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ポンコツ山のタヌキの便り

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2016年11月26日
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カテゴリ:エッセイ
私が大学院修士課程2年生の冬の頃のことである。

 エス教授が専攻内の全院生6人を研究室に集め、にこやかな笑顔で「みなさんに嬉しいお知らせがあります」と話を切り出し、「教授会でみなさんと一緒に学んでいるエヌ君(博士課程2年生)が助手として採用されることになりました」と伝えたのである。エス教授としてはここでその場の院生たち全員から拍手が起こることを期待したはずであるが、ただ一人の拍手も起こらず、研究室内は水を打ったように靜まり返った。

 そのとき、研究室内の静寂を破ってその場に集まった院生としての第一声を発した人物がいた。誰あろう私がその人物であった。

「大変嬉しいお知らせだと思います。ただ本学の教員採用には学生の声も前もって聞いて決めると聞いていますが、教授会決定前に新たな教員採用人事について院生はなにも聞かされていませんでした。」

そのとき私はそんな疑問を呈したのである。当時、私は大学院生自治会の委員をしていたので、耳にしていた大学紛争当時に決められたという教員採用規約をその場の院生たちにただ伝えようとしただけであり、私の発言などに賛同の声などあがるまいと思っていたのだが、なんと院生から私に賛同する複数の声があがり、「それもそうですから、院生で相談させてもらいたい」ということになってしまった。そしてなんとなんと専攻内の院生の多数決で今回の教員人事で院生との話し合いを新たに持つまで無期限の大学院専攻内の授業ボイコットを行うことに決まってしまった。

 いま考えると、いやそのときも私自身は大学紛争時に決められたという教員人事にまだ学問的に未熟な学生の声も反映させるなんて学内規則には疑問を感じており、そんな学内規約などに賛同の声などあがるまいと思っていたのに、無期限授業ボイコットになってしまったのには驚いてしまった。こう言うのをなんと喩えたらいいのだろうか。「瓢箪から駒が出る」とか「籔をつついて蛇を出す」なんて言うのかな、それとも同じ「藪」なら「藪から棒」に物事が決まって慌てふためいたと言うべきか。そして私は言い出しっぺとしてエス教授の研究室にそのことを伝える役目まで仰せつかってしまった。

 温厚な人柄で学問一筋のエス教授は、私の報告を聞いて非常に困惑され大いに動揺されたようであったが、この老教授はなんとか「来週中に専攻内の院生のみなさんと教員とで話し合いを持ちましょう」との返事を下さった。

 さて、その一週間後、研究室に院生とエス教授、エス助教授、ケイ講師の教員3人が集まり、仕方が無いので私が先週と同じことをまた述べたのであるが、私が言い終わるやいなやエス助教授が大きな声で「馬鹿なことを言っちゃいけない!! 大学院生と言えどもまだ学問的には評価の定まらぬ学生身分だ。そんな諸君が大学の教員人事に口出しするもんじゃない」と一喝された。

 このエス助教授こそ、新進気鋭の研究者として私が専攻していた学問分野で高い評価を得ていた学者で、私もこの方から薫陶を受けようと志した先生であった。ただ残念ながら私が修士課程に入学した1年目には病気入院しておられ、2年生後期から大学院で演習を受け持たれ、院生各自が専攻分野で興味を持った論文の要約紹介を行い、私も発表の準備をしていた頃であった。

 私はそのとき平伏して「ハハーッ、誠におっしゃる通りでございます」と言うべきだったのだろうが、そのときは院生代表としての立場もあり、なんだかんだと理屈を付けて反論し、他の院生たちも気分を害して話し合いは物別れとなってしまった。

 専攻内の院生による授業ボイコットが一ヶ月近く続いた頃、博士課程の先輩がエス教授の言葉として「このままだと授業日数が足らなくなって、みんなの単位が出なくなることを心配しておられるよ」と私に伝えてくれたので、渡りに船と専攻内の全院生に集まってもらい、この授業ボイコットはなんとか終わりを告げたのであった。

 私たちを叱りつけたエス助教授は、その年の11月に43才で他界された。病名は閉塞性肝炎とのことであった。先生の葬儀や実家に帰られる奥さんのために書籍の後片付けのお手伝いをしたことが哀しい思い出としていまも記憶に残っている。





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最終更新日  2016年12月05日 18時35分34秒
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