670.海軍撃墜王列伝(10)はじめて空戦で、味方機から離れて敵を墜とそうなどとは身のほど知らずだ
(ウツボ)「しまった」。出撃時に弾丸は半装填し、敵地上空に入る前に全装填しなければならないのに、半装填のままだった。初陣で、坂井三等航空兵曹は上がっていたのだ。(カモメ)坂井三等航空兵曹があわてて全装填にする間に、隊長機が一連射し、敵機に向かって威嚇射撃をしました。(ウツボ)この一撃で、敵機はあわてて左急旋回をやった。そのために、坂井三等航空兵曹との距離がぐんとつまった。もはや距離は二〇〇メートル位だった。(カモメ)その時、敵機は機首を立て直して、また直線飛行に移りました。「絶好のチャンスだ!」。坂井三等航空兵曹はやや落ち着きを取り戻して、日頃の訓練の要領通りに狙いを定め、引き金を引きました。(ウツボ)ダダダッ……と激しい手応えがあって、曳光弾を交えた弾丸が、二筋の紐のようになって流れて行った。当たっているのか分からないが、坂井三等航空兵曹は発射把柄を握りっ放しだった。(カモメ)敵機はまたも左へ急旋回しました。それで、さらに距離がつまって一五〇メートル位になったのです。坂井三等航空兵曹は発射把柄をゆるめるのも忘れて撃ち続けていました。(ウツボ)敵機は再び水平飛行に移ろうとした。その瞬間に弾丸が当たったらしく、尾部からパッと黒い煙をふいた。同時に敵機はガクンと機首を下げ、そのまま下方へ突っ込んで行った。(カモメ)坂井三等航空兵曹はこの黒煙をふきながら突っ込んで行く敵機を追いました。だが、下方は一面の密雲でした。(ウツボ)気が付くと、坂井三等航空兵曹は、単機になっていた。大空の中に一人ぼっちだった。味方機は一機もいなかった。(カモメ)飛行服の下は汗でびっしょり、のどがカラカラに乾いていました。機銃はすでに全弾撃ち尽くしていました。いかなる場合でも、万一に備えて、弾丸は必ず残さなければならない。それさえも忘れていたのですね。(ウツボ)そうだね。興奮が冷めてくると、心細くなった。坂井三等航空兵曹は機首を回して、元来た方向へ引き返してみた。(カモメ)すると、はるか前方、夕映えの空に、味方編隊が緩い旋回をしながら、坂井三等航空兵曹を待っていてくれたのです。(ウツボ)この日、坂井三郎三等航空兵曹の親友、宮崎儀太郎三等航空兵曹も一機撃墜した。(カモメ)ところが、帰投してから、二人は、指揮官の相生隊長から「はじめて空戦で、味方機から離れて、敵を墜とそうなどとは身のほど知らずだ」と、さんざんに叱り飛ばされました。(ウツボ)だが、二人が夢中になって敵機に挑んでいた時、二人とも少しも気づかなかったのだが、隊長や、古参の搭乗員たちは、いざという時にはいつでも助けられるところに位置を取って、初めから終わりまで二人の行動を見守ってくれていた。(カモメ)以上が撃墜王・坂井三郎中尉の初陣の記録です。(ウツボ)昭和十七年二月、バリクパパンの台南航空隊では、先制空襲により敵の在ジャワ空軍を撃滅することになった。(カモメ)当時ジャワ島は蘭印(オランダ領東インド)と呼ばれ、オランダの占領地で、オランダ軍とアメリカ、イギリス、オーストラリアの連合軍が進駐していたのですね。(ウツボ)そうだね。そこで、台南航空隊の零戦隊と、セレベス島メナドにある第三航空隊戦闘機隊の一部がこの作戦に参加することになった。(カモメ)二月十九日午前八時、整列した搭乗員を前に、台南航空隊司令・斎藤正久(さいとう・まさひさ)大佐(宮城・海兵四七・第八期航空術学生・アメリカ出張・空母「龍驤」飛行長・海軍航空本部技術部部員・中佐・横須賀航空隊教官・第一五航空隊副長・霞ケ浦航空隊飛行長・大村航空隊参謀副長・木更津航空隊副長・大佐・台南航空隊司令・航空本部教育部第一課長・第二二一航空隊司令・第二五二航空隊司令・終戦)から次のような訓示がありました。(ウツボ)「諸君は、ジャワ攻略部隊の第一陣先鋒として、本日こちらからすすんで先制空襲をかけるのであるが、敵の邀撃戦闘機隊は必ず撃滅するよう。その成果如何が、今後の上陸作戦を大きく左右するものであるから、諸君の、今日の任務は重大である。大いに頑張ってもらいたい」。