オカルト人生の萌芽(前世の記憶に出合う)
どうせ話しても理解してくれないということがわかっていたので、小学生のころから大学まで「オカルト(神秘体験)は秘して語らないもの」という不文律を原則的に守ってきたわけですが、やがてそれはほころび始めます。 今から思うと、最初にほころび始めたのは、1980年の夏、英国に留学中の夏休みにブライトンのホストファミリーのご主人であるクリストファーが、一緒にBBC制作のダライ・ラマの番組を見ているときに「もしかしたら生まれ変わりはあるかもしれない」という発言を聞いてからでした。「袖振り合うも他生の縁」という諺がる日本人ならともかく、ある程度合理主義が浸透し、物質社会を謳歌している西洋人からそのような言葉を聞くとは、当時は思っていなかったからです。糸のほつれはここから始まったように思います。 そしてクリストファーの勧めもあって、大学の授業が始まるまでの10日間をスコットランドで旅したのが、次のほころびです。私はスコットランドの最果ての地ともいえるハイランドからオークニー諸島に渡り、オークニー本島の首都カークウォールのユースホステルでドイツ人二人とアメリカ人一人に出会い、人生で初めて「前世に出会ったことがある」という不思議な感じを体験するわけです。 それでもまだ私は「常識人」でしたから、なるべくオカルト的なことは話さないようにしていました。特に社会人になってからはなおさらですね。何かオカルト的なことを言おうものなら、「頭のおかしい人扱い」されることは、火を見るよりも明らかですからね。 かといって、私は既存、新興にかかわらず宗教の教え(教義)にはほとんど感化されないので、何かの団体に勧誘されひっかかることも、傾倒することもまったくありませんでした。ICUの必修基礎科目「キリスト教入門」でCを取るわけです。だけど不思議なことに聖書には興味があるんですね。人文科の必修科目だった「聖書入門」は「Ⅰ」「Ⅱ」ともAでした。経典は、文献としてはとても面白いと思うんですね。なぜそのようなことを書かなければならなかったかという、その背景がよくわかるからです。 さて、次回は社会人になってからの、「秘密にしていたオカルト」のほころびについて語っていきましょう。 (続く)