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カテゴリ:海外スケッチ紀行
日本の国宝「弥勒菩薩」などの仏像の原点がパキスタンにある。 そこは、ギリシャと日本をつなぐ、不思議な接点でもあった。 首都イスラマバードから1時間、タキシラと呼ばれる丘がある。 遠くから眺めると、潅木のみの荒涼とした丘陵。そこに ガンダーラ美術の傑作といわれる多くの仏像が眠っていた。 仏陀の灰を収めた舎利塔を支えるのは、ギリシャのアトラス神、 印度仏教とギリシャの文化の交じり合ったさまざまな様相を呈す。 その彫像技術はやがて、中国、朝鮮を経て日本に伝えられた。 もともと偶像崇拝がなかった仏教に仏像製作を教えたのは、 遠いギリシャの地からはるばる連れてこられた彫刻家だった。 BC326年アレクサンダー大王はペルシャの王を執拗に追跡、 ペルシャの王は、自分は何故こんな目にあわねばならぬのかと 悲運をかこちながら逃避行をつづけたが、やがて度重なる退却に 嫌気をさした部下によって殺害される。大王はさらに東征を 続けて、インダス川流域に侵入していった。そんな遠い昔の 歴史が日本の文化に大きな影響を与えることとなった。 もし、彼がタキシラにギリシャ文化を伝えなければ‥‥‥‥ 日本の「弥勒菩薩」などの仏像も存在しなかったかもしれない。 タキシラは、76年のクシャーナ朝の下、ガンダーラ美術が開花する。 しかし5世紀になると白い匈奴と呼ばれるイランの遊牧民族が侵入、 多くの仏像が破壊されて土に埋められてしまった。 1872年にイギリス人考古学者が発掘し、ガンダーラ美術の 傑作といわれるギリシャ風の仏像や仏舎利塔が数多く現出した。 しかし、この世界遺産の仏教遺跡は、イスラムの国に残った為、 簡単な屋根に覆われただけで風雨に晒され放置されていた。 案内の若者は他の丘陵も発掘すれば遺跡が出土するという。 しかし誰も手をつけることなくこのまま眠り続けるだろう。 もしガンダーラ遺跡が、印度領にあったなら事態は違って いただろうに、この郊外の荒地の丘陵の地は、今はただ 放牧されたヤギのもの悲しい鳴き声がこだまするのみだった。 今日の2枚 「ガンダーラの仏像」 デザイン・アート部門のプログランキング参加中。 クリックして応援してくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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