ文化崇拝者であった皇帝ネロもギリシャでは自ら
役者を演じ、楽曲を披露したといいます。


現代のナポリの町の地下は、ギリシャ時代の街が存在している
くらいに、この町の根本はギリシャそのものなんですね。


そういう街に被差別部落を隔絶する区域をつくるなど、イメージ
できなかったのかもしれません。


ナポリは寛容と無頓着の街ではないか、という気もするくらい
です。


ところが、ワインの話となると、カンパーニアワインの
キャラクターは、圧倒的な不寛容に徹しているといっても
良いくらいなのです。


つまり、インターナショナルなブドウ品種に対する不寛容です。


他州がシャルドネ、カベルネ、メルローをドラスティックに
導入しつつ、自らの土着ブドウのポテンシャルに目覚めていく
のに比べ、この州だけは最初から


  俺たちには、俺たちの品種だけで十分だ!


という気概というものを感じるのです。


というか、DOC法においても、外来品種は認めていない。

これは、今のイタリアワイン全体の流れからしても、考えられない
事実です。



他州のワインでは、頻繁に見かけることの出来る外来ブドウの
存在がこの州ではほとんど認められないのです。


ウソだと思うなら、楽天ショップで、カンパーニア州のワインで
検索をかけるといいでしょう。


ほぼすべて「土着ブドウ」のオンパレードになります。


カンパーニア州とその州都ナポリの性向は混同できないのかも
知れませんが、いずれにせよ、このカンパーニア州の、不寛容な
積極性の中心にいるのが、マストロベラルディーノ社なのです。


ベラルディーノ家の起源をたどればゲルマンに行き着くとも
言われ、ここに何らかの「頑なさ」を求めることも可能かも
しれませんが、やや短絡的な気もしないでもない。


むしろ、このワイナリーが本拠地を構えるイルピーニアの地の
テロワールの濃さ、個性の強さ、質の高いワイン作りの風土
面の充実度を考えてみたいと思います。


一説には、「南イタリアのアルザス」と言われるほどに
標高が高い冷涼地なのです。


土質は粘土石灰質・・・・・つまりピエモンテ、トスカーナ
そしてブルゴーニュなど偉大なワインが生まれる土壌と
ほぼいっしょです。


熟成に耐える偉大なワインができる土地という認識が伝統的
実力者のメンタリティーを支配していなかったとしたら、戦後の
大量生産ブームに乗じた外来ブドウの侵入も簡単に許していた
かもしれません。カンパーニアは意外にも北イタリアの
代表ブドウ「バルベーラ」の勢力も依然存在しているくらいです。


これがマストロベラルディーノの積極的不寛容によって制度と
して、外来ブドウでの醸造を認めない方向性を獲得します。


今のカンパーニアを見て、土着ブドウのヴァラエティーの豊かさに
心躍らせない人はワインファンではないでしょう。


コーダ・ディ・ヴォルペ
アスプリーニオ
ファランギーナ
ビアンコレッラ
グレコ・ディ・トゥーフォ
フィアノ
ピエディロッソ
シャシノーゾ
アリアニコ



これだけのブドウ品種を見て、今気づいたのですが


「もう十二分に寛容ではないか」


と思うのです。



何らかの刺激としての外来文化を必要とするためには
何らかの貧しさや不平不満というものが原動力となる
はずですが、これだけのブドウ品種をもちえていた
カンパーニアには、実は、外来品種を頑なに拒否した
というよりは、すでに「充足していた」ということも
いえるのではないかと思えてきたのです。


とはいえ、それは今日でのこと。戦後の荒廃した状況の
中ではそういう暢気なことも言って入られなかったでしょうが
それにしても、その時代にカンパーニアワインのヴァラエティーの
豊かさについて熟知し、今日を予見したかのようなアントニオ・マス
トロベラルディーノ氏の見識の深さ、指導力には舌を巻くしか
ありません。



今なら、誰もがワイン界のグローバリズムの功罪については
知っています。


でも、数十年前にすでにそれを予見しつつ、カンパーニア州に
極めて「正しい」方向性を与えたマストロベラルディーノ社の
功績は、どんな州のどのワイナリーよりも偉大ではないかという
思いに支配されます。


続く








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Last updated  2008/07/26 11:22:36 AM
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