357.戦争と文学・陸軍(17)一生猫を被りつづけることができればそれでよいではないか
(カモメ)続けて読んでみます。「予はなにゆえに軍人を志したかを、憶い出すことができない。人間がだれも出生の記憶を持たないように」(ウツボ)「当時、次第に高まりつつあった軍国主義的風潮は、予にはほとんど関係が無い。また、仲間のひとりが頬を輝かしながら断言したように、颯爽たるちいさな軍服姿に憧れをいだいたわけでも毛頭なかった」(カモメ)「軍人の家庭に人となった予は、予もまた軍人になるという道について、かつて疑って見ようとはしなかった。ドイツの詩人たちの好んで用いる表現に従えば『いわば運命として』予はその道程を受け入れた」(ウツボ)「そうして、仲間の多くが郷党の与望をその幼い肩にになって、誇り高くふるまおうとしている事実にも、多くの関心を払わなかった」。(カモメ)村上氏は軍人になった動機は特別に無く、軍人の家庭に育ったので、自然に軍人の道を志したのですね。それが運命だと。(ウツボ)そうだろうね。「蛙の子は蛙」で、当時は軍人の子は当然のごとく軍人の道を選んだ人が多かった。(カモメ)村上氏もそのようにして軍人になったのですが、郷党の与望をになう、つまり故郷の期待を一心に引き受けて、軍人として誇り高く生きている仲間(士官学校同期生)のそういう志には、村上氏は関心がなかったのですね。(ウツボ)忠義とは、武士道において主君に真心から仕えるということだね。軍人として上官つまり、さかのぼれば天皇陛下に対する仕える態度に、いいかげんさがあった、ということを村上氏は述べている。(カモメ)軍人になりだちは、それがそのまま出て、失敗を重ねていたが、数年たつと、うまくそれを隠して、要領よく忠義なる軍人を演じられるようになった、とも村上氏は述べていますね。(ウツボ)そうだね。ところで、前述の「無用の困憊を重ねた」の困憊(こんぱい)とは「ひどく疲れる」という意味だね。(カモメ)終戦、陸軍という組織の崩壊、それに伴う軍人の人間模様が展開、進行していくのですが、この「忠義なる軍人を演じる」という村上中尉のスタイルが、この体験小説の全編に渡って貫かれていますね。(ウツボ)だが、陸軍崩壊の渦に巻き込まれた村上中尉は、その時の様々な軍人の出現と相対して、最後には切羽詰るというか、抜き差しなら無い状況に追い込まれていく訳だ。(カモメ)その生命を脅かす最後の危機は、皮肉にも村上中尉の勢い込んだ「忠義なる軍人を演じる」というスタイルから発生したものですね。(ウツボ)そうだね。自業自得なのだが、そのスタイルで過激な軍人グループに近づいた結果だった。そのスタイルについて、村上氏はもう少し具体的に次のように述べている。(カモメ)読んでみます。「予は次第に軍人生活に狎れ、また熱心に修養に励んだ結果、心の内奥の事件と表面の行為とを切り離して表現することに熟達するようになった。予は俚諺にいう『猫を被った』のである」(ウツボ)「この際その死後、軍神と呼ばれるにいたったある男が、友人の非難に対して言ったという『一生猫を被りつづけることができればそれでよいではないか』という遁辞は、予のあらゆる行為における規範となった」。(カモメ)村上中尉は母校の陸軍士官学校の区隊長として勤務しているときに、終戦となりました。村上中尉は士官学校の生徒を集め解散の前に次のように言いました。(ウツボ)「今日かぎり予は軍刀を捨てる」。「日本は負けたのだ。貴様たちも銃を捨てて、捲土重来を期さねばならぬ」。(カモメ)だが、村上中尉は、解散を命じてから自分がしゃべったことの誤謬に気がつきました。「……予はまさに反対のことを説くべきであった」。敗戦のショックで、村上中尉は混乱し、「猫を被りそこねた」のですね。(ウツボ)それを聞いた生徒の反応は、いつもなら、われがちに宿舎にとびこんで、武装の負担を一刻も早く投げ出そうとするのに、その日はどうやら勝手がちがっていた。(カモメ)彼らは家畜の群れのように塊りあって、口々に罵声を放ちはじめたのですね。「昨日までは、もっぱら上官の眼を盗んで課業をズルけていた怠け者が、今日は日本一の愛国者の顔をしていた」と。(ウツボ)「今までかつてなかったほど、祖国の運命をおもい、なげき、呪いの唾を吐き散らしながら、地団駄踏んでくやしがった」とも。(カモメ)「戦争はまだ終わるものか」とある候補生が叫ぶと、それに応ずる不穏な気勢が、唸りのように盛り上がったのですね。