うつ病と神経症(不安障害・ノイローゼ)の違い、アダルト・チルドレンと健全な自己愛(15号 2003-09-27)
うつ病と神経症(不安障害・ノイローゼ)の違い、アダルト・チルドレンと健全な自己愛(15号 2003-09-27) --------------------------------------------------------------------------------神経症(不安障害・ノイローゼ)とうつ病の違い神経症(不安障害・ノイローゼ)と鬱病の区別は、専門家でも難しいです。鬱病と神経症(不安障害・ノイローゼ)を、私から見たときの特徴として、述べてみたいと思います。鬱病は体力の低下や食欲不振が見られます。「○○に申し訳ない」という自己卑下が強くなり、好奇心や、物事にたいする興味を失い、思考力も落ちて、何も手につかなくなり、引きこもる傾向があります。心の動揺が、身体にダイレクトに反映された状態です。いっぽう、神経症(不安障害・ノイローゼ)では、食欲不振や体力低下はそれほどでもないのですが、内面の葛藤がものすごく強い。心のなかの漠然とした不安や動揺、恐怖などを、意志の力や、身体という殻で、あるいは強迫神経症では繰り返し行う行為によって、必死に押さえ込もうと闘っている形です。心のエネルギーという点で言うならば、鬱病はガーンとショックを受けてそのまま落ち込んでいる状態、神経症(不安障害・ノイローゼ)はそのショックが時間をへて、異物なのに内面に採り入れられ、固定してしまい、自我を内側から圧迫している状態、になると思います。参考のために、神経症(不安障害・ノイローゼ)とうつ病の区別について、辞典からも引っ張ってきました。------------------------------------------------------------◆鬱病◆《うつ状態》。憂鬱の状態の、とくに深刻なもの。活動ができない感じを持ち、不安で悲観的で、絶望的となり、自分をつまらぬ者と思い、自殺をはかる。思考が流れ出てこないし、身体の面でもだるく、疲れた感じがして頭は重く、食欲は不振で、眠れず、からだの具合が悪く感じられる。◆神経症◆ <精神神経症>あるいは《ノイローゼ 》。〈精神病〉のように人格が障害されず(したがって、自分が病気だという意識をもっている),解剖学的な変化のない、いわゆる《機能的疾患》のうちにふくまれる精神的異常。 以上、――『岩波 心理学 小辞典 宮城音弥編』より引用------------------------------------------------------------鬱病も神経症(不安障害・ノイローゼ)もきちんと治療すれば、そしてご自身が、心の底では(治りたくない)と思っていないかぎり、必ず治るものですから、あきらめないで下さいね。自分を大切にできれば、他人も大切にできる心の健康はセルフ・エスティームがあるかないかで大きく違います。セルフ・エスティーム(自己を尊重する・大切にする)について『よみうりCha!』というフリーペーバーに、こんな記事がありました。とてもいいコラムなので引用します。ここから----------------------------------------------------------------------子どもコラム長崎の事件を〈ずいぶん遅れて〉考えてみた (前略)あくまでも一般論としてだが、(事件との関連で言うのではない)、「自分を大切に思う気持ちがしっかり育っていなければ、他人を大切にできるはずがない」、という事は言えるだろう。 この「自分を大切に思う気持ち」「自分にも生きている価値があるのだという実感」「自分の存在が支えられているという安心感」は人との関わりを通してしか育たない。 (後略) (宮城教育大学 関口博久)---------------------------------------------------------------------- 引用ここまで私もこの意見に賛成です。自分を大切に思う気持ち、生きている価値があるという実感、存在が支えられているという安心感、 このどれもが、健全な人格と、充実した人生の基礎にも、もちろん心の健康にも、豊かな人間関係を築いていくためにも、不可欠な要素です。自分を大切に思う、自分を尊重する気持ちは、自己中心や、自分さえよければよいという自分本位とは別物。まず、自分の気持ちがわかっていて、大切にできること。これがどういうことか、実感としてわからなければ、他人の気持ちを理解することもできないし、まして尊重したり大切にしたりすることなんて、できっこありません。鬱病や、神経症(不安障害・ノイローゼ)、摂食障害など、心の病になりやすい人というのは、もともと、自分を守ったり、自分を大切にするという、心構えというか、こころの習慣がないことが多いです。自分を大切にするどころか、逆に粗末にしてしまったりします。健康な人から見たら、不思議でならないでしょう。「どうしてそんなにグズグスしてるわけ?」とか、「誰だって、自分が一番世の中で可愛いんじゃん?」とか、変に思うのではないでしょうか?心の病は誰でもかかるものですが、無知な人もけっこう多いです。(^^;「鬱病なんて、自分にこだわり過ぎるからおかしくなるんじゃないの?」とか、「自分可愛い・可愛いで、自己愛強すぎるんじゃない?」とか、的外れな意見で批判されたりすることも、昔はありました。もとをただせば、鬱病や神経症(不安障害・ノイローゼ)になる人は、 そのほとんどが、心を病むしかなくなるような家庭、ある意味で特別な環境――機能不全家庭――に育った、アダルト・チルドレンである、というのが真相です。鬱病や神経症(不安障害・ノイローゼ)の人はアダルト・チルドレンである機能不全家庭とは、家庭らしい機能をもっていない家庭です。子供を温かく守り育てるという役目を果たしていない家庭です。鬱病になりやすい人も、神経症(不安障害・ノイローゼ)の人も、家庭で、自分を大切にすることや愛することを親から 態度や言葉で教えてもらっていません。それどころか、まったく逆のメッセージ、たとえば「おまえなんか、たいしたことはない」など、言葉の暴力を受けて育った人も、めずらしくありません。(もっとずっと痛烈な言葉や、ひどい仕打ちを受けて育った方が 生きづらさをかかえている人のなかには少なくないのですが、 その方たちの気持ちを考えて、あえてここには書きません)だからこそ、うつの人は虚しさに苦しんでいるのです。「私なんか、この世に生きてて何になる?」……と。神経症(不安障害・ノイローゼ)の人も自己価値観の低さに苦しむのです。「私は生きているだけでも迷惑なんじゃないか?」って……!鬱病の人も神経症(不安障害・ノイローゼ)の人も、健康な自我が育つ土壌がなかったのです。心の安定や成長に必要な栄養が、充分に与えられてこなかったのです。心の健康や回復に必要なのは健全な自己愛である 安心感や自己肯定感、自己価値観、自己重要感は、心の軸、芯の部分です。心の芯の部分がないと、人は、どうなるでしょう?弱さを補うために、外側を固めるしかありません。しなやかさが失われて、ガチガチに固まって、動けなくなる。柔軟に対応することができなくなって、ストレスに弱くなる。ストレスを受けて疲れても、我慢することが習慣になっているので、耐えられない自分は弱い=価値がないと恐れ、ギリギリまで我慢してしまう。我慢できなくなったときには、倒れてしまう。倒れるだけならまだしも、自傷行為に走ってしまったりする。無理を重ねていくと、心も、金属疲労と同じで、ある日ポキンと折れやすいのです。心の病を患っている人は、自己愛が強すぎるのではなく、健全な自己愛、セルフ・エスティーム不足、心の栄養不足なのです。鬱病の人にも、神経症(不安障害・ノイローゼ)の人にも、普通の人の何倍もの、健全な自己愛の補給が必要なのです。自己愛とは、他人に迷惑をかけても自分流を貫く、という中途半端な独りよがりの意味ではありません。自分で自分をいたわったり、可愛がったりすることです。これこそが、うつや神経症(不安障害・ノイローゼ)や心身症の人にとって、最優先の項目、と言っても過言ではないのです。 ホームぺージ http://hiraiyoko.com/メールマガジン 『本当の自分がわかる心の技術 安らぎと治癒の自己改革』