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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2009.02.20
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(カモメ)陸軍大学校の校庭にあったもう一つの胸像、メッケル将軍は、明治18年にドイツから来日し陸軍大学校教官として教え、日本陸軍に大きな影響を与えましたね。

(ウツボ)メッケル将軍については後で詳しく触れるけど、来日したときは少佐だった。メッケル少佐以前は、日本陸軍の戦術はフランス流だった。

(カモメ)フランス流はつまりナポレオン戦術ですね。ナポレオンの十八番である中央突破を特に重視した戦術ですね。

(ウツボ)中央突破のナポレオン戦術については、当時歩兵第一連隊長だった乃木希典大佐と、歩兵第二連隊長・児玉源太郎中佐が対抗演習を行った時の話がある。児玉中佐がナポレオンの中央突破戦術を試み、乃木大佐を破ったのだ。

(カモメ)児玉源太郎が歩兵第二連隊長といえば、この時期は西南戦争後の明治十三~十四年頃の話ですね。

(ウツボ)その頃だね。当時軍人の間では、その乃木と児玉の対抗演習が話題になり、それで、「気転利かしたあの乃狐を、六分の小玉にしてやられ」という都々逸までできた。気転は「希典」で乃木の名前、乃狐(野ギツネ)は「乃木」のことで、六分は一寸に満たない、つまり「小さな」。小玉は「児玉」のことだね。

(カモメ)ところが、そのフランスのナポレオン戦術もドイツ人のメッケル少佐の来日で変更されました。メッケル少佐はモルトケの弟子で、ドイツのモルトケ戦術を陸大の学生に講義しました。モルトケ戦術は包囲重視思想だったので、メッケル来日以来、日本陸軍の戦術も突破よりも、包囲を重視する傾向に変わりました。

(ウツボ)そうだね、突破よりも包囲、つまりフランスからドイツ方式に変わった。しかも、メッケル少佐は緒戦必勝を力説した。これが、以後太平洋戦争の終わりまで、日本陸軍の作戦の根底にあったことは確かだ。当時の日本陸軍の指導者は、ほとんど「天保銭」(陸軍大学校卒業者)だからね。

(カモメ)その「天保銭」ですが、「陸軍大学校」(芙蓉書房)によると、「天保銭」とは陸軍大学校卒業徽章の俗称で、天保六年(1835年)に江戸幕府が鋳造した楕円形の銅貨「天保銭」に似ていたので、そう呼ばれていました。

(ウツボ)ところが江戸幕府の天保銭は当時、価値は百文に相当したが、明治維新以後、価値は八厘となり一銭にも相当しなくなったんだ。

(カモメ)なるほど。

(ウツボ)だから、もともと天保銭の俗語としての意味は、「一銭にも満たないので、時勢に遅れた人や、少々足りない人を、あざけって言う」ことだった。

(カモメ)ですが、帝国陸軍における天保銭の意味は、陸軍大学校卒業徽章であり、エリートを示すものでしたね。

(ウツボ)日本が陸大卒業徽章を取り入れたのは、フランス陸軍を真似た。もともとフランス陸軍に陸大卒業徽章があった。ちなみに、日本の軍人の中には、フランスのパリの陸大卒業徽章と、日本陸軍の天保銭の二つ持っている人もいた。

(カモメ)日本の陸大卒業徽章の菊座は銀、星章は金で、どっしりしたいぶし銀の光彩を放っていました。

(ウツボ)「さび天」と呼ばれることもあった。「さび天」は陸大を出たが、その後振るわず出世から遠のき光を失った軍人を指した言葉だ。

(カモメ)陸大出の天保銭に対して、陸大を出ていない士官は「無天」と言いましたね。陸大卒業徽章の天保銭が無いという意味ですね。

(ウツボ)「昭和陸軍秘史」(番町書房)によると、著者の中村菊男氏が「天保銭組と、そうでなかった人の心理的な齟齬感というか、違和感というか、そういったものはどうだったんでしょうか?」と質問したら、堀毛一磨元陸軍少将(陸士28・陸大37)は次のように答えた。

(カモメ)読んでみましょう。「それはひどいものだったですね。陸大に入るまでは同期生として、それこそ士官候補生として同じ釜の飯を食い、野営に行って一緒に酒保のうどんを食ったりなんかした、極めて親しくやっていた仲だったのに、それが一方が陸大(三年間)を出て天保銭を付けて肩で風を切って帰ってくると、あの野郎と嫉視羨望することは人間として免れ難い」

(ウツボ)次を読んでみよう。「そして卒業して帰ってきた者が極めて謙虚に、どこまでも友達は友達という態度をとって接すればいいんですが、やはりエリートぶる。また、陸大を卒業して帰ってくれば、一年ぐらい隊付したら、全部ダーとオサラバする。つまりお義理に中隊長を一年もやれば、陸軍省とか参謀本部とか、あるいは各学校の教官というようなポストへずっと行ってしまうわけです」

(カモメ)続けます。「一方、無天の隊付将校は堂々として兵隊さんを訓練することをとにかく一生の仕事と考え、それに打ち込んでいるわけでしょう。かつては同時に士官候補生になった一方が、そういう風にして、忽ち後ろ足で砂をかけてパッとそれぞれのしかるべきところへ栄転し、さらにまた二、三年たつと、一方は、参謀本部にいる連中は、参謀肩章を吊って検閲なんかに随員としてやってくる」

(ウツボ)次を読もう。「そして一段と高いところから隊付将校を見下ろすような形になる。軍人の生命は軍隊であって、兵隊を訓練して戦に出ることだ。だから一番大切な軍人の仕事は隊付であるんだと、口ではそう言いますけれども、現実には、今言ったような形になるんです。しかも進級がずっと違ってきますから、同期生でその昔、オレ、貴様でやっていた者が、そういう差がついてくると、感情的に不和となってくる。それは免れないことでしたね」







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最終更新日  2015.08.16 11:45:02


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