吾妻横断はならずー大沢下りにエスケープー
2017年3月第2週の週末、天気予報は良さそうだった。特に日曜日は高気圧が日本列島を覆うとのこと。念願の吾妻横断には格好に思えた。しかし、日本海側では一部悪い予報も出ていたようだった・・・。とりあえず、吾妻連峰天元台から谷地平を経て土湯温泉へ降りるコースのプランになった。なお、私は2010年に大沢下りをしており、記録はhttps://plaza.rakuten.co.jp/yamabokesya/diary/201002280000/。11日11:30 天元台リフト降場(1815m)ー12:20 中大巓(1964m)ー16:00明月荘(1831m)山形新幹線つばさ123号に乗車し,9:24、米沢駅に降り立った。車内から男体山、那須連山がきれいに見えていたが、安達太良山あたりでは山頂部が雲に覆われ、東吾妻と西吾妻も山頂部に雲がみられた。一抹の不安が横切るが、楽天的に、これから好転するのだろうと思った。同じ新幹線に乗っていた3名と合流し、予約してあったジャンボタクシーにザックとスキー板をほうりこんで、天元台に向かう。約1時間、10120円で白布温泉の湯本駅に着いた。10:30、天元台ロープウエイで天元台に着くと、外はガスっていて、寒い。変だなあ・・・。予想外・・・。ヤッケの下に薄手の羽毛服を着用する。3台のリフトを乗り継いで1815mの山頂駅まで行く。1900円也。シールを付けて羽毛服を脱ぐ。2010年2月末に大沢下りをしたときは樹氷があまりなかったが、今年は樹氷が良く育っている。しかし、視界は2~30m、青空でないことが残念。11:30、出発(1815m)。ほかに登山者もスキーヤーもいない。トレースがある右手方向から樹氷原に踏み込んで行ったが、これは西吾妻へ行くトレースだったようだ。見限って、左手方向に進む。左手、南側から回った形で中大巓1964mの山頂エリアにのったのは1時間近くたっていた。前回はリフト降り場から中大巓まで20分だった。時折、上空のガスが薄くなって薄日が差すと視界が広がる。東に進路を変え、縦走路の稜線を進む。人形石がうっすらと見えたが、時間がかかっていて本日の行程に不安を感じた。100m近く下ってから、藤十郎方向へと、凹凸の少ない広い尾根を進む。晴れていれば鼻歌交じりの散策路なのだが。たまに蒼空がのぞく時もあった。13:20、右手、南東側下方のガスが薄くなって谷地平方面がみえた。このまま晴れてくれるように祈る思いだったが、次第にガスは濃くなっていった。トレースはまったくない。稜線の風は強く、サングラスの隙間から目に冷たい風が吹き付ける。ゴーグルを持ってこなかったことを後悔した。快晴の霧ヶ峰の後で、油断していたような気がする。これは立派な冬山だ。こうなると広い尾根がアダとなり、しばらく進んでは地図、磁石、GPSを照らし合わせるために立ち止まるということの繰り返し。ジグザグに進んでいるのか、行程ははかどらない。吹き溜まりのちょっとした下りもあって、次から次へと転んだ。東大巓が近づくにつれてガスは一層濃くなってミルキーになる。斜面が上がっているのか、下っているのかよくわからない。匙リーダーによれば、「GPSを見るだけではなくて、ストックで、これから踏むつもりの地面をつっついてから歩む。油断すると、いきなり吹き溜まりにスキーの先を突き刺してつんのめる」。リーダーが先を急ぐかのように650gの軽量板で速足で先に行ってしまう(谷地平まで行けるかとピッチをあげたという)と姿が見えにくくなり、後続のK原さんも見えず、ガスの中に一人状態。時間がおしてきた。ついに東大巓の手前で、リーダーのギブアップ宣言。谷地平はあきらめて、明月荘へエスケープすることに決定した。とりあえず、夏道の分岐まで登り、明月荘へ下ることにする。分岐からも視界がなく、明月荘に着くまで1時間もかかった。普通なら10分ぐらいなのだが。明月荘の三角の屋根の形をみつけて、16:00、着。前回はここまでリフト降り場から2時間だったが、今日は4時間半かかった。小屋の4辺のうち、吹き溜まりのある北面に出入り口があった。南に作ってくれれば苦労しないのだが。出入り口をスコップで掘り出す。意外と早く、30分で2階の扉を掘り出して中に入ることができた。3週間前に知人一行がここで泊まっている。3週間でずいぶんと埋まってしまうものだ。彼らも谷地平を目指していたが天元台でリフトが動かず、明月荘に泊まった。彼ら同様、私たちも明日は大沢下りとなる。小屋の中は広くきれいだったが寒かった。食当はリーダーで、みそ汁とアルファ米。20時前に寝てしまう。テントの中のように4人固まれば暖かいのに、なぜかばらばらに寝た。私はゴアでないナイロンのシュラフカバーを持ってきたせいか、寒かった。やはりゴアでなければだめだ。小屋にあった薄手のフリースの敷布をシュラフに引きずり込んだけれどやはり寒かった。皆は象足を持っていたし、I井さんは羽毛ズボンもはいていた。本日の宿泊場所に予定されていた谷地平は標高1500mで谷底だが、ここは1831mで、ほぼ稜線。防寒対策を反省。3時半頃、トイレに外へ出ると風は弱いが真っ白。明日は大沢に下れるのだろうかと思った。天元台Uターンもありか。3月12日8:20明月荘(1831m)発ー9:30 明星湖ー10:40ちゅんちゃんころがしー11:45 砂盛(1400m)ー14:20 大沢駅分岐(520m)ー15:00大沢駅(470m)5時半起床。朝食はみそ汁オジヤ。外に出ると若干のガスは残っているが晴れている。8:20、出発。しかし、鯨の大斜面へ、北へ行かなければならないところを、展望があった北東へ勢いで100m近く下ってしまった。戻ろうとしてトラバースに入る。8:40、樹氷原で私の前を歩いていたK原さんが突然、ズボッと頭まで雪の中へもぐってしまった。雪面の穴にK原さんの白いヘルメットが見えた。木の枝に引っかかって下まで落ちずに済んだようだ。K原さんが、「全員の力で引っ張ってくれ」と下からいったが、なんとかI井さん一人の力で上がってこれた。樹氷原を進むのは危険と判断して、稜線へ登り返すことにした。9:30、稜線についた。広大な雪の原だ。明月荘に直線距離では500m位の明星湖に近い場所。1時間ロスしたが、まあ、北東斜面の滑降を楽しんで登り返したといってもよいか。東大巓が見える。9:40、鯨の大斜面、大沢下りに入る。晴れてきて気持ちの良い雪原を下る。ノントレース。雪質が良く、滑降を楽しむ。樹氷はどんどん小ぶりになっていく。10;20、一休み。春スキー日和だなあと思う。北に蔵王、南西に朝日連峰などが見えた。10:40、忠ちゃん転がしの手前の痩せ尾根に出た。10:50、慎重に下ると忠ちゃん転がしの急斜面に出た。前回は氷っていたが、今回は滑降に気持ちの良い斜面に出来上がっていた。リーダーが珍しく、きれいな数ターンのトレースを刻んだ。私も何とかターンが決まった。もう一段、おいしい斜面をいただいた。しばらく進んでから、砂盛の手前でシールを付けた。砂盛(1400m)を登る。11:45、樹林をくぐりぬけると記憶にある展望の良い場所に出た。一休み。暑くなってきた。12:20、ドロップイン。約150m下ると、林道に出た。林道をショートカットしながら林の中を下っていく。手前の尾根に少しだけのってしまい、すぐ気が付いてシールを付けないで戻ったりした。12:50、振り返ってみえるのは砂盛か。大小屋川左股を渡る場所が分かりにくかった。騒ぐことはなく、林道を忠実に下ればよく、予想より下の方だった。13:30、橋を渡った。沢にはたくさん穴が開いていた。やがて広々とした雪原、吾妻山麓放牧場に出た。朝日連峰が見える。そこから大沢駅に行く分岐を見落とさないように注意して林道を下って行った。前回は分岐に気が付かず、道面が凍っていたのでガンガンすっ飛ばし、下の集落まで下ってしまったのだった。その時は親切な福島登高会の方が大沢駅まで車で送ってくれて助かった。橋を3つ渡ると右手に沢が入ってくる場所があった。14:20、左に木の葉におおわれて小さな「大沢駅」という標識が木の幹に打ち付けてあった。一休みしていると、単独の男性が下って来た。今朝、天元台を出た方だろうか。トレースを使わせていただいたといっていたが、砂盛は巻いてしまい失敗だったとのこと。彼はそのまま、真っすぐ下っていくので、車を回してあるのだろうかなどと話すが、結局、途中から大沢への道へ登り返してきた。大沢駅までの道は鳥谷岳の巻き道で、倒木もあったりして、意外と大変で長かった。最後は杉林を抜けて、15:00、大沢駅(470m)近くの道路に降り立った。前回は明月荘から3時間だったが、今日は6時間半かかったことになる。大沢駅について驚いたことは、登りは18時までなく、つまり3時間待ち、米沢方面も1時間半待ちということだった。プラットフォームの幅は1m45cm位で、柵もない。鼻先をかすめて新幹線が右に左に往来するのだが、この駅は置き去りの異次元空間というか、世界に存在していないみたいだ。駅の周辺には喫茶店はもちろん、コンビニなどの店はまったくなく、猫屋敷が一軒あるだけだった。もちろん観光名所ではない。駅にはトイレも暖房も、自販機さえもなかった。リーダーとK原さんは福島からバスで予約してあった土湯温泉の宿へ行くので、酒を飲みながら3時間待つという。I井さんも福島から新幹線に乗るという。私は駅の寒さというか、正確には寒々しさに耐えかねて、16:40の下り電車で米沢に出て、新幹線で帰ったのだった。(GPSデータ佐治さん作成)