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カテゴリ:地域スポーツ
センバツ甲子園の特色を出すために毎年、21世紀枠が作られてる。郷土からは犠打の名人、川相選手の母校の岡山南が推薦されました。(もう21世紀になって7年も経過してるわけだし、一般枠を削ってのこの高野連枠はもうそろそろ見直してほしいんだけど) 川相選手(巨人・中日)の母校って事で県外の人は「小技が上手いチーム?」って思ってる人も結構多いんですね。最近はそんな野球になりましたけど。。 自分がまだ幼少の頃、家には沢山の野球雑誌が無造作に積み上げられてました。自分は興味本位で写真のページを中心に鑑賞してました。で、あるページで自分の手が止まりました。そのページは白黒で写真より文字が多いページでしたが、岡山の学校の監督が掲載されてた事もあり、子供心ながら興味津々で記事を読みました。 「監督を始めて最初の5年は守りのチーム作りをしてきました」「5年目以降は攻撃中心の野球に切り替えました」「守り中心だとどうしても受身になってしまうからです」「野球は受身に回ってしまうとダメと言う事を痛感しました」・・・こんな内容のコメントが掲載されてました。 その当時の岡山南の野球は攻撃野球。毎年のように甲子園に出場して「強打」のイメージでした。プロ野球にも多数送りこんでます。 勝っても謙虚に相手校を称え、「自分達は弱いですから」「センバツ出場中、32番目のチームですから」「選考委員が評価してくれてセンバツに出させて頂いたのに無様な戦いはできません」等々、常に挑戦者の気持ち=受身に回らないを実践した野球でした。 あれから月日は流れましたが実はこの精神が1番大切な事かもしれませんね。もう勇退されましたがその監督さんは今でも教え子が監督をしている高校の応援にきてるのをこの夏も見かけました。。周りに気を使わせないように分かりにくい場所で・・。 小学生の低学年の頃の記憶ですがよくその記事の言葉を思い出します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年11月22日 23時11分19秒
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