【安保法案その4】「見る、知る、学ぶ、話す」は怖くない!~この時代に巡り合わせた人間として・法律家として
全4部作です。【その1】http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201510140000/【その2】http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201510140001/【その3】http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201510140002/4,「見る、知る、学ぶ、話す」は怖くない!~この時代に巡り合わせた人間として・法律家として 安保法案の審議が始まって以降、私も、末端で所属している「明日の自由を守る若手弁護士の会」(通称「あすわか」http://www.asuno-jiyuu.com/)には、憲法を学びたい、集団的自衛権について知りたい、安否法案の内容を詳しく知りたい、という人々の声が殺到していた。 私も、あすわかに寄せられた講師依頼をお受けする形で、あすわかでは新米中の新米のため、まだ数回にすぎないが、憲法学習会の講師をつとめ、人々の素直で伸びやかな感性に、驚き感動させられる体験に、沢山出会うことがきた。 ただ、その経験を重ねれば重ねるほどに、「私は、私の身近で大切な人たちとは、憲法のことも安保法案のことも話していない」という現実に苦しむようになってきた。 率直に正直に言おう。 私は、憲法のこと、政治のことを積極的に話題にすることで、私の友達が、私と距離を置くことが怖かった。私は、弁護士である前に、一人の市民であり、一人の母親である。 私にとって、弁護士の友人たちと同じように、一人の市民、一人の母親としてお付き合いしているママ友達も、かけがえのない大切な存在だった。私の駄目なところ、弱いところを素のままにさらけ出して、何度も一方的に助けてもらっている大切な人たち。 私の不用意な言動で、この大切な縁を失うことは避けたいと思っていた。 でも、8月に入って安保法案の成立も間近となり、もうこれ以上、自分の心を隠して、お付き合いを続けて行くことの方が苦しいと思い、別件でメールする機会があった、気の置けないママ友達、Aちゃん、Bちゃんに、おそるおそる話を切り出してみた。 「私ね、最近、いろんなところで憲法の学習会の講師をすることがあるんだよ。この間は、ある保育園に呼ばれて話をしたら、みんなものすごく頷きながら聞いてくれて、びっくりしたけど感動した。翌日にはやたら熱いメールをもらって思わずパソコンの前で泣いちゃった。ねえ、私、幼稚園で知り合ったみんなにも、話をしたいよ。ゆきちゃんどうしたの?何でそんな難しい話、急にするの?って思われても良いから、私の知っていること、問題だと思っていること、話をしたいの。どう思う?」 2人から返ってきた返事は、「ゆきちゃんの話を私も詳しく聞きたいよ、それに是非みんなにも聞いて欲しい!」というこの上なく嬉しい内容だったので、早速、頼りになるママ友Cちゃんも引き込んで、喫茶店で作戦会議。 会場を押さえて、チラシを作って、メールで卒園生のママたちに流して、園にもチラシを配ってもらうように頼んで、とさくさく話が進む。有能なママ友達の、見惚れるような手際と段取り、細やかな気遣いには、学ぶところばかりだ。 その上、ダメ元で、息子が卒園した幼稚園に出向き、「あ、あの、あくまでも個人的な企画なので、園とは関係ないので駄目かなとは思うのですが、こんな勉強会を企画していて・・・」と口ごもりながら園長先生に切り出した途端、人をほっとさせるような満面の笑顔で、「あら、これは大事なことですね。正しい知識がないまま、流されて決まっちゃうってことが一番よくないですよ。このチラシ、何部ありますか?全園児に配りますから、足りない数、こちらでコピーしましょうか。あ、でも、カラーね、足りない部数持ってきて下さらない?」と皆まで言わせず、こちらの意図を汲んで下さる神様のような対応で、ありがたくてじわじわと心が暖かくなった。 迎えた勉強会当日、15人くらいのママが来てくれて、本当に一生懸命に話を聞いてくれた。また、日程が合わなくて行けなかったんだけど聞きたかった、と何人ものママが言ってくれた。私にとって、自分の中にあった大きなハードルを乗り越えたかけがえのない機会となった。 さて、私は、何でこのような個人的な体験を長々と書いているのでしょうか。 それは、一市民として、伝えたいことがあるからです。 政治や社会のことを身近な人との間で話題にすることに勇気がいる、覚悟がいるという気持ちは、私のような空気が読むことが苦手な人間ですら、持っています。 関心があっても、不安があっても、踏み出せない、というその気持ち、私は、本当によく分かります。是非は別として、政治や社会のことを話題に出す文化は日本には根付いていない。私も、その文化の中で生活している一市民なので、そして、今回、他人から見れば過剰と思える位の勇気を振り絞ったので、潜在的な不安を抱いている方の気持ちは痛いほど分かります。 でも、実際に踏み出してみたら、実は、ハードルは勝手に自分が心の中で作っていたものだということも分かりました。 その上で、それでも、知らないことを見たり、聞いたり、学んだり、話題にしたりすることは素晴らしいことであるということ、もまたお伝えしたいと思います。 学ぶことは、子どもの特権ではない。大人になっても、年をとっても、人は生きている限り、学び続けることはできる。 知って見て学んだ結果、どんな意見になったとしても、構わないと思います。どんな意見もあなたの大切な意見だから、誰も奪うことはできない。 見ること、知ること、学ぶこと、は怖くない。 一緒に一歩踏み出してみませんか。あなたの身近な人と、あなたやあなたの大切な未来に深く関わる憲法や政治を避けずに話題にしてみませんか。 このブログを読んでくれている「普通の人」に、私は、心を込めて呼びかけたい。 最後に、一法律家としての痛切な反省と決意を書き留めておきたい。 私は、安保法案成立にも衝撃を受けましたが、もっと衝撃を受けたことが、安保法案成立後の世論調査で、違憲の疑いがあると思いつつも法案には賛成、という方の割合が思ったよりずっと多かった点でした。 私がこの一連の記事で長々と書いてきた法律家としての危惧が、いわゆる普通の人々の間には浸透していないということに強い危機感を感じたのです。 でも、冷静に考えて、悔しいけれど、こう思いました。 「これは、今までのツケかもしれない」と。 法律家の主張に耳を傾けてもらえるほど、法律家は社会の信頼を得ていないのかもしれないと思ったのです。 自分の権利を守るために普段から法律も憲法も使っている経験がない人がどうして、日々の暮らしに直結しない安保法案と憲法との関係に関する法律家の主張に耳を傾けてくれるでしょうか。 私たちは、もっともっと身近で優しく暖かな司法を、普段から提供していかなければならないのではないでしょうか。 司法への信頼は、司法の担い手である法律家への信頼である。 でも、信頼を構築するための、近道も一本道もない。ひとりひとりの日々誠実な業務の積み重ね、丁寧な語らい、本当に地道な日々一瞬を積み重ねていくしかない。 誰も分かってくれない、とふて腐れるのは、たやすい。 また、どんなに頑張っても分かり合えない人がいることも現実である。 でも、本気で動けば、耳を傾けてれる人、心を傾けてくれる人は、必ずいる。 現状に絶望している暇はないし、絶望できる立場でもない。 本当に今までになく、心が燃え立つような勢いでそう思って、その決意をどうしても言葉にしたいと思いました。 この時代に巡り合わせてしまった大人の責任、法律家の使命から逃げることなく生きていきたいと思います。