カテゴリ:国際政治
第一次世界大戦(17)
ヴェルダンの消耗戦 東部戦線やバルカン半島での戦いは、古典的な機動戦が行なわれたため、オーストリア軍の大きな被害にも関わらず,ロシアとイタリアを相手に、ドイツ側がやや有利な状況にありました。 ところが塹壕戦となった西部戦線では、武器補給能力からいっても、ドイツ軍の勝利は望み得ない状況に陥っていました。そこで、ドイツ軍参謀本部は、ドイツが負けない戦いを続け、敵の戦争継続意志を挫いて、大きなマイナスなしに戦争を終結する道を模索し始めました。 そのための目標に,ドイツ軍が選んだのが、フランス軍が戦略的に重視する防衛拠点ヴェルダンの要塞でした。ドイツ軍参謀総長ファルケンハインは、ヴェルダン要塞を占領する必要はなく、フランス軍に多大な出血を強いる事ができれば、フランスの継戦意志を挫く事が出来るので大成功である。その目安は、両軍の損害比率が、フランス軍を100とした時に、ドイツ軍が60程度であれば良いと、計算していました。 こうして1916年2月、ドイツ側から仕掛けられたヴェルダンの会戦が始まりました。ドイツ軍は1200門の砲を揃え、100万発の砲弾を撃ち込んだ後、火炎放射器部隊を先頭に、フランス軍に向って突撃しました。しかしフランス軍の堅塁を抜くことが出来ずに、両軍の犠牲は、ほぼ対等のまま時間ばかりが経過する消耗戦となったのです。 11月までの9ヶ月間、幅30キロメートル、奥行き7~8キロメートルの狭い地域で、両軍の凄惨な戦闘が絶え間なく続けられました。両軍が毒ガスや飛行機を使い、使用された砲弾は、両軍合わせて2000万発を超え、136万トンに達したと言われます。 ドイツ軍の思惑は、見事に外れたのです。ファルケンハインは,4月には作戦の失敗を認めていたようですが、メンツに拘って次々に新手の軍を戦場に送り出したのです。ヴェルダンの戦いは、ドイツ軍が出発点に戻ったことで、年末になって終結しました。 この戦いでのフランス軍の死傷者は36,2万人、ドイツ軍の死傷者も33,7万人を数えたと言われています。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.12.02 16:09:38
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