ありのままの自分3
前回の文章が余りにも分かり辛いと思ったので昨夜推敲しておきました。良く分からなかった方は是非再読を。これまでの説明でペルソナとシャドーについては理解してもらえただろうか。このことを理解していると世の中で起きていることの真相が明確に分かってくる。例えば昨日の特報首都圏でやっていた『“ゆとり”と言われる若者たち』なんて問題も原因と対策が明確に見える。ゆとり教育のせいで今の若者はコミュニケーション能力が欠落していると言う。それは絶対に違う。後期自我の時代の末期状態、高度ペルソナ社会ということが原因だ。うん、この話はまた別の機会にしよう。教育の問題はきちんと改めて書いておかないとね。ともかく現象面だけ追っていては薄い議論と浅はかな対策しか浮かばず事態を悪化させるだけだ。では前回の続き、仮面舞踏会をやっている現代人のメインである、後期自我の次のレベルの精神性を紹介しよう。その名も、成熟した自我という。この成熟した自我を目指す社会こそが現代社会の様々な問題を解決する糸口となってくれるはずだ。ケン・ウィルバー氏の定義する意識の進化サイクルの続きを簡単に示す。「意識の成長・進化サイクル」4 後期自我 の続きから。5 成熟した自我 ペルソナとシャドーをどちらも本当の自分であると意識下に統合。現代の日本ではほぼ皆無だと思います。片足くらい突っ込んでる人は案外多いかも知れないが。6 生物社会的帯域 社会や環境による固定観念、つまり思い込みの限界から自分を解放。内側からの喜びに気付く。7 ケンタウロス 身体の不随意プロセス、多分血液循環、呼吸、消化、発汗・体温調節、内分泌機能、生殖機能、代謝、など自律神経系の働きを思い通りに操れるというレベルだと思う。更に、8サトル(subtle)→超能力を発揮するようになる。9コーザル(causal)→理念・愛の世界であり至高の意識体。10アートマン(ultimate, nondual)→全てを越えた「絶対」そのものとの一致、究極的な覚醒、宇宙との合一。即ち悟りの境地。と、続くのだが、ここまで行くと現代の我々とは余りにかけ離れ過ぎているので触れないし、少なくとも今は私の手には負えない。我々は後期自我の社会では幸せにはなれないことにそろそろ気付き始めている。そして本当の幸せというものを知るようになるのが成熟した自我のレベル。ペルソナとシャドーをどちらも本当の自分であると意識下に統合するのだが、それにはまずこの二面性が自分の中にあるのだということを認識しなくてはならない。人の汚い面を見て、私には全く理解できん、ヒドイ奴だ、人間のクズだ、なんて言う人はまだペルソナに隠れている本当の自分を見つけていない。と、なんだか私は偉そうに上から言ってるように見えるかも知れないが、私もまだまだこのレベルを全く脱してなんかいない。これでも高校生の頃、つまり20年も前から汚い自分に気付くようにはしてきたんだけど。それだけこのペルソナの影響は強いということだ。現代社会がペルソナを求めているのだから隠遁生活でも決めないことには当然この支配下から逃れるのは至難のわざだろう。と考えば、過密社会だからこそより強固なペルソナが求められるのだということが分かる。つまり、もし社会が一致団結して次の精神性、成熟した自我を目指そうということになれば解決策の一つに分散社会を作り直すことが考えられる。話がそれた。ともかくまずは本当の自分の情動(感情・欲求)に気付き、汚い・綺麗・弱い・強い、全部本当の自分としてまずは善悪の判断なく認めて、そして許す。人間だもの、と。私はなんて汚い駄目な人間だろう、なんて自責しないように。シャドーとして固定してしまう。また、「頑張る!」というのも良くない。この言葉の使い方は極めて難しいのだが、かる~く、ちょっとやるか、くらいの勢いならいいんだけど、「死に物狂いで頑張ります!」なんてのはまずい。自分の心に無理をさせて何かをやろうとする行為は全てシャドーとして心のシミとなってしまう。その結果、自分が無理してやったんだから他人にも同じことをさせよう、ということになり現状のような2次汚染3次汚染でシャドーの輪廻を作ってしまう。ま、あんま小難しく考えると全く前に進まないからテケトーにやればいいんですよ、僕みたいに、肩の力を抜いて、ゆる~く。絶対に頑張らないぞー!っと。てなもんだ。はは。当然、後期自我を抜け切れない人達に非難されるだろうけど、気にしちゃいけない。まずはシミ抜きに専念しよう。そうする内に何だか分からないけど、心に勝手にエネルギーが湧いてきて、全てのことに興味が出て頑張らずになんでもしたくなる。できるようになる。今の僕がようやくちょっぴりそんな感じになってきたから自信を持って言える。人間はそもそも初めから素晴しい能力を持っているのだ。シミ抜きをしている内にきっと少しずつ心がそれを思い出して潜在能力を解放くれるんじゃないかな。この精神性の構造を象徴するような映画を僕は知っている。「マトリックス」だ。10年前にこの映画を観た時に心底驚いた。これは、まさに・・・・・。このシリーズの中で救世主ネオがこう言う。「心を解き放て」成熟した自我の時代を想像してみる。成熟した自我を獲得すると人は争わなくなる。お互いの醜い部分が自分にもあると知っているからだ。広い意味で皆同じだと連帯感を持つようになるだろう。社会的に生きるために最小限のペルソナは作るけど、基本的に情動を抑制しないので普通に生活しているだけで皆快活に生きることができる。つまりお金をそれほど欲しがらない。資本主義的な忙しさがなくなり、ゆったりとしたペースで生きるようになる。経済発展を望まなければ環境をこれ以上壊さなくなる。経済的な豊かさを望まないので学歴偏重がなくなる。子供を親のアバターとして扱わなくなり、個性を大切にする。従って多様な職業と芸術が発展する。きっと半自給的な生活でのんびり特技や精神性を高めるようになるのではないだろうか。そしてなにより、自分が何者であるかを分かり始める。更に次の精神性のレベルである、生物社会的帯域に向けて人間的な思い込みから放たれ、潜在能力を任意に発揮できる人が多くなる。私はこれまでの後期自我のある意味暗黒時代と180度転換して明るい時代になると思う。そしてその時はもうすぐそこに来ているような気がするのだ。続く(統合の時代へ)「ねはんの里」