子どもが自己の精神を守るための自衛のための発達障害
現実は複雑でいろんな要素が絡み合う。私は、ちょっとした、ささいなことで、ネチネチと何時間もしつこく怒られ続けていた。怒る側にとって、材料はなんでも良かった。――それがほとんど唯一の人との接触パターンだった――――相手にしてもらえるほとんど唯一のチャンスだった――――それ以外は無視されていた――――それはたとえていえば、拘禁反応がでる、誰でも精神病になるほど過酷な独房に入れられて、他者の前で怒鳴られるときだけが、ほとんど唯一の、人との交わり・交流・接触だった――「なんにもできない!」「バカ!」「ごくつぶし!」「みだぐなし!」「いるだけで人に迷惑かけてる!」「あんたは嫌われてる」・・・例をあげてるときりがないので、えっと、ここでは物事の処理にしぼろう。たとえば、何かを捜したなと、片づけてなかったとする。「なんでこんなに散らかすの!」「今片づけるよ」「捜し物してたんだよ」とか、弁解すると、「はいっていいなさい! あんたは素直でない!」と怒られる! 「なんでこんなに散らかすの?!」→「はい」しかしゃべってはいけない。疑いをかけられても、八つ当たりされても、言い過ぎであっても、関係ない。★そうそう、早合点でも怒られたっけな。「なんで~しないのっ!あんたは!」いきなり噛みつかれて、「したよぅ」って抗議すると、「はいっていいなさい、はいって!あんたはまったく素直じゃないね!・・以下くどくど・・・」「なんでこんなに怒らせるの!」って怒鳴られて、だから、社会に出ても自分の気持ちを言えなくなってた。八つ当たりされてるだけなのに、「あんたのために言ってるんだからね!」と言われて 「海より深く空より高い親の恩」に感謝しなければならない。これで社会に出て、どうやって、人と対応できるだろう。そのまえに、学校で友達とのやりとりにも窮する。しかも、年下の妹の前だろうがなんだろうが、関係ない。見せしめというかはずかしめというか・・・。ちょっとしたささいなことで目をつりあげる。ほとんどのあまったエネルギー、私に「制裁」を加えることに向かっていた。 ・・・ということは、私はありえないほど完璧でなければならなかった。一人の人間ではできないほど、魔法のように、物事をいっきにこなさなければ怒鳴られた。妹が何かを壊しても怒られない。壊そうとしたのではないからと理解し笑って赦される。私がうっかり同じことをすると・・・あたかも刑事や警察のなかの冷徹な捜査官のごとく、器物損壊・住居侵入的な悪意を見つけ、何時間も怒鳴られる。(警察のなかにもいろいろ・・・人情味あふれる善人がいると知ったのはかなりあとである。)話があっちこっち飛びますが・・・(;^_^A だから、いま、名刺を捜していて散らかしていたのを見て、今に悪影響を残している過去の原因を思い出して、――もちろん、いま修正するために、過去の原因が不可欠で――この記事を書こうとしていたのだけど、どんなささいなこともしつこく怒られていたから、自分はダメな人間だと刷り込まれたわけだけど、と同時に、ちゃんとできていても同様に、ものすごく、怒られた!そうなると、子どもでも、親の言っていることがおかしいと感じる。すごく好きな親が、なぜこんな変なことを言うのか。でも逆らうことはできない。目の前の現実と、親の言葉が、あまりにも乖離している。これが一回二回じゃない。毎日繰り返されるのだから、気が狂いそうだった! 誰も助けてくれなかった。私は自分が親から言われたことを守って、やり終えても、満足や自信につながることは言われず、逆に、あんたはダメだ! 何もできてない! と片づけた仕事(お手伝い)の成果を二人の目の前にして、憎しみに満ちた顔で怒鳴られ続けた。自分の目で見てわかることを、頭から完全に親に否定され、何もできてない!と怒られていた・・・・。私の頭は狂い出しそうだった。私は自分の精神を守るために、親の言う「何もできない」状態に止まるしか、自分を親から守る方法がなかった。幼いころから、自分自身を、たったひとりで必死で、そうとは気取られないように、親から守らなければならないとは、なんと皮肉なことか?!親が子どもを守らないどころか、攻撃じゃんじゃん、あんたのためだから、自分は言うのがとても辛いのに、我慢して教えてやっていると、じつは内心はすごく楽しく♪というか憂さ晴らしに、やってるのでした。子どもは親の玩具、慰み物だね。あ、子ども、は変換間違い。「子供」でいいのだ。左翼は子供は子供に失礼、「子ども」がいいというが、その理屈がよくわからない。