四万十 ゆるサラリーマンな日々3
サラリーマン復活3日目。そろそろ職場にも少し慣れてきた。いや、正確に言えば男性社員とは馴染んできた。ここの職場は女性が多い。さすがに女性達の会話には中々入り込めるものじゃない。職場の全体構成はトップの下に農作業する人が3名、営業員が2名(私)と事務員(?)が4名。で、この事務員が全員女性。年齢は若い人からそうでない人(こら)まで様々。農作業員は朝と夕方しか事務所におらず、またもう一人の営業さんはお隣の旧西土佐町所属の為こちらには殆ど顔を出さない。そういう事情から昼間事務所は男性がトップの方と私だけ。後の4名は女性。まさに女性だらけ。女性同士の会話には中々入り込めるもんじゃないぞ、と。ま、それもいずれは解消して行くでしょうね。仲間だもの。それはともかく。本日は昼前に黒潮町に申し込んでおいた町営住宅の抽選会に呼ばれていた。昼前に少しだけ暇をもらって車で15分の黒潮町役場へ。役場の担当者から事前に抽選は2名で行うことを聞き出していた。つまり確率は50%だ。これを高いと思うか、低いと思うか。私はとても高いと感じた。と言うか確率なんてあてにならないことを既に私は知っている。いや、信じているというべきか。宝くじで一等が当る確率は約1.000万分の1。つまり0.00001%。でも当る人は当る。単純な確率論だけで考えると、宇宙が始まって物質が生み出されそれが生命に進化するには宇宙の歴史である137億年では全く足りないそうだ。現実はそれが生命どころか人間にまで進化している。つまり冷静に考えれば確率論を越える更なる理論がこの宇宙には働いていると考えるのが自然なことなのだ。それを私は勝手に運命論として信じている。現代科学がベースとしている偶然性を重視する確率以外に、宇宙には必然性を基本原理とした、まず意志あり、の法則が存在するのではないだろうか。量子力学の世界では実に実験する人の意志が実験結果を左右するという不思議な結論も本当にあるのだ。話を元に戻すと、私は抽選を行う前から既に結果があることを知っていた。私が黒潮町に来てそこで何か次の運命を背負っているなら抽選に当る。それだけのことだ。ま、結果として抽選には当ったのだけど。黒潮町で私が経験すべきこと、出会うべき人、がきっとあるはず。なーんて真面目に言うと胡散臭いよなぁ。続いて午後からは我々が所属する組織の主な関係者を集めた会議が行われた。この会議はベースに我々の組織がうまくいっていないという事実が表面化してきたので取り巻く関係者らが心配してヒアリングを行っていた、という経緯がある。ま、何処にでもある問題のようにトップと従業員との対立関係が激化してうちのリーダーさんでは手に負えなくなってきたのだ。前回お話したように、確かにうちのリーダーさんの能力には問題がありそうだ。だけど、リーダーとしての能力なんてものは大した問題じゃない。どんな組織でも社長がその会社の全事業において全知全能であることなど不可能だ。ならばトップの資質というのは何だろうか?私はトップにいる人は仕事の能力なんて関係ない、と極端に言えばそう思っている。多かれ少なかれ社員に手伝ってもらわねば組織なんて回りはしないのだ。ならばどうすれば人に手伝ってもらえるのか?人は誰でも社会的・人間的な自己実現という欲求を持っている。これは単純に言い換えれば人から認められたいという欲望とも言える。自己実現が自分の中だけで完結するだけの精神性を持った人はインドで聖者と言われているような人で、洞窟で瞑想だけして幸せに生きて行ける人だけだろう。人を救おうとかいう社会的な行動を起こす人は、実は自己実現の煩悩を捨てきれていないのではなかろうか。つまり、ブッダ(釈迦)やキリストは・・・・・・話がそれた。ともかく自分が人を積極的に認めてあげれば認められた人は、意識せずにその欲求を解消できる手段として自分に尽くしてくれようとする。これが不景気の日本で騒がれている、上手な経営をする社長さんの手法ということになる。そして次の社会に目指すべき経営のスタンダードになるかも知れない。その手法の原点は、まず相手の話を聞くことだ。簡単なようで中々できない。人間には他人から認められたいという欲求があり、常に自分のことを話したいのだから。だからこれを実践するにはある程度の精神性が必要ということになる。まずは自分の欲求を抑えられること。と、冷静に考えればロジックは簡単。瑣末なことを一つ一つ取り上げれば解決不可能と思うほどこじれてしまったように見える状況も、案外簡単に解決の糸口が見つかるかも知れない。こんなこと言ってる私がここへ呼ばれたのも確率の結果ではない、と信じている。さて、私も税金泥棒で終わるか・・・・・・・それとも?まぁまぁかな、と思ったら応援よろしこ。一回ずつ、ポチポチっと↓↓↓ なーんて。 「ねはんの里」ホームページへ