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2010.10.10
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カテゴリ:対中・対韓関係
mixiで、あるマイミクさんが非常に良いことを書いていたので、この問題について考えてみました。
私は、尖閣諸島は日本の領土であると思っています。(以前の記事に書いたとおり)

その根拠は、1895年に日本が領有して以降90年(沖縄自体が米国の統治下にあった1945-70年を除き)に渡って日本が実効支配し続けていること、1970年までの75年間は中国(清朝→中華民国→中華人民共和国)もそれに対して異を唱えていないことによります。
「無主地先占」と言って、誰も住んでいない、どこの国の領土でもなかった地域を先に実効支配することは、国際法上認められた領土獲得の正当な根拠となります。従って、当時どこの国にも属していなかった尖閣諸島を日本が領有し実効支配を行えば、日本の正当な領土となるのです。
ちなみに、現在では、「もはや無主地は存在しない」ということになっているので、これから新たに無主地を先占して領有宣言ということはできません。(南極については、南極条約によって各国の領有権の主張が凍結されています)

もっとも、1895年当時、日本は尖閣諸島の編入を非公式の閣議で決定し、この事実を外国に対しては特に伝えていなかったようです。だから、中国側は、日本が尖閣諸島を領有した(と主張した)事実に、リアルタイムでは気がつかなかったでしょう。しかし、その後日本側は鰹節製造やアホウドリの羽毛採取のため入植を開始しており、最盛期には200人が住んでいましたから、数年以内には日本の「領有」の事実を知ったはずです。
1919年に、遭難した中国の漁民が尖閣諸島に漂着し、日本側に救助されるというできごとがありました。翌1920年に、この件について中国(中華民国)の駐長崎領事から、救助関係者への感謝状が出されていますが、そこにははっきりと「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と書かれています。つまり、1920年の時点では、ここが日本の領土であることを中国側は認識しており、かつそれに異議を唱えていなかったことがわかります。
1920年と言えば、その前年に五四運動が起こったばかりですが、日本の侵略に反対するこの運動の中で、「尖閣諸島を返せ」という主張は出てきたことがありません。1930年代、日中戦争当時も、蒋介石や毛沢東らが尖閣諸島について対外的に何か主張したという事実は知られていません。

無主地先占の法理には批判もあります。帝国主義の時代に欧米列強がこの法理を振りかざして多くの地域を植民地化した事実があるからです。無主地先占の法理は植民地主義正当化のための理屈に過ぎないではないか、ということです。その批判は、まったく正しいけれども、尖閣諸島問題については的はずれだと言うしかありません。なぜなら、ここは無人島だったからです。
1975年、北アフリカの西サハラをモロッコが侵略した事件(西サハラ問題)に関連して、国際司法裁判所より以下のような勧告的意見が出ています。

スペインが西サハラを植民地化した時である、スペインが西サハラに保護関係を宣言した1884年の時期の国家慣行では、社会的・政治的組織を持った地域は無主の地とはみなされておらず、それらの地域の取得は「原始的権原による無主地の先占」ではなく、地域の首長との合意によるものである。」(1975・10・16勧告的意見)

つまり、「社会的・政治的組織を持った地域」を「無主地」だと称して植民地化を正当化する論理は、1884年の時点ですでに無効だった、ということです。
しかし、「原始的権原による無主地の先占」という法理がが当時認められていたことは、この判決でも認められています。つまり、「社会的・政治的組織」のある地域を無主地というのは通らないということであって、それがない地域は無主の地と見なされた、ということになります。無人の地域に社会的・政治的組織などあるわけがありません。

ちなみに、1895年以前から、尖閣諸島は中国が実効支配していたというのが中国側の言い分ですが、それは無理というものです。確かに中国(清朝)が尖閣諸島の存在を知っていたことは事実ですが、日本側(最初は琉球王国)も知っていました。単に知っていて地図に載せていたと言うだけでは、領有していたということにはなりません。
はっきり言ってしまえば、こんな絶海の孤島の無人島は、当時日本(琉球)にとっても中国(清朝)にとっても、航海の目印という以外はどうでも良い存在に過ぎなかったわけです。

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さて、そういうわけで、私は尖閣諸島は当然に日本の領土だと思っているわけですが、ただし、「尖閣諸島は日本固有の領土」と言われてしまうと、ちょっとどうかと思ってしまうのです。

領土とか国境線などというものは、時代によっていくらでも動くものです。だから、はっきり言ってしまえば「××国の固有の領土」なんてものはないと、私はそう思っています。歴史的経緯から考えれば、東プロイセンはドイツの「固有の領土」であるはずです。しかし今東プロイセンはドイツ領ではないし、ドイツは返還要求も掲げていません。同じく、テキサスやカリフォルニアも、歴史的経緯を考えればメキシコの「固有の領土」であるはずです。

日本の歴史はいったいどのくらいの長さでしょうか。皇紀2670年とかいう政治的おとぎ話はともかく、邪馬台国あたりから数えても、1700年以上の歴史があります。その中で、日本が尖閣諸島を支配したのはたかが最近100年、しかも、その大半の期間は無人島でした。もちろん、たかが100年でも正当な領土であることに疑問の余地はないし、中国が支配したのは0年ですから比較になりません。でも、これで「固有の」なんて言葉を掲げるのは過剰表現に過ぎるように思います。

そもそも、日本の「固有の領土」と言えるのは、東北南部以西の本州と四国、九州だけでしょう。
東北北部(現在の岩手・秋田・青森)は11世紀頃まで、北海道は17世紀頃まで「蝦夷」であって、日本には服属していませんでした。沖縄はもともと琉球王朝という日本とは別の国であり、実質的には1609年に薩摩に征服されていますが、名目的には半属国状態で幕末まで一応独立国の体裁をとっています。

今後だって、領土が動く可能性はゼロではありません。

前述の東プロイセンやカリフォルニア・テキサスは戦争によって奪われた土地ですし、琉球や蝦夷だって、軍事的な侵略によって征服された土地です。しかし、かつて戦争で奪った土地であっても、今となっては正当な領土と見なされるのが国際社会の現実です。
しかし、現在これから他国の領土を侵略して奪い取る、という行為は国際社会から認められないので、そのようにして奪った土地も領土として公認されません。
その意味では、かつてより国境線が動く可能性は減少していますけれど、平和的な合意によって、ある地域をある国が別の国に譲ることはあり得ますし、ある地域が分離独立することもあり得るでしょう。たとえば、沖縄が住民の総意によって日本から独立するということは、(現実の可能性としてはきわめて低いですが、理論的には)あり得ないことではありません。

中国側も、尖閣諸島は中国固有の領土だなどと言っているようですが、これも同様です。歴史上ただの一度も実効支配したことのない無人島を「固有の領土」と言ってしまうのは滑稽ですし、だいたい中国4000年の歴史の中で過去に領土だった地域と現在の領土と、全然一致していないのに、「固有の領土」などという用語を振りかざしたって仕方がないでしょう。歴史的に見れば、チベットやウイグルは全然中国固有の領土ではないし、逆に沿海州やモンゴル(外蒙)、ベトナムが中国の領土だった時代もあるわけです。

尖閣諸島は100年前から日本が実効支配しているから日本の領土、ごく単純に言ってしまえば、それだけのことであって、それ以上でもそれ以下でもありません。だから、「固有の領土」というのもまた、ナショナリズム的硬直思考の一種ではないかと私は思ってしまうのです。





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最終更新日  2010.10.10 10:33:16
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