「あの、こちらに何か御用でございますか?」
千尋は突然の来客に警戒しながらも、そう言って男を見た。
「失礼、わたくし、こういう者です。」
男がスーツの胸ポケットから、一枚の名刺を取り出した。
そこには“帝国新報社会部 国昭吉弘”と印刷されていた。
「帝国新報の記者さんが、旦那様に一体なんのご用ですか?」
「ええ、実は・・」
男がそう言って邸の中へと一歩入ろうとした時、斎藤が険しい表情を浮かべながら千尋と男との間に割り込んできた。
「旦那様に何かご用ですか?」
「はい。ある事件について、土方氏に取材したいと思いまして・・」
「失礼ですが、旦那様とあなた様は一体どのようなご関係で? 予め相手の都合を聞かずに押しかけるなど、余程親密な仲でいらっしゃるのでしょうね。」
遠回しに斎藤は嫌味を言ったつもりであったが、男には全く効かないらしく、とにかく土方に会わせてくれとの一点張りだった。
「斎藤さん、どうしましょう?」
千尋が心底困り果てた顔をしながら男を見つめている。
「申し訳ありませんが、今日のところはお引き取り願・・」
「斎藤、そいつを通してやれ。」
頭上から声がして彼らが振り向くと、丁度土方が階段から降りてゆくところだった。
「旦那様、ですが・・」
「そいつは俺が呼んだ。国昭さん、そんな所じゃぁ何だから、茶でもしながら話をしようか?」
「はい!」
斎藤の気迫に気圧されていた男は、土方の言葉を受けてそう言って顔を輝かせると、居間へと入って行った。
「千尋、茶の用意だ。」
「はい、旦那様。」
千尋は男をちらりと見ながらも、彼に茶を出す為に厨房へと向かった。
「済まねぇな、うちの執事が失礼をしてしまって。」
居間のソファーに座った土方は、そう言って国昭を見た。
「いいえ、そちらに連絡もせずにいきなり来てしまったわたしが悪いんですから、お気になさらず。それよりも土方さん、あの事件の事を憶えておられますか?」
土方は国昭の言葉を聞くと、美しい柳眉を上げた。
「あの事件の事は、忘れたくても忘れられねぇよ・・」
その事件は今から10年前、土方が留学の為渡英する直前に起きた、凄惨な殺人事件だった。
被害者の名は琴。
土方の許婚であり、彼の子を妊娠していたが、何者かに殺害された後、腹から胎児を取り出された無残な姿となって荒川の土手で発見された。
当時警察は土方と琴との間に別れ話が持ち上がっており、それに逆上した土方が琴を殺害したのではないかと疑いが掛かったが、それを裏付ける証拠がなく、土方は無罪放免となり、事件の真相は闇へと消えていった。
「あの事件からもう10年・・未だに犯人の手掛かりすら掴めませんが、最近になって重要な証拠が出て来ましてね。」
「証拠だと?」
土方はそう言うと、ソファから身を乗り出した。
「ええ、これです。」
国昭が鞄の中から出したものは、男物の腕時計だった。
「これが、何か事件と関係あるのか?」
「ええ。この腕時計が被害者の傍に落ちてました。フランス製で、大変高価なものだと。それにこの腕時計を購入した者は、国内に5人しかおりません。」
「そうか。その5人の内の誰かが、琴を殺した犯人って訳か。」
土方がハンカチに腕時計を包んでそれを眺めていると、居間のドアがノックされた。
「お茶をお持ちいたしました。」
「入れ。」
千尋が土方と国昭の前に紅茶が入ったカップを置くと、国昭がちらりと千尋を見た。
「あの、何か?」
「突然失礼だが君、何処かで会ったことないかい?」
国昭の言葉に千尋は首を傾げた。
「さぁ、あなた様とお会いしたのは今日が初めてですが・・」
また新たな登場人物が。
新聞記者の国昭さんです。
お琴さんの事件と、腕時計は創作ですので、あしからず。
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