(この人は一体誰だ?)
ユリウスは、自分を見下ろしている青年を恐怖で震えながら見ていた。
其処に居るのは紛れもなく自分の恋人の筈。
皇妃譲りの美貌を持ったハプスブルク家の皇子。
だが、今自分を押し倒して犯そうとしているのは、彼の姿を借りた別の“モノ”だ。
「あなたは・・誰なんですか・・」
喉奥から絞り出すようなユリウスの言葉に、“それ”は笑った。
「ナニ言ッテルンダ、ユリウス。ワタシガワカラナイノカ?」
宝石のように美しく、常に意志の強い光を宿した蒼い瞳は、今は禍々しい暗赤色に妖しく煌めいていた。
「ワタシト一緒ニ死ンデクレルダロウ、ユリウス?」
「嫌です・・離してください・・」
ユリウスは何とか“それ”から逃れようとしたが、力強い“それ”の両腕に両肩を押さえつけられてビクともしない。
「ユリウス、アイシテル・・」
ゆっくりと、桜色の唇とビロードの舌がユリウスの口腔内を犯した。
その時、彼は見た。
夏の陽光に照らされた、“それ”の黒い影を。
「ひぃ・・」
悲鳴を上げたユリウスは、震える手でロザリオを掴んだ。
神を裏切ったというのに、今こうして神に縋っている自分の姿が滑稽でならなかった。
それでもユリウスは、神に縋りたかった。
だが、どれだけ神に助けを求めても、神は“それ”を追い払ってくれなかった。
「ユリウス、ドウシタンダ?」
暗赤色の瞳を煌めかせながら、“それ”はそっとユリウスの頬を撫でて来た。
カラン、という音がして、サーベルが地面に転がった。
「あなたは・・誰なんですか? あなたは・・」
「馬鹿ナ事ヲ。本当ニワタシガ誰ナノカ解ラナイノカ?」
(違う・・今ここに居るのはルドルフ様じゃない。)
ルドルフの身体を乗っ取った、禍々しい瞳を光らせた魔物に、ユリウスは恐怖に震えた。
ユリウスは護身用の短剣を取り出し、その刃を首筋に当てた。
ピシャリ、と緋の噴水が顔にかかり、ルドルフは漸く我に返った。
「ユリウス?」
ルドルフは一体何が起こったのかが判らず、恋人の姿を探した。
ユリウスは短剣を握り締めたまま息絶えていた。
短剣の切っ先は、彼の血で濡れていた。
「ユリウス、しっかりしろ!」
ルドルフは半狂乱になりながらユリウスの身体を揺さ振ったが、何の反応も返って来ない。
「誰か、来てくれ! 誰か!」
「その者は死にました。」
凛とした声がして、ヒールの音を響かせながら金髪の女官がすっとユリウスの隣に座り、彼の脈が止まっていることを確かめた。
「そんな・・嘘だ! お願いだ、ユリウスを助けてくれ!」
「どうしても、その者を救いたいのですか?」
女官はそう言って、蒼い瞳でルドルフを見つめた。
「彼を助けてくれるなら、どんな手を使ってもいい!」
「・・解りました。では・・」
女官は暗赤色の瞳を煌めかせると、息絶えたユリウスの唇を塞いだ。
すると突然突風がごうっという唸りとともに吹き、シニョンに結っていた彼女の腰下までの長さの髪がばらばらと解けた。
「これでもう、彼はあなたのもの。」
女官はそう言うと、ユリウスを抱き上げた。
己の体重よりも重い彼の身体を、彼女は難なく横抱きにすると、裏口へと向かっていった。
「待て、ユリウスを何処へ連れて行くつもりだ!?」
「わたくしについて来て下さい、殿下。」
女官とともに裏口へと出て幾つかの路地を通ると、ルドルフは見憶えのある洋館の前に立った。
(わたしは、ここを知っている・・)
一瞬既視感に襲われながらも、ルドルフはゆっくりとカーゴイルの彫刻が施されている門を開け、館の中へと入った。
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