図書館で『きょうも涙の日が落ちる』という本を、手にしたのです。
おお 渥美清さんの対談集とエッセイが載っている本ではないか♪・・・
語り専門のような人だから、エッセイも一人語りのようになっているがな。
【きょうも涙の日が落ちる】
渥美清著、展望社、2003年刊
<「BOOK」データベース>より
ワタクシ、思い出せば7年前、奮闘努力もせず、そおっと消えさせていただきましたが、その後皆様にはいかがお過ごしでしょうかーよみがえる名エッセイ、絶妙対談。
<読む前の大使寸評>
おお 渥美清さんの対談集とエッセイが載っている本ではないか♪・・・
語り専門のような人だから、エッセイも一人語りのようになっているがな。
rakutenきょうも涙の日が落ちる
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荻昌弘さんとの対談を、見てみましょう。
p172~175
<なんせ気楽な性分でして>
荻:さっそくですが、あと『男はつらいよ』はどういうふうに…
渥美:いま、また監督さんがブラッと旅行に出て、構想を練ってるんですよ。ぼくたちはそのあと。
荻:あのシリーズでは一作ごとにシナリオのための旅行をなさるんですか。
渥美:こんどは北海道へ行ってみようとか、こんどは島のほうに行ってみようとか、ウロウロ。その間の、なんとなくね、小さな田舎の食堂でめし食いながら、急にめしを吹き出しちゃうようなバカな話をしたり、(笑)そういうのが台本の中に入っていく。
荻:そういうとき、めしを吹き出しちゃうような話を思いつかれるのは渥美さん…。(笑)それにしても、あのシリーズのロケ地の選択のうまさ、土地カンの鋭さには一作ごとに感心するんですけど。
渥美:山田洋次とカメラマンの高羽哲夫の触覚みたいなものじゃないですかねェ。ぼくとしては確かこっちを見たら山があって煙が出てましたねというと、あ、それは広島じゃなくて鹿児島でしょうと山田さんにいわれて、ああ、そうかと…。(笑)渥美さんもそうとう気楽に生きてるんですねェって。ぼくはそういうところが、ちょっと、あるんですよ。だからロケ・ハンの助けにはならないんですね(笑)むしろ、食事でいうと、箸休めみたいなこと。
荻:ハハハ…なるほどね、箸休めね。
渥美:一番困るのは、日本でもわからないのに、外国を旅行していると、全部横文字になっているんですからね、地名が。だけどぼくの中には、アテネの建物のわきで(あごを長くしごいて)、こんなふうに髭が垂れ下がってたおじいさんが栗を焼いてたなとか、噴水の水がシャブシャブ、シャブシャブする寒いところ、プラカード持ったどこかのおばさんがいたなとか、そういうことは何年も何年も忘れないんです。ところがそこがなんという国のなんというところだったかと聞かれるとわからない。
荻:でも、旅の本質ってそういうもんじゃないですか。
渥美:ま、自分でもそう思って慰めようとしているんだけど、たまに、旅の好きな人のエッセーなんか読んでみると、実に克明にどういう宿だった、そこで出されたブドウ酒がどういう名前であったとねェ、そんなことまで書いてあるとねェ、なんとおれはダメなんだろう、(笑)無知と怠惰で、そして、ほんとに目が小さい(笑)というだけじゃなくて、なんか、ものを見る能力が違うんじゃないか、ぜんぜん、感じ取るものが欠如してるんじゃないかとねェ。
荻:なるほど。しかし、渥美さんねェ、その渥美さんの思いが寅さんにもにじみ出ているために、観客はうれしくなって、あの映画に殺到するわけでしょ。
渥美:そうですかねェ。
荻:あれは何作めでしたかねェ、池内さんと共演のときに、寅さんが旅に出て、夜中に目がふとさめて、天井見てると、遠くでカラコロと下駄の音がして、どこで目がさめたんだろうというところ、あそこすごく感激しましてねェ、シナリオ買ってみたんですが、そこに該当するところはないんだなァ。それはきっと、つくっていくうちに実感で出てきたセリフに違いないとね、あれなんかまさに寅さんの実感というより渥美さんの実感のようですね。
渥美:そうかもしれませんねェ。
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『きょうも涙の日が落ちる』1