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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2012.11.09
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カテゴリ:戦争と文学・陸軍
(カモメ)高村光太郎(たかむら・こうたろう・明治十六年三月十三日東京生まれ・詩人・彫刻家)は、「沈思せよ蔣先生」の題で次のような詩を寄稿しています。(一部を抜粋)。蔣先生とは蔣介石のことですね。

(ウツボ)読んでみよう。「先生はいそがし過ぎる。 先生は一人で八方に気を配る。 目前の処理に日も亦足りない。 英米的民主主義が右にいる。 モスクワ的共産主義が左にいる。 うしろには架橋が様子を窺い、 しかも面前には吾が日本の砲火が迫る。 先生は一人でそれに当たろうとする。 先生は思想と行きがかりとに憑かれている。 何を為しつつあるかをもう一度考えるため、 先生よ、沈思せよ。 この一月の月あかき夜半、先生は地下の一室に何を画策する。」

(カモメ)アジアの民族主義を思想的に受けとめている高村光太郎は、このような詩を発表して、蔣介石に対して「先生よ、沈思せよ」と揶揄しているのですね。

(ウツボ)いや、揶揄というよりも、警告というか訴えているのだね。この詩の前の段に「けれどもわたくしは先生によびかける」とある。

(カモメ)高村光太郎は元々蔣介石を評価していたのですね。

(ウツボ)そうだよ。だが、第一次近衛内閣のとき、昭和十三年一月十三日、近衛文麿首相は、「今後は国民政府(蔣介石)を相手にしない」という声明を出した。

(カモメ)日中戦争において、蔣介石が抗日の戦いをあくまで継続すると言ったのですね。

(ウツボ)これは前年の十二月に日本軍が南京を攻略したとき、日本は講和に持ち込もうとした。だが、蔣介石がそれに反して「徹底抗戦する」と主張した。彼にはイギリス、アメリカなどの後ろ盾があったので、強気だった。この詩が作られた背景は、そういう状況になった後のことだからね。

(カモメ)高村光太郎のこの「沈思せよ蔣先生」はここでは一部だけ紹介しましたが、実際は非常に長い詩ですね。蔣介石に対して自分の湧き上がる思いを詩にしたのですね。

(ウツボ)そう、だからこの詩の後の段では、「先生は東亜の平和と共存とを好まないか。今でも彼ら異人種の手足となっている気か。わたしくは先生の真意が知りたい。」、「あり得べくんば長江のあたりへ飛んで、先生を面責したいのだ。」などと書いている。「抗日、抗日と突き進まずに、周囲を見回して静かによく考えてみなさい」と訴えている。

(カモメ)蔣介石は元々親日派でしたからね。終戦後も日本分割案や天皇制廃止論に強く反対しましたね。

(ウツボ)そうだね。次に三好達治(明治三十三年大阪市生まれ・陸軍士官学校中退・東京帝国大学文学部・詩人)に移ろう。三好は開戦後に、「アメリカ太平洋艦隊は全滅せり」の題で次のような詩を書いている(一部を抜粋)。

(カモメ)読んでみます。「ああその恫喝 ああその示威 ああその経済封鎖 ああそのABCD線 笑うべし 脂肪過多デモクラシー大統領が 飴よりもなお甘かりけん 昨夜の魂胆のことごとくは アメリカ太平洋艦隊は全滅せり! 荒天万里の外 激浪天を拍つの間に馳駆すべかりし ああその凡庸提督キンメル麾下の艨艟は 一夜熟睡の後 かしこ波しずかな真珠湾ふかく 軸艫相含みて沈没せり」。

(ウツボ)次に伊東静雄(明治三十九年長崎県出身・京都帝国大学文学部・詩人)は、「大詔」と題して次のような詩を記している。

(カモメ)読んでみます。「昭和十六年十二月八日 何という日であったろう 清しさのおもひ極わまり 宮城を遥拝すれば われら盡(ことごと)く ―誰か涙をとどめ得たろう」。

(ウツボ)野口雨情(明治十五年茨城県生まれ・東京専門学校中退・詩人・童謡作詞家)も開戦の詩を発表している。

(カモメ)野口雨情は小樽日報の新聞記者時代に、石川啄木と机を並べて仕事をしていたことがありますね。机を並べていたのは一年くらいらしいですが。

(ウツボ)野口の代表作は「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「シャボン玉」「雨降りお月さん」などで、誰もが知っている童謡詩人だ。そのような野口の、「大東亜戦争」という題の詩は次の通り(一部抜粋)。

(カモメ)読んでみます。「天にも地にも 世界中 あまねく知らす 亜細亜州 やがて夜明けは 近づきぬ 御陵威のほども 尊けり 第一戦は アメリカの 聞くも勇まし ハワイ島 続く英国 主力艦 物の見事に 打ち沈め 東亜の空に 敵はなく 進みて勝たぬ ことはなし 戦うたびに かずかずの 武勇は日本に あがりけり」。

(ウツボ)野口は太平洋戦争を日本帝国の戦いではなく、アジア解放の戦いと位置づけている。「やがて夜明けは 近づきぬ」「東亜の空に 敵はなく」などの表現が、それを強調している。

(カモメ)次は、太宰治ですね。太宰治は、「十二月八日」の題で発表していますね。この寄稿は太宰治の夫人、美智子が「私」という立場から日記的文章で太平洋戦争開戦の心情を語るという構成ですね。

(ウツボ)そうだね。他の作家の戦争賛美とは異質の小説だから少し詳しく見ていこう。次のように記されているところがある(一部抜粋)。

(カモメ)読んでみます。「十二月八日。早朝、蒲団の中で、朝の仕度に気がせきながら、園子(今年六月生まれの女児)に乳をやっていると、どこかのラジオが、はっきり聞こえてきた」

(ウツボ)「『大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり』。しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光の差し込むように強くあざやかに聞こえた」

(カモメ)「二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変わってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ」

(ウツボ)「あるいは、聖霊の息吹を受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ」

(カモメ)「隣室の主人にお知らせしようと思い、あなた、と言いかけると、すぐに『知ってるよ。知ってるよ』と答えた。語気がけわしく、さすがに緊張の御様子である」

(ウツボ)「いつもの朝寝坊が、けさに限って、こんなに早くからお目覚めになっているとは、不思議である。芸術家というものは、勘の鋭いものだそうだから、何か虫の知らせとでもいうものがあったのかも知れない」

(カモメ)「すこし感心する。けれども、それから大変まずい事をおっしゃったので、マイナスになった。『西太平洋って、どの辺だね? サンフランシスコかね?』」

(ウツボ)「私はがっかりした。主人は、どういうものだか地理の知識は皆無なのである。西も東も、わからないのではないか、とさえ思われるときがある」。

(カモメ)太宰治は太平洋開戦という驚くべき大事件を、妻の目を通して見るという設定で、比較的押さえた文体で、淡々と描いていますね。

(ウツボ)いや、淡々と描いたわけではなくて、これは、計算された意図的な文章だろうね。







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最終更新日  2015.07.23 21:42:47


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