錦秋の旅 その6
待月橋まで戻り、かえりはここを渡らず川沿いを153号線に向かって歩く。 朝と異なり、この橋の上は多くの観光客でごった返していた。この待月橋の由来がパンフレットに載っていた。昭和28年に下を流れる巴川に初めて橋を架け、『待月橋』と命名。木製の"流れ橋"だったという。名前の由来は不明とのことだが京都・嵐山にある『渡月橋』を模したのでは?との説もあるようだ。伊勢湾台風で被害を受け昭和36年に木製の橋脚と桁を鉄骨に掛け直したという。そして45年後の平成18年に旧橋の構造的リスク(橋の幅の狭さと勾配のきつさ、欄干の低さ)を解消し、観光客に安心して安全に渡ってもらうために新しい今の橋になったとのこと。そして現在の橋は全長43.5メートル、幅3.5メートルで足助桧材にて出来ているとのことだ。この日の如き香嵐渓の紅葉シーズンのピーク時には1日に35,000人から40,000人の観光客がこの橋を渡るのである。 こちらの紅葉も緑、黄緑、黄、橙、赤、が混じり、その間を黒い幹が踊っていて美しい6色のグラデーションを示していたのである。国道135号線沿いの広場にはテレビの中継車も来ていた。今日のこの紅葉ピークのモミジの見事さと観光客の多さ、そして大渋滞の放送に来ているのであろう。 交差点の名称板もモミジの絵が描かれた洒落たものとなっていた。そして153号線にかかる巴橋から見た『待月橋』を望む紅葉である。川面にモミジが映り赤く染まっているのがまた良いのである。 巴川の穏やかな川の水面とモミジを愛でながら、河原に腰を下ろしビールでも飲みながらゆっくりした時間を過ごし、ライトアップされた紅葉も鑑賞したかったが、帰りの渋滞を考えると、諦めざるを得なかったのである。駐車場の近くに軒を並べている屋台を散策しながら、各自土産を買いながら駐車場に戻ったのであった。そして、渋滞を避けるために多少遠回りであるが『もみじ街道』の山道を下り順調に岡崎市内にたどり着いたのであった。 予定時間より早く町中にたどり着いたので、Kさんご夫妻のご配慮で『大樹寺』を訪ねることが出来たのである。ここ大樹寺は松平徳川家の菩提寺とのこと。本堂からは山門、総門を通して一直線上に岡崎城を望む事が出来る事で有名なのです。この大樹寺と岡崎城を結ぶ約3kmの直線を「ビスタライン」と呼んでいるとのKさんご主人のガイド。ビスタラインの「ビスタ」は「眺望・展望」を意味しているのだ。これは徳川三代将軍家光が、家康の十七回忌を機に、徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行う際に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置したことに由来していると解説板に。 また、歴代の岡崎城主は、天守閣から毎日ここに向かって拝礼したとも。この日も小さくこの直線の彼方に岡崎城の天守閣を確認することが出来たのであった。しかしながら大樹寺には創建当時の建物は現存していないとのことで、最古の建物がこの写真の多宝塔とのことであった。この後、女性軍のリクエストもあり『八丁味噌の郷』を訪れたのであった。 ----つづく----