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水彩画紀行  スペイン巡礼路 ポルトガル 上海、蘇州   カスピ海沿岸からアンデスの国々まで

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水彩画人 俊介

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カテゴリ:絵日記三昧


戦争の恐ろしさは、人が内に持つ狂気が噴出すること。


今から10数年前の出来事。

ソ連邦の崩壊をうけてアゼルバイジャンは独立宣言したが、

1990年のある日、ソ連戦車隊は、大型戦車を連ねて、この首都バクーに侵入。

バクー市民は、市内にバリケードを張って進入を阻止。

しかし、大型戦車は、つぎつぎにバリケードを乗り越えて進撃し、

バリケードを守っていた、多くの市民がタンクの下敷きになって死亡。

独立を勝ち取るためには、4748人の犠牲者が必要だった。

しかし、犠牲者は、それだけにとどまらなかった。

それから2年後、ソ連は、アルメニア人を扇動して、

アゼルバイジャンの国境の村を襲った。

以下の話は、体験した女性がせつせつと語った悲劇の真実。

彼女の名前はアドマドーヴァ。

アルメニアの国境に住んでいた学校教師の妻37歳。


「私たちは隣のアルメニア人の家族と、子どもの誕生日パーティに

招待しあったりして仲良くしていました。

しかし1992年の2月26日の深夜、アルメニア人たちが私たちの村を襲いました。

雪が降っている寒い夜でした。突然、戦車の音が聞こえました。

私たちは子どもたちを連れて森の方に逃げ込んでいました。

突然、9歳になる私の娘に銃弾があたって倒れました。

すでに、血だらけで、もう手遅れでした。

森には民間人がたくさんいました。

みな怯え、寒くひもじい思いで二日間とどまりました。

そして、アルメニア人たちは森の中にいる私たちを見つけ出したのです。

アルメニア人たちは、全員を殴りつけ、腕をケーブル線で縛って村に連れて行きました。

私たちの家を全部焼き払い、若い男たちはみな撃たれました。

彼らはまだ小さな息子を取り上げました。私が息子を手放そうとしなかったので、

私を殴ったり蹴ったりし私は血だらけになり、意識を失って床に倒れました。

目がさめたとき、息子はもういませんでした。

私は連れて行かれて拷問を受け歯をペンチで抜かれました。

アルメニア人の兵士たちは、私の義理の妹の娘に性的な暴力をふるいました。

義妹は娘を助けようとして首の骨を折られました。

伯母が止めにはいりましたが、彼らは彼女の金歯を抜き足の指のつめをはがし、

焼けた十字架を彼女の背中に押しつけて焼印をつけました。

伯母はそんな仕打ちに身体が堪えきれずに亡くなりました。

28日後、私は人質から解放されました。

村に戻ったとき、夫が死んだことを知らされました。

夫は彼の仲間たちも村と他の人々を守ろうとして殺されたのです。

私は自分の愛するものすべてを失いました。娘、夫、息子、親戚たち。

私は自分の人生に意味を見出すことができません。

毎日、こうした出来事を思い起こします。そして憤り、無力感に苛まれます。

今、私は息子と一緒に施設で貧しく暮らしています。十分な治療も受けられないし、

息子にも十分な教育を受けさせることができません。

私は世界中の人々みんなに聞いてほしい。私たちの声を、私たちの状況を。

私は戦争が嫌いです。私も私の愛する人々も、この悲惨な戦争の犠牲者です。

世界が平和になりますように。子どもたちが両親と平和に暮らし、幸せに、

健康に、強く生きられますように。いつも太陽の光があふれ、

青い空で、鳩が空を飛んでいますように。それが私の願いであり、希望なのです。 」

C

アルメニア人がこのように狂気になった背景には、誤った報道によって、

その前に、アルメニア人の住居がアゼル人の暴徒によって襲われたことも一因となっています。

これらの事実を目にして、感じることは、

人間を戦場という無法な状態に置くと、狂気に近い残酷さを示すと言うこと。

普通の人間が、おそろしいほど、残酷で凶暴な人間になるうると言うこと。

この狂気には、国民性や国境の差異はない。

本多勝一氏の「天皇の軍隊」を読むと、我々日本人が

いかに同様の残酷な行為を中国人に行ったかが詳しく書かれています。

たとえ敵といえども、それぞれに守るべき家族や世界がある。

一人が死ねば、それにかかわる多くの人々の幸せが消えてしまう。

ひとつの戦争は、また新たな戦争の種を後世にひきづっていく。







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Last updated  2003/08/29 02:17:46 AM
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