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2006.12.28
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カテゴリ:源氏物語
源氏物語は世界文学の古典として認められ、現在進行中のものも含めて各国語に翻訳・研究されている反面、文化の違いによる障壁も厳然としてあるようです。本書でも英語圏のみならず、イタリア語、チェコ語、韓国語、中国語などの翻訳者が出てきますが、いずれもその問題に悩んでおられました。

またそれと関連して、『カーマ・スートラ』で有名なインド人の研究者にとって源氏の求愛・恋愛行動は装飾的でかえって新鮮だったという意見や、現代アメリカ人学生に当時の一夫多妻制のあり方を理解させることの困難さも本書を読んでいて伝わってきます。

ただ、「日本語の分からない中文系出身者がまったく独自の理論で源氏物語にかかわっていることは、むしろ有難い」というのは、どうでしょう。もし「英語の分からない日本人研究者がまったく独自の理論でシェークスピアを…」と言ったとしたら、イギリス人のシェークスピア研究者はどう思うでしょうか。一般読者としてはそれでよいでしょうが、研究者としてそれではお話になりません。
まして翻訳自体に問題があるというのでは、ウェイリーの英訳で源氏を研究するようなものではありませんか。

ウェイリーと言えば、谷崎源氏と与謝野源氏が、ウェイリー訳に刺激されたものだという指摘は新鮮でした。


研究としては、三つの論文が興味深いものでした。

ひとつはジェームズ・マクマラン氏による、かの有名な「もののあわれ」論が、封建的で儒教的な江戸時代の論文としては画期的であるものの、元のテクストに流れる因果応報的な仏教的倫理観を無視してしまった、という論考です。ヨーロッパではキリスト教の戦いがあってその後ロマンスが生まれましたが、日本ではロマンスの後で戦いが生じました。その最終的勝者である徳川家の秩序のもとで書かれた本居宣長の論考は当時の常識を覆す画期的なものであったかもしれませんが、そのために近代化された後世の日本人の多くもそれに縛られてしまった、というオチが皮肉に聞こえます。

ハルオ・シラネ氏のカノン論。カノンとは要するに正典、または古典のことです。偉大なる作品は後生の人々によって様々に注釈され、流布され、パロディ化され、多様なメディアを通して文化的記憶として一般に浸透していきます。日本人としては寧ろ、聖書を思い浮かべた方が分かりやすいかもしれません。もうひとつここで忘れてならないのは、源氏物語が世界で始めて女性の手によって書かれた重要な文学的散文だという指摘です。そういえば欧米・中国文学等の古典はほとんど男性が書いたものでした。

ロイヤル・タイラー氏は源氏物語を兄弟間の相克とみます。第一部において勝者はいうまでもなく光源氏であり敗者は朱雀帝です。兄はなるほど帝位には就きますが、葵の上も朧月夜も弟に「とられて」しまいます。また朱雀帝の後その地位を引き継いだのは源氏の息子でした。

第二部の源氏はしかし、虚栄心から身を滅ぼします。朱雀院は潔く自分の敗北を認め、娘を源氏に差し出します。源氏は皇女ほしさに紫の上を裏切り(あるいは信頼に甘え)彼女を身請けし、ひいては因果応報的にわが身を滅ぼしてしまいます。

怨霊の解釈も独特です。六条の御息所は嫉妬と復讐に駆られてついに紫の上を殺してしまいますが、源氏に女三宮を不幸にされた朱雀院もまた怨霊となって第三部に現れます。もっともすでに源氏は死んでいますから、今度は薫につきまとうというものです。

ちなみに、タイラー氏は源氏物語複数作者説論者で、この点、サイデンステッカー氏とは明らかに一線を画するものでした。






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Last updated  2006.12.28 13:58:39
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