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つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

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2016.11.03
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カテゴリ:伝記・歴史・地理
第一部 要旨と抜粋(加瀬英明)
民族と国家の問題は難しい。21世紀に入っても、世界各地で少数民族が剣で、あるいはペンで、大義のために戦っている。満州事変は侵略だという。しかし満州は万里の長城の外にあり、歴史的に満族の地であり、漢人の立ち入りを禁じていた。

中国共産党の挑発によって盧溝橋事件が起こり、日華事変が始まる。しかしルーズベルトはこれを日本の計画的侵略、中国におけるアメリカの権益に対する重大な脅威だと見做した。アメリカは中立国であったので、中華民国を直接助けることができなかった。ルーズベルトはトミー・コルコランに「中国援助事務所」を設立させ、蒋介石政権に軍事資金を提供。クレア・シェンノートは中華民国空軍航空参謀長として任命された。

シェンノートはアメリカ軍人に「義勇兵」となるよう呼び掛けた。しかし雇用期間が終わればアメリカ軍に復帰できた。これは宣戦もしていないのに現役軍人として中国とともに日本と戦うことと同じであり、国際法に反する。

1940年10月初旬、アメリカは日本の外交暗号すべてと、日本海軍の暗号の一部の解読に成功。この後、日本の外交方針はアメリカに筒抜けになる。

ルーズベルト語録
「これで、日本をわれわれとの戦争に誘い込める」日独伊三国同盟の報せを聞いて
「これは、最高の誕生祝いだ」英蘭の東南アジア植民地からの天然資源の輸出が停まったという報告を受けて
「あと数か月は日本という赤子をあやすつもりだ」1941年8月14日、チャーチルに対して
「これでいよいよ戦争だ」12月6日夜、解読した日本の暗号文を読んで
「戦争は明日、始まるよ」12月7日、家族を前に

「アメリカの主張に屈服すれば、亡国が必至であるということでありますが、戦うもまた亡国であるかもしれません。
すなわち、戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れないとするならば、戦わずして亡国に委ねることは身も心も民族にとって永遠の亡国になりますが、戦って護国の精神に徹するならば、たとえ戦いに勝たずとも、祖国護持の精神が残って、われわれの子孫はかならずや再起三起するでありましょう」永野軍令部総長、宮中御前会議の席上にて

「問題はいかに彼らを誘導して、われわれがさほどに大きな損害を蒙ることなく、最初の一発目を撃たせるかだ」スティムソン陸軍長官

「戦争を行わないで、封鎖だけ行うことは、ふつう考えられない。経済封鎖は、戦争行為そのものだ」ケロッグ国務長官

「日本は石油や屑鉄などの供給が断ち切られたら1000万人から1200万人の失業者が発生するのをおそれていた。したがって、日本が戦争に飛び込んでいった動機は、その大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」マッカーサー

「われわれはその瞬間まで十項目について知らなかった。この文書はわれわれが要求していたものをはるかに大きく上回ったものだった。日本大使があきれ返ったというのは、そのとおりだったに違いない」チャーチル、ハル・ノートについて

「日本との外交関係は事実上、終わった。仕事はすでに陸海軍の手に移った。日本は突然に動き、それも完全な奇襲になるはずだ」ハル

ルーズベルトの指示によるものであろう、真珠湾に残ったのは、戦艦『アリゾナ』をはじめとしてほとんどが、第一次大戦からの旧型艦だった。

「たとえモナコのような小国でも、敢然と戦うことを選んだだろう」日本を無罪だと主張したラダビノト・パル判事

「宣戦の大詔のなかに『豈朕が志ならんや』とある文句は、もと原案になかったのを、特にお上の仰せで、加えられた」東條首相、開戦の聖断の直後に側近に対して

「日本はアメリカによって謀られて、真珠湾を攻撃した。アメリカが戦争に追い込まれたというのは、歴史を歪曲したものだ」1944年、英オリバー・リトルトン工業大臣

アメリカはメキシコやスペインとの戦争で奇襲して勝ち、テキサス、カリフォルニアなど領土を広げた。ハワイも奇襲して50番目の州にした。イスラエルも奇襲をお家芸としているが、アメリカから非難されたことはない。要するに、勝てば官軍なのだ。

「連合国は極東軍事裁判で、日本が侵略戦争を行ったことを歴史にとどめることによって、欧米列強による侵略を正当化し、日本に過去の烙印を押すことが目的だった」ラダビノト・パル判事

「私たちは滞日中、東京をはじめとする都市を爆撃して市民を大量に焼殺したことが念頭を離れなかった。私たちは国際法を擁護するために裁判をしていたはずなのに、連合国が国際法を徹底的に踏み躙ったことを毎日見せつけられていたから、それはひどいものだった。もちろん勝者が敗者を裁くことは不可能だった。まさに復讐劇だった」
人種差別が、太平洋戦争の主因の一つだった。連合国の国民は、日本人を人間以下とみなすように教育されていた。広島、長崎で数十万人を一瞬のうちに焼殺したのも、人間ではないと感じていたからできたのだった」レーリンク判事

「日本は第二次大戦において、自国ではなく、大東亜共栄圏の他の国々に思いがけない恵みをもたらした。それまでアジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、無敵で、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうでなかったことを、人類の面前で証明してしまった。これは、まさに歴史的な偉業であった」
「日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打つことを成し遂げた」アーノルド・トインビー

戦後、アジア諸国が欧米による再植民地化の試みを退けて独立し、その高波はアフリカ諸国をも洗い、次々と独立国が誕生した。アメリカで公民権運動が高まったのも、この流れを受けてのことであった。アメリカは決して自由と平等の国ではなかったのだ。


第二部 要旨と抜粋(ヘンリー・S・ストークス)
江戸時代の物流は海路に依存していた。したがって日本近海に停留する黒船は生命線を脅かす脅威以外の何物でもなく、軍事的に攘夷のできない幕府は、不利な条約を結ばざるを得なかった。

ペリーは国際法に照らして、日本に対して海賊行為を行った。しかしアメリカはいまだに謝罪していない。

「江戸の街は、美そのものだった」英使節オルコック

「日本はいつの日か、他国の追随を許さない産業国家として台頭しよう。彼らの手先は、あまりに器用だ」ペリー

「ここ日本では、女性や子供までもが読み書きできる」フランシスコ・ザビエル

「日本はレイプされた。最初はペリー提督によって、後にマッカーサーによって」岸田秀

江戸時代の日本は体制的には封建時代だった。しかし庶民の文化によって栄えていた(嵯峨山註:武士でさえ、借金で商人に頭が上がらなかったことがしばしばあった)。

黒人女性は白人男性の性奴隷だった。今日のアメリカで白人の血が流れていない黒人奴隷の子孫はひとりもいない。

フィリピンでは、アメリカ、イギリス、スペインの支配下にあり、その植民地支配に対して多くの反乱がおこった。日本は1943年にフィリピンを独立させた。

「日本帝国の軍隊が、香港、ビルマ、インドシナ、インドといった、西側帝国主義の要塞をつぎつぎと攻略していった素早さは、それまで白人は不敗と信じていた諸民族を驚愕させた」レティシア・R・コンスタンティーノ、フィリピン大学歴史学部教授

「日本はオランダ語や英語を禁止した。このため、インドネシア語が普及した。また厳しい軍事訓練を施した。オランダ人を一掃し、インドネシア人に高い地位を与えた。民族結集組織や奉公会を作り、運営方法を教えた」ジョージ・S・カナヘレ

もちろん日本は「自存」のために大東亜戦争を戦ったのであって、アジアの解放のために戦ったのではない。しかしいったん戦端が開かれると、アジア人のアジアのために力を注いだのも事実である。

インドネシアの独立は1945年8月17日だったが、これを05年8月17日とした。これは日本の皇紀2605年を表したものである。ハッタとスカルノは日本に感謝して皇紀を採用したのだった。

戦後、日本軍は武器を奪われたふりをしたり、故意に置き忘れたりして、インドネシア独立軍に武器を供給した。2000人余りの日本兵が現地に残り、オランダ軍と戦って半数が戦死した。ベトナムでも同じようなことが起こった。ベトナム人と一緒になって、フランス軍と戦ったのである。

日本人は侍の国だった。戦後、日本はその精神をアメリカに売り渡し、商人の国になった。経済利益を第一とし、品格と誇りを忘れた国になった。

インド国民軍は、日本軍と対等な立場で共同作戦を行った。独立軍である。日本軍の傀儡ではない。そのようなことを絶対に言ってほしくない。結果として被告全員が死刑になってもインド国民に悔いはない」インド独立軍、イギリスによる軍事裁判について、罪を軽くしてもらうようインドは日本の手先で、嫌々ながらやったのだということにしようという日本側の進言に対して

「日本軍がインド独立軍を編成して、武器をとって進軍させてくれた。この進軍が、インド全土で国民運動となって、イギリスにインド独立を認めさせる契機となった。インド独立をもたらしたのは、日本軍であった」デサイ弁護団長

1946年2月7日、イギリスは対日戦争祝賀パレードを行った。しかしニューデリーでは全戸に弔旗が掲げられ、商店も工場も学校も休みとなり、数万人規模の抗議デモが行われた。当時のニュース映像を見ると、日章旗を振っているものも何人かいた。

ペリーはパンドラの箱を開けた。日本は独立のため富国強兵をはかり、アメリカのライバルとなり、戦って敗れた。しかしそれによって希望の光がともり、今日の世界が生まれた。日本は「国々を造った」のだった。


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Last updated  2016.11.21 05:54:13
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