秋晴れの高妻山で100名山達成
本レポートの3週間前と3週間後に戸隠高原にいき、高妻山を戸隠山の背後に遠望する機会があったので、写真をおみせします。右手奥に見えるピークが高妻山です。(9月10日 全国集会下見で飯縄山に登山)(10月23日 台風18号に伴う雨で登らず直帰)2017年10月1日前日の9月30日、戸隠キャンプ場のログハウスに15時頃チェックインした。ログハウスは7.5帖位の広さで、天井が高く、しっかりした造り。敷地内にはほかにコテージやバンガローもあった。ログハウスは一泊9000円、コテージは一泊18000円。コテージは満員だったそうだ。敷地内には多くのキャンプサイトもあり、電気が配線されているサイトもあった。私たちの間ではキャンプに電気釜を持ってきたという方が話題になっていたが、こういうサイトがあれば、キャンプに電気釜という発想をしてもおかしくない。共有のトイレはウオッシュレットで、シャワールームもあった。それぞれ清潔で、清掃が行き届いていた。最近のキャンプ場は至れり尽くせりで、こうしないと客が来ないのかもしれない。夕食は飲んだり食べたり。昭和村在住のI崎さんが菜園で採れたてのトマト、ピーマン、ナスなどを持ってきて、これに豚肉を合わせて炒めて一品を加えてくれた。アッシーを務めてくれたK原さんが急用で明朝帰宅し、同行できないことになった。なお、このログハウスは高妻山で100名山達成になる匙さんがおごってくれるとのことだった。実は、私も100名山かどうか、ずっと以前に登ったと思われる聖岳が自信がなかったので、出発前夜に資料をあれこれひっくり返してみた。その結果、5万分の一の赤石岳の地図に、しっかりと聖岳に赤線が引いてあった。その時は聖沢登山口から入ったがばてた人がいて聖平小屋の手前で幕営、翌日、聖平小屋にデポして聖岳ピストンして茶臼小屋へ。3日目に光岳ピストン(当時は光岳小屋はなかった)、4日目に下山。不達成感というか、気持ちがひっかかっていたのは、奥聖岳の山頂を踏まなかったせいだったかもしれない。ということで、私も100名山達成になることが分かったが、これはサプライズということにしておく。3時トイレに起きると星空が見事だった。キャンプ村は漆黒の闇の中に寝静まっていた。4時起床。K原さんの車でI崎さんが出ていき、昨日離れたところに駐車してきた車に乗って戻ってきた。5:35、出発(1233m)。快晴。さわやかな朝。牧場の事務所に行くと、一不動避難小屋へ登る大洞沢コースは登山道崩落のために弥勒新道を登るようにと掲示されていた。これは六弥勒へ直接上がる弥勒尾根ルートで、一不動と六弥勒に間のアップダウンを省略できるので時間的体力的にセーブできるかもしれない。5:45、一不動へ上るコースは柵で封鎖されていたが、事実上は通ることができそうだった。散歩道のような牧場の中の道を東へ歩いていく。と、5:50、前方から朝日が昇った。馬や牛の姿がシルエットに浮かび、ご褒美のように美しい光景。5;53、弥勒新道分岐に出た。左の小さな沢を渡る。新道というよりは熊野古道のようによく踏まれている。古くからある登山道なのでは。樹林の中を登る。1時間ほど歩いて一休み。キノコが生えている。陽が射し込んできた。7時半近くになると陽がしっかりあがってきて、緑が映える。ダケカンバの幹が白く輝く。うん、よい日だ。7:40、尾根に出る。視界が得られるようになった。7:55、一休み。前方の斜面にダテカンバがのびやかに枝を広げている。紅葉を背景に白い幹が浮き立つ。八ヶ岳の左に富士山がうっすらと見える。八ヶ岳の左に富士山とは関東人には珍しい位置関係。南東に飯縄山が見える。先月下った瑪瑙山(めのうやま)ルートを視認する。ここから一登りする。と、8:25、六弥勒のピーク(1998m)に出た。下の登山口には「五地蔵」となっていたが・・・。五地蔵のほうが大きく目立つピークではある。六弥勒のピークは樹林の中で、展望は少し北にある程度。急に人が増えた。多くの登山者が一不動から来ているらしかった。六弥勒から急な下りを降りると、前方に大きなピークがどしっと姿を現した。これが高妻山なのじゃ。紅葉が目立ってきた。西側の稜線の向こうに北アルプスの槍ヶ岳の稜線も見えてきた。北側には蒼空に頚城の山がくっきり。その右に黒姫山。主稜線をアップダウンを繰り返しながら進む。9:03、八観音のピーク(2063m)(エリアマップでは八薬師、七観音になっているが誤り)。戸隠のノコギリ尾根の向こうに北アルプス。9:14、九勢至。一休み。これが山頂までの最後の小ピーク。山頂は大きくなるものの、主人公には容易にたどりつけさせていただけないものだ。ピークの裾にたどり着く。岩交じりの急な斜面が始まり、ロープがあった。人々が大変だったと述懐するのはこの登りだろう。そこを登り上げて、右に回り込むと、いよいよ山頂エリアで、南東端に出る。緩やかな尾根の先に人々が集っているピークが見えた。尾根を進むと岩場に十阿弥陀の石祠、その脇に大きな銅鏡があった。10:20、山頂着(2353m)。道標はそばで写真を撮ろうとする登山者で混雑していた。われらも記念写真を撮る。ここで、私は初めて、私も匙さんと同じく100名山であることをサプライズで発表。皆が驚いて、喜んでくれた。喜多さんはダブルで100名山に立ち会うのは初めてとのこと。そりゃ珍しいかも。私は特に100名山を目指してきたわけではないが、3年くらい前に数えたら80座を越えていたので、仕上げを意識したのだった。西側に腰を下ろしてランチにする。秋晴れの下、素晴らしい展望だ。西正面は白馬3山。その背後に立山、剣がみえる。左に進むと槍、穂高、さらに乗鞍と御嶽。八ヶ岳の左に富士山がうっすらと見える。写真は少し加工して見えるようにしたもの。南東に黒姫山と手前に佐渡山か。北に目を転じるとに、頚城の山。妙高、火打、焼山、雨飾が峰を並べている。登山で、山スキーで登ってきた山々が一望される。来し方を思い出す。100名山のメモリアルにちょうど良い展望だ。北西にある乙妻山は樹木にさえぎられてよく見えなかったので、少し下って見に行った。写真ではやはり木立ちでよく映っていなかった。私は乙妻山を20008年2月に佐渡山のコルを越えてアタックしたが頂上直下で雪崩で敗退、2012年のGWに乙見湖からピストン日帰り山スキーで念願の山頂を踏んだ。乙妻のピークには十三仏最後の虚空蔵菩薩がまつられているらしいが、GWには雪の下だった。乙妻のピークは雪の時期よりも雄々しくそびえている感じで、高妻山との稜線も切り立って見え、意外と厳しそうだ。あまり行く人もないようで、道もよく踏まれてはいない。見ている限りでは誰も行かなかった。時間的には往復2時間。行く余裕はありそうだが、匙リーダーにはそういう野心はないようだった。高妻山の山頂に戻ると、いくら見ても見飽きない素晴らしい光景に陶然として、このまま下山してしまうのはもったいないという気持ちがひしひしとわいてきたので、再び写真を撮った。さて、下山しようと振り返ると、われらの隊が見えない。乙妻の方へ戻ってみたが誰もいなかった。置いてきぼりを食ったことに気が付く。11:15、あわてて下山を開始する。しかし、前に10人ほどのグループがいて、追い越させてくれない。あまり慣れていない様子で、岩場を下るのに時間を食ってしまう。前方の尾根に、ようやくわれらの隊を発見し、手を振ると向こうもこちらを認識してくれた。私がいる場所を分かってもらえたので安心した。結局、ようやく先に行かけたのは休む時だった。何とか追いかけていくと、I橋さんにおいついた。11:55、八勢至を過ぎると、前方の七薬師の山肌の紅葉と黄葉が、淡いボンボリを並べたように美しい。気をもみながらも写真を撮ってしまう。12:20、七薬師。ここにも奥駆の靡のようなものがある。六弥勒の山肌も赤と黄色の葉を点在させて、パッチワーク。12:25、私が追い付いて全員が集合したのは六弥勒だった。私は一不動の方を回って降りたい気がしたが、リーダーにはそういう考えはなさそうだった。弥勒新道を下山する。後から考えてみると、弥勒新道を降りる登山者は少なかった。ここにいた8割以上は一不動に回ったように思える。こんなに登ったかなあと思うほど下りは長かった。かなり下ったつもりで、13:19、「牧場まで90分」などという案内が出てきてしまいげんなりするが、実際は沢まで60分かからなかった。リーダーはいつものようにご機嫌そうにお喋りをして、ゆっくりペースで降りる。I崎さんが先に下った。13:50、ブナ仙人というブナの木があった。樹齢???14:15、沢に着いた。14:30、牧場を西に戻って、14:40、キャンプ場に帰着。下っていくと道を挟んでそば屋が2軒あった。天ぷらがサービスでつくという宣伝につられて左の店に入った。正解だったのでは。コテージ代は匙リーダーがおごるとのことだったが、私もサプライスで100名山だったので、半額を私が持った。ホールインワンと同じで、めでたいことがあった人がふるまうものです。双方に良いことがあるかも。戸隠中社のそばの神告げ温泉でひと風呂浴びた。I崎さんに高崎まで車で送ってもらった。新幹線はタイミング悪く出たばかりだったので、出発直前の快速に乗った。贅沢をしてグリーン車でのんびりと帰ったのだった。