カテゴリ:詩
宮沢賢治(みやざわ・けんじ)
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンヂヤウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ * サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ 昭和6年(1931)11月3日付自筆手帖 註 表題のように扱われることもある「雨ニモマケズ」は、あくまでも通称にすぎない。この作品の原稿は、手帖に書かれたメモのごときものであり、実際は無題と見るのが妥当であろう。岩波文庫版は、当該ページ上段に記された日付「11.3(十一月三日)」をタイトルとしている。 この作品は、賢治が闘病中に手帖につづったものが歿後に見つかり、世に知られることとなった。完全主義者で推敲魔だった賢治作品の原稿の多くは、生前はほとんど無名であったこともあり、どれが最終決定稿であるのかもにわかに判然としないほどの雑然とした有り様だったといわれ、研究者を悩ませ続けてきたが、それらと同様にこの作品も、発表が念頭になかったせいだろう、手帖に残した走り書きという趣きであったが、死後そのまま紹介されて日本近代詩の傑作の一つという揺るぎない評価を受けるに至った。 発見したのは、作家・横光利一、詩人・草野心平、文芸評論家・谷川徹三らである。 現代日本を代表する詩人・谷川俊太郎は徹三の長男であり、その父の死を詠った悲痛な現代詩「父の死」を収めた詩集のタイトルは『世間知ラズ』である。「雨ニモマケズ」という言葉の語感が、現代にまで響き続けているともいえよう。 * ヒドリ:「ヒデリ(日照り、旱魃)」の誤記説が有力だが、「日取り」(日雇い仕事)や「ヒドリマゲ」(目の炎症を意味する岩手方言)説などもあるという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.11.04 09:47:36
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