カテゴリ:幸せ哲学
遊びの大切さは、 「認識」に必要な「ゆらぎ」からも 説明できると思います。
人は、ひとつの文字をじっと見つめてみていると、 目の前がぼやけてきます。 視点がぼやけて何も見えなくなってしまったり。 固定された視点で認識することができません。
そもそも、私たちの眼球は、何かを見ているとき、 たとえ一点に注意を集中しているつもりでも、 無意識のうちに絶えず揺れ動いて、 視覚情報は変化しているようになっています。 刺激がない状態になり、 つまりは、見えなくなってしまうようです。 この宇宙は、すべて、どのレベルでも、揺らぎをもっています。 特に、1/f 揺らぎが心地よいようです。 宇宙そのものが、「ゆらぎ」から生まれたと説明されています。 ゆらぎでアンバランスが起きたのです。
ゆれ動き、変化することの大切さは、 人生の問題で行き詰まったときにも、当てはめられるでしょう。 精神病のほとんどは、意識が固定された状態のようです。
問題に対し、柔軟に、いろんな角度から見るためには、 「マジメ」であってはいけません。 価値観自体を揺れ動かすのです。 問題に飲み込まれてはいけません。
ガチガチの宗教が、 周りのことが見えないのは、「マジメ」だからです。 ゆらぎが無いからです。
問題の重要性を引き下げるのです。 固定された意識をゆるめて、ほどくのです。 その上で、新たな結びつきを試すのです。
これができるためには、問題に対して 「あそび」の精神で向き合わなければ。 「あそび」は、いろんな字や絵でガチガチになった紙を 白紙に戻す原動力。 白紙の上でなければ、良い絵は描けません。
白紙にさえできれば、どんな絵でも描ける。 それは、無限の宇宙と結びつくから。
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Last updated
2008.01.28 22:41:38
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