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カテゴリ:信州 旅行
GWのお休みを利用して、妙高高原の方へ、テニスをやりに行きました。
TVなどでご覧になったと思うのですが、高速は大渋滞。 やっと、自粛ムードもひと段落という感じでしょうか? お店の患者さんも、かなり少なくなっていたんですよ。 まあそのおかげで、ゆっくり休暇をとることができました。 高速が渋滞していたので、当初の予定をパスして、善光寺に直行しました。 GWの善光寺って結構込んでますねー。 朝のお数珠頂戴の時間には、当然間に合いませんでした。 この時期、朝のお数珠頂戴は6時ごろのようなので、絶対に無理なのですが、 11時までに行けば、日中法要のときにいただけるかなと、10時ごろに行ってみました。 DSC01880 posted by (C)EZ30 まずは、日記の題の一生に一度は善光寺参りと同じくらいに語られる牛にひかれて善光寺参り。 追いかけていった牛が結局菩薩さんの化身で、善光寺につれていかれたという話だったような? 山門前の案内所に鎮座する牛の像です。 みななでているので、ぴかぴか。 一生に一度は善光寺参りと言いましたが、私は5,6回目になります。 DSC01883 posted by (C)EZ30 何度見ても見事な造りの宿坊と、石畳。 すばらしい。これを見ただけでここにきた価値があります。 DSC01822 posted by (C)EZ30 お数珠頂戴を気にしながら、山門へ上ってみました。 中央にある善光寺の字額の文字に鳩が3羽使われています。 DSC01876 posted by (C)EZ30 ちょっと大きくしてみました。お探しください(笑) 善光寺山門は、江戸時代中期の寛延三年(1750年)に建立といわれ、 国の重要文化財に指定されています。 今回、HP上の山門特別拝観をなさっていただいた方に、記念のカードをお配りしています。 カードの中には、平成大修理の直前まで、山門の屋根を守っていた檜皮の小片が入っています。ご参拝の思い出、あるいはお守りとしてお持ちください。 という文章に引かれ、目的のひとつでした。 檜皮の小片が中央に置かれたカードを一人一枚ずつもらいました。 拝観料500円でした。 山門中には、本当の意味での一生に一度は善光寺参りの方々の落書きの数々。 遠くは長州の国名と名前がかかれてました。 その落書きのひとつひとつを眺めながら、古に思いをはせました。 ちなみに今は重文なので、落書きなどはもってのほか、新しくても昭和30年代前半の日付でした。 それにしても、墨で書いたものって消えないんですねー。 山門内撮影禁止なので、お見せできないのが歯がゆいです。 山門から、外の景色は、撮影可でした。 DSC01831 posted by (C)EZ30 山門から見た境内。 参拝者が一杯です。 DSC01845 posted by (C)EZ30 この現在の本堂は宝永四年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されているそうです。 美しいですねー。 信州の建築物は、武家屋敷等も養蚕のためか?屋根が高くて重厚ですね。 そのほか、善光寺内の写真を少し。 DSC01854 posted by (C)EZ30 この鐘楼の鐘の音は、長野オリンピックの開会式のときに鳴り響きました。 日本音風景100選に選ばれているそうですが、いろいろな100選があるものですね。 DSC01861 posted by (C)EZ30 こちらは、今が旬ではないでしょうか?徳川家大奥供養塔です。 徳川家からの信仰が厚かったのでしょうねー。 大奥と善光寺。 なにかつながらないのですが、昔の人は信仰が厚かったのでしょうね。 貴重な、物件だと思います。 DSC01858 posted by (C)EZ30 江戸時代の百姓一揆の犠牲者の供養塔といわれているそうです。 また、「二斗八騒動」で処刑された人々の供養塔ともいわれているそうです。 立ち姿が、何か儚い感じですね。 DSC01867 posted by (C)EZ30 境内で時間をつぶし、お数珠頂戴がありますと、放送に誘われ、 私もお上人様から直接頭を数珠でなでていただきました。 私結構、信心深いのですよ。柄に合わないってよく言われるんですけど。 本来なら写真を撮ってはいけないのですが、かなり遠くでとってますので、 お許しください。 その後、善光寺参道とフラワーフェスティバルを見学に行きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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