“ガラスのぶらんこ”を見た
福岡演劇フェスティバルも中盤にさしかかりましたね。都合のつく限り極力いろいろと見たいと思っています。“ギンギラ太陽,s”“藍色りすと”に続き見ることのできた劇団3つ目。“劇団轍(WaDaChi)/ガラスの、ぶらんこ”を今夜観劇。チラシのビジュアルから伝わるイメージ(先入観)ははっきりいってあんまり良ろしくなかったんです。“大人の子供劇”というのもピンと来てなかった。しか~し舞台が始まると魅き込まれて飽きずに最後まで見せてくれた。うん、個人的に“福博桜館”よりも僕はこちらのテイストのほうが好きだ。いくつかのシーンが微妙に疑問を投げ掛けてくれるのが良い。アフタートークでの梁木さん、岩崎さんの目線と作・演出の日下部サンの解説とか、人間性まで含めてこの舞台が好きだなぁと感じた。“デジタルな水俣病”っていうキーワード聞いて演出意図が分かったというか作品の深みが増しただから“家に帰るまでが遠足”的な感じで言いますと“アフタートークまで含めて”作品だなぁと感じます。アンド“家に帰ってしみじみと振り返るまでが”観劇かな?いや、できれば“後日、作品について誰かとディスカッションしてみて” それで、ようやく完結としよう。たぶん今は、福岡演劇ムーブメントの初期段階で進化の瞬間を見てる感じがする。前回よりも今回、今回よりも次回って感じで見る側にとっても、刺激的なことになってます。ここまで見てきて驚くのはフェスティバルと劇場(西鉄ホール)が劇団を磨く現象が起こってます。作品もそうだし観客がたくさんいるのにも驚いた。スゴいそんな状況そのものにもいつになく感動したり。そんな状況を目撃できるのはそうそうないことです。「帰属する集団が無くてもバラバラで何か表現する面白さがいい。演劇には、社会からの「はみ出し者」を救う「駆け込み寺」的な要素があると思いますね。(梁木靖弘/演劇評論家)」今回のアフタートークで、梁木さんと岩崎さんが「演劇そのものを疑ってみる」「演劇の枠組みを外してみる」みたいなことを言われていたのが印象的。そこからオモシロイものは出現する。追伸入り口で配られる、チラシを眺めるのが好きだ。最近は福岡も“束”になってきて楽しいです。