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2022年09月01日
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カテゴリ:アニメ [映画、TV]
​​​​『恵の父親が腰を抜かした本当の理由とは?』
『すずが竜を救おうとするのは意味がある』
​『なぜログアウトしない?』『どうして大人が同行しない?』
『なぜ竜はUで迫害されるのか本当の理由』『クジラの正体は?』
『本作が「現代版 美女と野獣」である理由』​
『本作はなぜ意味不明なの?』などetc...​

『PART1 映画解説編』
​竜とそばかすの姫​​

​Belle​
2021年7月16日公開 日本 121分
■監督 細田守
■声の出演 中村佳穂/成田凌/染谷将太/玉城ティナ/役所広司/佐藤健


​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​
​​​​​​■■■もくじ■■■​
​『PART1 映画解説編』
​​​​■1. はじめに
■2. 賛否両論となった本編に付いての閑談

■3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由

■a. 死を掛けた母の行動が理解できないすず
■b. なぜ竜に「あなたは誰?」と問いかけたのか
■c. 恵の父親が腰を抜かした本当の理由とは?

■4. 恵の父親の態度から見える恵達のその後​​​​



『PART2 補完編』-前のり編-
※文字制限で「PART2 保管編」に掲載できなかった分を前のりでコチラに特別掲載w
恵の父親が窓を眺めていた訳
恵の父親もDV被害者?
中洲の場面ですずの手を取ったのは?

-------------------------------------------------------------

​『PART2 補完解説編』​≫ ​記事は ​次の頁へ​​​
補完編「もっとディープに解説」

■5. 「なぜログアウトしない?」他 本作の批判に回答してみる
批判例01『最後まで見ていられませんでした』に回答
批判例02『意味不明』に回答
批判例03『全体的に微妙』に回答
批判例04『つまらない』に回答
批判例05『感情移入出来ない』に回答
批判例06『脚本が浅くてチープ』に回答
批判例07『描き方が雑』に回答
批判例08『母性を理解していない』に回答
批判例09『兄弟だけで虐待に対処する結果が酷い』に回答
批判例10『どこに主軸があるのか分からない』に回答
批判例11『美女と野獣の引用は必要ない』に回答
批判例12『ベルに戻る展開は筋が通らない』に回答
批判例13『なぜログアウトしない?』に回答
批判例14『納得できない展開に呆れた』に回答

■6. 竜はなぜ「U」全体から迫害を受ける
​​■a. 拡散する流言を真に受ける社会と偏った正義感
■b. 気軽に発散できるネットと根拠なき正義
■c. 自警が主体の欧米の保安官
■d. 見た目を重視する清潔化(ルッキズム)の浸透
■e. 竜への迫害は竜自身が原因

■7. 割れた額縁に飾られた女性は誰?

■8. 恵はすずに振られたのか?
■a. 愛と恩の違いの「ありがとう」
■b. 本当の自分を好きになってくれた「ありがとう」
■c. 母に向き合えた「ありがとう」
 ●弟「とも」は病気?
 ●クジラの正体は何?
 ●3人が抱き合った意味

■d. 救えた事への「ありがとう」
 ●​恵の父親は逮捕されてもそれで終わりでは無い理由

■e. 恵達を救った事で救われたすずの母
 ●すずがアンベイルしても再びベルになった本当の理由

■f. 暴力の連鎖を断ち切ったという意味
■g. DVの連鎖を断つという意味
■h. DV被害者に追い打ちをかける世間とその戦いという意味


■9. 大人が同行しない本当の理由
 ■a. リアルではこれが当たり前
 ■b. ジャスティンと対峙した事で既に経験済み
 ■c. すず以外招かれていなかったから
 ■d. 大人が付いて行くと恵達の死を招く危険

■10. ジャスティンは恵の父親?
■a.「ペギー・スー」という名前に潜んだ意味
   バディー・ホリーと「音楽の死んだ日」

 ●「ペギー・スー」はすずの母が救った子?

■b. 恵の父がジャスティンだった場合の坂の場面の解釈

■11.
すずにとってのしのぶくんの存在と
ラストの「ありがとう」の意味


■12.「まとめ」
●a. 本作が「現代版美女と野獣」である理由
●b. 本作はなぜ意味が分からない映画なのか
   そして本作の「隠されたメッセージ」とは
​​​
​​


▲目次へ▲

1. はじめに



さて、今回は

批判の多い本作が、なぜ感動的な側面を持つのか
それを解説する為にまずは

『PART1 映画解説編』として
「すずが 竜を救おうとする理由」
に焦点を当てて、
多くの鑑賞者の方がおそらく見落としていると思われる
本作の「真意」
本作が描こうとした真のテーマ
探って行きたいと思います。

更に『PART2 補完編』としてもっと深く本作の真髄に迫り
どうして本作はこんなに分かりにくい意味不明な内容なのか

この「意味不明には意味がある」理由と
本作に寄せられた様々な批判を検証し

なぜ批判されるのか、その批判の性質は何なのか
多角的に分析し

本作が敢えて表面に出さない
玉ねぎの皮の様に連なって重なる様々な真意を
ディープに探究し核心に迫ってみようと

思います



▲目次へ▲

2. 賛否両論となった本編に付いての閑談

​​​

この映画に付いては解説するサイトが星の数ほど存在し
その多くが酷評に大きく傾いている事も

公開直後から話題になっておりまして

「ひどい、つまらない、イライラする、子供に見せられない」
という、一般的な感想の他

「登場人物がキライ」
「母性を理解していない、だから終盤が気持ち悪い」
「途中席を立ちたくなる程不愉快」
という、嫌悪感を示す感想や


「危険すぎるメッセージ」「この作品は間違っている」
というような、映画そのものを根本的に否定するものまで
様々あり

本作を監督する細田守の
ポストジブリを背負う立場に対する
期待の巨大さを物語る
世間一般の反響の現れと

思うものがあります。


つまりこの様な批評が反響として現れる位
本作の大ヒットは公開前から
約束された中で制作されたものだったという事が
そこから分かるわけです。


この映画は細田守の持ち味と言っても良い
何かが壊れている家族のかたちが縦軸となった
主人公の心の旅を描いた作品で

主人公がSNSで受ける誹謗中傷などの
私達も同様にこの様な日常的に受けるネット社会での受難を
面白おかしい描き方で和らげて描写しながら

登場から20年余りが過ぎたネット社会が持つ問題と
社会問題に切り込む意欲作として制作されました

しかし多くの鑑賞者は本作に批判的で
作品そのものが賛否両論となっている点に於いても
大ヒット映画としては極めて異色な作品だと言えますし

その様な賛否の中で
壮大なイメージで唄われる楽曲を支える
圧倒的ビジュアルで表現された歌唱描写に付いては

どの層も納得させる圧巻のハイライトとなったという点に於いても
異色な作品だと言えます。


その歌唱場面になぜどの層も
心が震える程の感動を覚えたのかという理由は

・・・後ほど書くとしまして


細田守に付いては、今回色々言いたい事があり
一旦はその様な批判的な内容で記事を更新しましたが

その後
「なぜ竜はあれほどまでにUで迫害されるのか」
その合理的理由が分からないという問い合わせがあり
補足としてその所を更新しようと
念の為に再度鑑賞してみた所

初見で気付かなかった事が次々と見えてきまして

実はこの映画に付いて
大きな思い違い をしていた事に気付きました


この映画は当初、

描き方に問題があるプロットで書かれた
チグハグに感じる脚本で進行する賛否両論の作品として

そんな作品世界を世の中に投影して
脳内補完しながら鑑賞しようとしてくれる

言い方を変えると「演っている事を察してくれる」

本作品の最大の視聴者層となるアニメオタク層の好意に
甘える形で造られた物語になっていて、

そうして映画の難がある所を含めて
「現実とは嫌なもの」だと

主人公の心情とリンクして捉えてくれる事を汲んで
作られた可能性も考えられる補完度がある作品

と評しましたが

それは元々細田守が意図的に潜ませた
本作の真意を紐解く為のサイン

「脚本に問題がある」と言われている本作のチグハグさとは
通常なら描く「説明」部分を排除した現れであり

なぜそれが分かるのかは・・・この後説明して行くとして

それらを汲んで再度鑑賞すると
一見チグハグに見えるものには意味があり

「なぜ大人が付いて行かない?」
金ローで炎上したクライマックスも
冷静に考えるとそういう事かと
納得できる理由があったりと

色々見えて来たものがありましたので
それを紐解きながらいつもの想像に妄想を交えて

解説してみたいと思います



▲目次へ▲
​​

3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由

​​​​​​​

この映画の主人公はタイトルにある
「すず」こと「ベル」こと「そばかす姫」 なのですが

ではタイトルにある佐藤健演じる「恵」こと「竜」を
なぜ「そばかす姫」が救おうとするのか、ですが


これに付いて書いている文献は知る限り無く
ネットで検索しても出てきません。


この映画を養護する方も
すずと恵が惹かれ合う理由に至っては

「すずとけいが惹かれ合うのは設定上の必然」
の一言で済ましている位です。

つまり、
​「すずが恵を救おうとする理由が分からない」​
事で

この映画に今一つ感情移入が出来なくて
モヤモヤする鑑賞後感に陥る事が

これ程の酷評に繋がっているのでは
という印象がある様に思います。


確かにこの映画は 先程語った様に

映画を鑑賞した殆どが方が
演出意図を理解できずに居る状況を

意図的に誘発させる様な「説明」を廃した所に
要因があると言えますが


このあたりは当初、

映画を鑑賞した鑑賞者が
後に映画のサイトにアクセスして
物語の鍵となるアイテムを自主的に
調べてくれる事を想定して造られた

リチャード・ケリー監督『ドニー・ダーコ』の様な、

元々の原作に描くべき物語があるのに
監督が個人的心情を投影し過ぎて物語世界を破壊した
実写版『魔女の宅急便』の様な、

本来なら「アウト」な造りのこれらの映画と
同じ造りで出来ている失敗作ではないのか

と思っていたのですが
それはどうも違っていた様で


ともあれ
映画の中にはそれを知る大きなヒントとなる場面はありました。

それはすずの母の「死」です。


それが「竜を救う理由」と どう繋がって行くのか
順番に説明して行きます


▲目次へ▲
■3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由
​■a.死を掛けた母の行動が理解できないすず​

すずの母はすずが子供時代に
川の増水で中洲に取り残された子供を
他の大人たちが何もせず諦観している中で

ただ一人危険を犯して川に入り救助して
濁流に飲まれて命を落としています。

すずは高校生になっても母親の取ったこの行動が
理解出来ないままで居ました。

普通に考えれば
「そういう事が見逃す事が出来ないそういう人」

という事になりますが、
もう少し考えると

「眼の前で困っている人が居るのに
そういう事を見て見ぬふりをする様な
そんな所を子供には見せたくない」

という、すずの母の「生き様」を見せた
場面であったと捉える事が出来ます。

ちなみにこの作品の批評で

「親なら子供が親を失くす事がどういう事なのかを考えて行動するべき」
という「母性」を切り口で批判するコメントを目にしますが

リスクはどんな事にも存在しますし
事故を起こせば「死ぬ」という理由で「車」を運転しない人は
この世に居ないのと同様で

まして「母性」も全く関係ありません。


つまりそこに、
「他人の為に命がけで行動した挙げ句、本当に命を落として
なぜ実の娘のよりも他人を選んだのか
そんなに自分の家族の事よりも自分の正義感の方が大事だったのか
これはただの無鉄砲で自己満足の欺瞞じゃないのか」

というすずの私情が絡む事で

すずの、父との親子関係をこじらせた理由
少しずつ見えて来る事になります。


当然、父はすずに母の真意を話して説いたと思いますが
自分より他人を選んだ母親への不信感と不公平感は拭えず

それが父との親子関係だけでは無くて
他人との間にも壁を生む事となり

他の人へ心の声となって伝える「唄声」が出なくなる
理由に繋がります。


「唄声」が出なくなるのは
医学的な精神的ショックによるものなのか
学名なり理由なりあるとは思いますが

ここではあくまで映画を解説する上の
演出としての効果を狙った主人公の特徴のひとつとして
捉えるに留める事として・・・


その後すずが仮想世界Uに引きこもる様になるのも
そこでは「唄声」が出るのも

そうして誕生するアバター「ベル」が
自分自身の「心」となって投影できる

まるで 本当の自分 として振る舞う事ができる
もう一人の自分となった事で

Uという場所が
周りには自分の事を知る者は無く
世の中のしがらみや悩みや自分の問題など

全て切り離して 自分を投影できる安らぎの地
となった事が理由と言えます

しかしそれは逆に言えば、

すずが
この世の中を 不公平で残酷 なものと捉えて
本心を晒せる様な所ではない と考えている

証だと言えます。


▲目次へ▲
■3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由
■b. なぜ竜に「あなたは誰?」と問いかけたのか

そうしてベルはUで大スターの歌姫となりますが
そんな折、Uでの正義を謳う自警団に追われる

乱暴者 竜 が ベルの前に現れます。

晴れ舞台となったコンサートを邪魔した乱暴者になど
普通ならかかわり合いにならない様に
逃げ出す所ですが

なぜかベルは 竜 に対して「あなたは誰?」と問いかけ
竜は「俺を見るな」と答えます。



この一連のやり取りが非常に不自然で
加えて自警団の振る舞いもヒーロー映画の亜流の様な
陳腐さがあり

現実世界と比べて「U」の描写が
「演劇的」なのが「違和感」となった事が

なぜベルが竜にこだわるのかが万人に理解できない
障害へと発展して行った要因と言えますが

これは「U」という場所が
「アバター」ごしに交流するという性質から

全てのユーザーが何かを「演じている」事による
「U」ならではのコミュニケイトの姿だと捉えれば

この「違和感」とは
この先「メタバース」がネット社会の要素として加わった時に
ひとつの「予想」を描いたとも取る事が出来ます


そこで、この場面の意味を別の面からも捉えながら
いつもの「妄想」を交えて
紐解いてみますと・・・


映画が進むに連れ、ここで登場した正義を謳った自警団
自分が理想に思う正義を掲げて周りに押し付けるだけの

かつて、コロナ禍で里帰りした東京ナンバーの車に
「帰れ」の張り紙をした様な者たちと変わらない

自分の正しさのみを主張して道理を無視する
目が曇った様な連中だと言う事が分かりますし

細田守も、明らかにそのつもりで作っていると
思われますので

つまり、ここでベルは
竜 の背中のマントの模様が「暴力を受けたアザ」の様に見えた事で

竜が大勢に「虐待」を受けている様に思った
事が分かります。

しかし周りの説明では
あのアザは武術ファイトで付いたもので
武勇伝の様に見せびらかしているのだと

誰もベルの様には受け取っておらず
実際に被害を受けているのは自警団の方ではあるので

どうして自分だけがそう感じるのか
ここの時点では分からなかった事で

思わず「あなたは誰」と口にしたと考えられ
竜も 自分のリアルでの事情がベルに見透かされた様な
そんな感覚に陥った事で「俺を見るな」という

一連の流れの理由が見えてきます。


なぜマントの模様がベルには虐待のアザに見えたのか
ですが

これは、顔のそばかすが自分の特徴として
アバターのベルの顔にも模様として付いている
すずだからこそ、気が付いた事だと
捉える事ができ

すずがUに始めてアクセスしてアバターを決めた時に
そばかす がアバターに顔の模様となって現れると
戸惑うような、腑に落ちたような表情をする事から

その様な身体的特徴の中でも、特に「劣等感」に繋がる
「痛み」を伴う様なものがアバターの一部となる意味

誰よりも知るすずだから
竜 の背中の 異様な形をした模様を見た瞬間

何かのとてつもない「痛み」の現れだと看破したのだと思われ

それはタイトルになぜ「竜とそばかすの姫」とあるのかという
同じ「痛み」を知るもの同士を描いたものだという

隠された理由にも繋がって行きます




ベルが竜にこだわる様になる理由は
もうひとつあり

それは正に自分だけがそう感じているという点に
あると言えます。


ベルのステージを観る為に集まって来た観客たちは
眼の前でステージを台無しにしている竜に

敵意を剥き出しにして非難を始めます

又、自警団は正義の名のもとに
自分たちの正当性を周りに知らしめる
演技じみたパフォーマンスを繰り広げます、


つまり今の状況とは
誰も 竜の味方をする者は無く
まして竜の事情を察して 救おうとする気など無く
大勢が状況をただ 諦観 しているという事になります

それは丁度 すずが子供時代に見た

中洲に取り残された子供が居るにも関わらず誰も救おうとはせず
大勢がただ諦観していたあの状況に

酷似
していた訳です。

少なくともすずはそう感じたと言えます。


その、子供時代の記憶と
眼の前で起こっている事が
すずの中で重なり

あの時、唯一子供を救おうと行動した母の様に

唯一、竜 が虐待を受けていると感じたすずが
後に恵達兄弟をDVから救おうと行動する様に

恐らく無意識に自分がするべき事を悟り

又、そうする事で
あの時なぜ母は子供を救おうとしたのかを
竜を救う事で母の行動を追体験して

無意識で
母の気持ちを理解しようとした のが
理由だと考えられます。


又、ベルが竜に惹かれる様に行動するのも

親から虐待を受けても「諦観」され誰も救ってくれない世の常を
腹の底から経験している竜に対して、

同じ様に
眼の前で母が一人川に入っても周りが「諦観」して
誰も手を貸さなかった世情を経験をしたすずが察して

同じ痛みを持つ者同士のシンパシーを感じた現れだと
捉える事が出来ます


映画は竜の城で『美女と野獣』の場面を模した
有名なダンスシーンを再現して

『美女と野獣』の共通点をアピールします、

それはこの映画のベルも『美女と野獣』のベル同様に
『乱暴者』と謗られる竜の本心を察して共感出来る、
唯一の味方として描いているという

描写やセリフを使わず映像で示す
極めて映像作家らしいやり方での
観客へのサインの現れであると言えます。


この映画で唯一『美女と野獣』と異なる点があるとしたら
野獣に当たる竜だけでは無く

すずまでが偽りの存在である点です。

従って、『野獣』に当たる竜を現在の状況から救う為には
どこかでベルはすずに戻る必然があった訳です。

これは 竜のオリジンを突き止めて
恵のPCカメラの中継にすずが語りかけて
恵に拒否された時に

「しのぶくん」がすずに言った事でもあるので

一見、突如おかしな発言をした様に映った
この場面での「しのぶくん」の発言の根底には

この様な理由があった事が分かります

そういう流れですずは自らアバターを消去して
本来の自分を晒す事となって行きます。


しかし本当に竜を救うには竜が恵に戻った時
恵を虐待する父親と対峙しなければなりません



▲目次へ▲
■3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由
■c. 恵の父親が腰を抜かす本当の理由とは

しかしここで
すずが一人で虐待親と対峙する姿を
クライマックスとして描いた製作者側の意図は

恵達の盾となり仁王立ちするすずに 恵の父親がひるんで
動揺し腰を抜かした末、退散するという顛末が

多くの鑑賞者の目に絵空事に映った事で
賛否両論の不評を買いました


しかし実は説明すれば 誰もが納得 する様な、

恵の父親が腰を抜かした本当の理由
あったのでした


それを説明する前に、
まず製作者がこの場面で描こうとした真意は何だったのか、
考えますと

それは、
暴力者の恵の父親がどんなに凄もうとも

アノ時たった一人で濁流と化した川に
何のためらいも無く入り子供を救った母の様に

たとえ傷つけられて血を流そうとも
眼の前で助けを求める人間を見て見ぬふりは出来ない

それは自分が信じる正義を押し付けて道理を無視する者や
ネットで別人格になり現実逃避する者や
匿名を理由に人を批判しかしない者や
無鉄砲な自己欺瞞をする者や
外面と内面が全く違う様な者には
決して出来ない


自分が自分であるが故に
自分の 偽りのない姿をためらいなく見せ
ありのままに行動する
そうする事で 自分の力で立つ 事ができる


これが自分であるという意思を貫く「信念」の姿を見せる事だったと
思います。

先程の、なぜ恵を救うには
「ベル」の仮面を脱いで「すず」に戻らなければならなかったのか
という理由がここにある訳です


すずは恵達を救いたい一心からUで自分の姿を晒して心のままに唄った時に
子供を救うため死をかけて濁流に飛び込んだ母の気持ちとリンクして
ようやく母の真意を理解します

そうして母が死をかけて示してくれた教えを胸に
すずは何のためらいも無く恵達の盾となった訳です。


そうして恵の父親が腰を抜かしてアワアワ退散するのが

多くの方が観ていて違和感を感じる
意味不明な印象を与えた訳です


これは実は多くの人が忘れている、
この様な人物が腰を抜かす、

もっと正確に言うと

「立っていられなくなる」
極めて 単純な理由 がありました



人前では良い人間を演じて
大柄で力が強そうな立派な身体を持ちながら
裏では子供に手を出してストレスを発散するような

安い腕力に薄っぺらで弱い心しか持ち合わせない
信念の欠片も持たない様な

この様な男にとって

腕力がある訳でも特別な力を持っているわけでも無い
どこにでも居る様なひ弱な少女が

自分の知り得ない景色を見た目で見据えて
強固な信念を抱き立ちふさがる姿は

破壊的なまでに劣等感を苛まれアイデンティティーが揺さぶられる
理解不能な 「恐怖」でしかなく

振り下ろそうとする手が
どうしても振り下ろすことが出来なくなるのも

家庭内DVが
眼の前の少女に知れてしまった事への

激しい 羞恥心 に襲われた現れと言えます


まずそれが男の手を止めさせた理由だと言えますが


このあと 腰を抜かす理由
この様な事を やらかした時にどうなる かを考えれば分かります


それは恵の父親が大きな声を出して威嚇しても
微動だにしないすずに動揺している時の事です

恵の父親に異変が起こります

握りしめた拳が緩み初めて、アワアワうめき声を上げ
瞳孔が開いた様な眼のままでぐらつき 遂に腰を抜かします


これは一体恵の父親の中で何が起こってこうなったのか、
想像して、少し妄想も加えて 解説してみますと・・・


大きな声を出して威嚇しても全く微動だにしないすずに
動揺している内に血が登っていた頭が冷えたのか

今の状況を客観的に見るだけの精神的余地が出来ます

すると今自分が居るのは自分の近所の道路のど真ん中
かばい合っている兄弟と、その盾になっている少女
殴りつけようとしているのが ご近所から丸見えという

その事にようやく気付いた恵の父親は
握った拳の力が急に抜けて
この様な言い訳が出来ない状況に自分自身が動揺して
ううっつと、思わずうめき声が出ます

加えて すず がここに居る事から
自分のDV行為が全世界に中継され晒された事実を思い出しハッとなり

これまで自分が子供達にしてきた事や、今こうしている事が
紛れもない 犯罪行為 である事が分かり「あっ」となり

頭が真っ白になって
やがて立っていられなくなり腰が砕けて道に座り込みます


そうして今更ながら大変な事をやらかした事に
ようやく気付いてだんだんと顔面蒼白となり

今度は 警察に逮捕される という
とてつもない危機的現実が迫っている事に怯えながら

「俺は警察に捕まるのか?牢屋に入るのか?」
という眼ですずを見ます

すずの顔には先程の怒りの表情は無く
「私は二人を暴力から守りたかっただけ」

という眼で静かに見下ろすだけでした

恵の父親はこの後どうして良いのか分からずに
とにかく逮捕されるのが怖かったのか

パニックになり何処ともなくアワアワと逃げ去った と言う


「警察沙汰になる事に怯えた」 態度を描いたのが
この場面がこう描かれた本当の理由だたと思います


実はもう一つこの人物がこの様な
まるで怒られる事が怖くて逃げ出す子供の様な態度で逃げ出す
この態度に隠された大きな理由があるのですが
それはこの後 ■恵の父親はDV被害者?■
の項で説明するとして・・・


ともあれ
映画ではたまたまこの男が
「腰抜け」だったからこうなりましたが

これがもっと邪悪なサイコパスな人間だったら
すずは殴り殺されていた可能性もあったわけです


つまりここでの絵空事にしか映らなかった顛末や
警察が怖くて逃げ出した無様な態度は

実は問題では無く


死をかけて少年を救った母同様
すずはその為ならこの男に殴られ 死んでも構わないと思っていた事が


この映画が語りたかった 真意 だと思います


そしてこの強さは、
人であれば 大事な人を守る為ならば 子を持つ親であれば
誰もが持っているものであり

それはネットで匿名でSNSに投稿して
ともすれば誹謗中傷に当たる様な行為を続けて

近年、番組の設定を演じていたという事だけで
それを勝手に真に受けた 一部心無いSNSユーザーからの
いわれのない悪意ある誹謗中傷に傷ついて自殺し

その罪を指摘されたユーザー達全員が
罪に向き合う事もせずに
当該の書き込みを削除して逃げた
女子プロレスラー自殺事件での一件の様な


分からなければ何をしても構わないと考えている内に
それはだんだんと麻痺して行き
自分でも知らないうちに犯罪的行為を行った末
それを指摘された時 社会的責任を取らずに
警察に捕まるのが怖くて
逃げる様な行為しか取れない内は


絶対に手にする事は無いのだと
他でもない ネット全盛の現代に生きる

私達への警鐘 の意味でもあったと
いう事だと思います


▲目次へ▲
​​​​

4.恵の父親の態度から見える恵達のその後とは

​​​​​​​

この場面が「意味不明」に見えるのは、描くべきプロットに対して
映画が描くべきパーツが絶対的に不足している

それを「意図的」に行っている
脚本と演出にあると思われます

それがなぜ分かるのかは
後ほど語るとして・・・

特に「なぜ大人が同行しない?」という声が大きかった様に思えますが
これは当初本編を観ていてた私もそう思いましたので

それが『ダメ映画』『失敗作』と
多くの方が思ってしまう所だと言えます

しかしこの一連の流れを検証しますと
私を含めた多くの鑑賞者が肝心な点を見落としている事に
気づきました 故に

なぜ大人が同行しない 本当の理由
後ほど解説するとして・・・

この場面が批判されるのは
DVの場面が余りにも生々しく描かれた事で

本来なら「フィクションのマンガがやる様な事」で済むことが
物語と現実が同一線上のものとなり

この映画で行われている事が
DVに対しての解決法かの様に映ってしまっている事に対しての

拒否反応と違和感だと言えます


ここではなぜこの様な場面を作ったのか
本当は何をしたかったのか、その意図を探り

その意図を正しく読み取った後に
改めて批判をするも良し、再評価するも良し

という訳で

なぜこの場面はこうなったのか、
加えて 恵達はその後どうなるのかを

お得意の妄想を働かせて
解説してみようと思いますw




Uでベルが自ら自分の姿を晒す場面で
自らアンベイルするすずに対して自警団のリーダー
分かりやすい位物凄く大きな演技で動揺するのですが

これは恵達の盾となって立ちふさがるすずに
分かりやすいくらい大きな演技で腰を抜かして動揺する虐待親の姿

表情も態度も 全く同じ 事が分かります

実はこれは
自警団リーダーも恵の父親も 本質的には同類である事を示す サイン

この表現の一致に気付けば

虐待親が すず に対して腰を抜かして動揺するのも
結局は自警団のリーダーと理由は同じで

「真の自分を晒せる信念」に恐れおののいた現れであり

その様な安っぽい人間に「信念を持つ人間を殴る勇気」など
持ち合わせている訳が無い事が見て取れます

しかし映画の中でそれを示威的に示唆してないので

映画を批評できる位の映画ファンであればともかく
一般の鑑賞者がこれに気付く事はまず無い所に

炎上した一つの理由があると思われます


あるいは、
ここでの暴力父親の虐待行為

口では「ルール」を語りながら 殆ど理由という理由など無く
非常に幼稚な衝動によって衝き動かされている事を

見て取る事が出来れば

自分の思い通りにならなくなった癇癪
大好きな「玩具の電車」を手にして妹をぶつ様な

「未来のミライ」の4歳児が取る行為と重なる所がある事に気付き

「未来のミライ」の4歳児の様な子供が、未来のミライが現れず
そのまま間違ったまま育って
ひねくれて、頭だけ利口になった大人になったら
自分の子供が思い通りにならなくなると
大好きな「理屈」を武器に自分を正当化して子供を殴り付ける様な

道理の理解できない「幼稚」な人間がこの様になる
という事が分かるので


その切り口でも理解につなげる事は
可能だった訳です


しかし、Uに集まるユーザー達の実態を描いた一連の描写で
訴えたい事を言い切った 感があるので

これらを示唆する分かりやすい演出が無かった事が
本作の賛否両論に繋がったと言えます。


しかし近年の

作りたい作品作りを止めて
観客が理解できる造りに落とし込んで成功した
「君の名は。」の新海誠の様な例や

20年以上続けてきた世界観を無かった事にして
主人公達と捜査一課の刑事たちとの微妙な関係を
突如分かりやすいステレオタイプな対立関係で描き出した
「相棒」を制作し

英国女王陛下の葬儀を「壮大なショー」と不謹慎発言をする
某TV局の様に



ともすれば
「これくらい分かりやすくしないと理解できないだろう」
「こういう発言を好んでる」

観ている人達を「その程度」だと捉えている疑い
近年の映画界TV界には観られる事を思えば


観てくれている人はきっと分かって観てくれる」と信じて
分かりやすい映画を敢えて作らない細田守は

私達観客をその様には捉えていないと考えれば
(※と細田守は思っているとウチが勝手に思っているダケですがw)

そんな細田作品を批判するのは
もう一度よく考えてみた方が良いかもしれないと

思ったりもする訳ですw


そこでもう一つ考えたのが
細田守が

「すずに恵達だけでは無くDVの衝動に捉われる父親の心も救わせた」

可能性です
というかいつもの妄想に近い想像ですがw

そう思う根拠は 恵の父親が邪悪な人間では無く
心が弱く腰抜けに描かれていた所にあります


恵の父親が邪悪で改心不能なサイコパスな人間であれば
警察に逮捕されるしか恵達が救われる道は無いので

あの場面を締めるには逮捕場面を入れる必要があるわけです


それが無かったのは細田守の中
恵の家庭のDV問題の解決は

映画が描く問題では無い
と捉えているからだと言えます


つまりこの問題とは
私達の社会が抱える社会問題なのであり

社会全体で取り組まなければならない
私達が抱える私達の問題なのであり

一映画監督が映画の中で解決出来るような事では
そんな問題ではあり得ない無いという事が

恵の家庭のその後を映画のみならず小説版の中ですら描かない
理由だと言えます


この場面のやり取りを多くの方が「絵空事」だと批判されましたが

この父親が逮捕されて恵達がDVから開放されてめでたしめでたし
という絵面を入れる事の方が映画的には助長であり
むしろその方が「絵空事」だと言える訳です


とは言え 妄想が十八番のウチとしてはw
その「絵空事」を敢えて想像しますと・・・


父親が逃げ去った後 恵は「戦うよ」と言ったので
それが父親を警察に突き出す事を示唆する様に捉える事は出来ますが

その後 恵は「立ち向かう」とも言っています

そして すず が立ち向かった結果
父親は憑き物が落ちる様に腰を抜かしますので

恵の言う「立ち向かう」とは
その様な父親と「戦う」という意味よりも


父親のDVを止める為に「立ち向かう」と語り
その為に「戦う」と答えた可能性が考えられます


更に、この父親は
すずに上げた手をどうしても振り下ろすことが出来なかった事から

家庭内DVを犯す様な人間ではあっても
初対面の見知らぬ少女にまで暴力を振るう様な
その一線だけはさすがに超えてはいけないという

そのように まともに考える頭だけは
ギリギリまだ残っていたという事が見て取れるので

この父親にとって すず との対峙は衝撃的な出来事として記憶され

この体験から二度と子供に手を上げる様な衝動に駆られる事は
無くなったかもしれませんし

その可能性は高い様な印象もあります


その様に捉えてこの一連のやり取りを観れば
恵の「戦うよ」というセリフの意味も

父親に立ち向かうすずを観て
父親を改心させる道も見えてきた事で

この父親とは本当は心が弱いだけの善人で
仕事のストレスで人が変わってしまった
本来の父を取り戻す為に家族として戦うという

全く違った意味にも捉える事が出来ます


「サマーウォーズ」では クラックAIをプログラミングしてやらかした
入り婿の隠し子も最後は改心した展開の様に

U の中では匿名のアバターとなった事で
誰彼構わず言いたい事を言いたい放題言ってきた利用者達が

すず の唄に感動して一つになった様に

信念を持って立ちふさがる すず に
どうしても手を振り下ろせなかった恵の父親も

何の信念も無ければ
目が覚めるのも早いだろうと捉えると

この後桂の父親は警察に逮捕されたとしても

すず の行動によって目が覚め
憑き物が落ちる様に 元の人格に戻り
追い詰められる様なストレスからDVに駆られる衝動も消え去り

すずによって心が救われたという
描かれないエピソードが存在したかもしれませんし

何よりも自分の映画を理解して愛してくれていると
観客を信じている細田守を

私たちは信じるべきなのかもしれません





当然、これがDV問題の真の解決とは言えません
又それはこの映画のテーマでもありません。

又、時には死をかけて行動する「信念」を持つ事を
提唱している訳でも当然ありません。



従ってこの映画のこのクライマックスが

世界的な映像作家の立場にある細田守が
細田流DV問題の解決を世の中に提示した様に映るという

誤解を与えた可能性を考えても
本来なら評価する事は無い映画ではあります


また今回のレビューは
この映画を養護する意味で書いた訳では無く

この映画の真の狙いを書く事で

再評価をされるなら
あるいは批判を受けるなら受けるで

誤った見立てでは無くて
どちらも正当な形で受けてもらいたいという


ウチの偏狭で歪んだ映画愛からの上の事でもあります


ともあれ、
この映画が多くの映画ファンに批判される様な
物語に問題を抱えた映画でありながら

圧巻のビジュアルと音楽で
心を揺さぶるほどの感動をもたらすのは


この映画が本当に描きたかった事が

ネットが匿名を持った別人格を生み出す温床となる危険性を示唆しながら
ネットに集う人々の良心を信じ

信念を持つ事の 意味を問う事 だったからであり


それは 信念を持った人にしか見えない事だという
細田守のいささかひねくれた心情が絡みつつ

それを「理」で諭すのでは無くて映像作家らしく映像で表現し
映画の理解に繋がらなくても感動に結び付けた

細田守の演出力が魅せた映像詩としての作品で

この映画への感動とは
我々の心の奥に必ずある「信念」の琴線に
「良心」が触れた現れなのだと

思うのでした☆




▲目次へ▲
​​​​​『PART2 補完編』
「もっとディープに解説」
-前のり編-
(文字数制限で掲載から溢れた分をコチラに特別掲載w)

■a. 恵の父親が窓を眺めていた訳■

さてw
ここからは『PART2 補完編』「もっとディープに解説」と謳い

本作への主な批判を紹介し
それはどの点を批判しているのか検証し疑問に回答し
場合によっては論破したりw

本作で疑問に思った様々な事柄をさらに深く掘り下げて
解説して行きたいと思います


まずは、映画が進んで1時間43分辺り
恵が再びPCをオンラインにした時すずがしのぶくんに抱きついた後の

窓の外を観ていた恵の父親が
スマホの動画に自分のDV場面が流れている事に気付いて
「何だこれは」と驚く場面で

この時恵の父親が窓の外を眺めている間一体何をやっていたのか
という疑問に付いて解説します


この場面は 流れとしては

アンベイルしたベルがすずの姿で唄い、全世界が感動した事で
その様なベルを粛清しようとしたジャスティン達への民意が消え去り

全てのスポンサーが撤退して事実上ジャスティン達がクビを宣告された
その後に当るので

窓の外を眺めている恵の父親の姿が
「U」でクビを言い渡されたジャスティンと
状況的に重なる事から

恵の父親が「ジャスティンでは?」と疑う場面という事になります


恵の父親のジャスティン疑惑に付いては
次の頁で詳しく解説しておりますので 後ほどご参照頂くとして・・・

この場面の恵の父親の態度で考えられる事は3つあります


一つは「普通に『U』での出来事を鑑賞して感銘を受けていた」

これがタイミングとしては一番しっくりしますし
恐らくこれが理由だと思いますが

それでは余りに「普通」でw・・・何か他のものを感じる様な
引っかかるものがある様な印象を受けるものがあります


2つ目は「ジャスティンの組織が解散し潰れた会社を畳む様な気持ちでいた」

ベルにしてやられた後ログアウトしたジャスティンの様に見えるのが
その様に見せるのですが

もしそうであるのならば、それにしては悔しがっている様子もなく
深い表情で静かに佇んでいるのが印象に残りますので

子供にDVをする様な異常行為をする様な人物ですが
世の中の巨大な力に抗えない摂理の様なものを噛みしめる様な

弱くて無力な自分を分かっていて
力が無ければ潰される世界の中で生きて

挑んで潰されその度に又這い上がりそして潰されての繰り返しの人生に
夕日に重ねながら回顧する様な眼で眺める姿に映る所が

この人物の心の奥の素顔に触れた様な印象を受けるものがあります


3つ目は「ジャスティンへの出資を停止した出資者」という理由です

この場合はこの人物は相当な資産家で
投資ビジネスで資産を増やしてきたという経緯が感じられるものがあり

沈む船から撤退する様な
これまでも世の中の浮き沈みを目の当たりにして来た
そんな人物が見せる横顔という事なのかもしれません


という事ですが、
これはこの中のどれが当てはまるのかという事では無く

この人物の裏の顔は何なのか?という
ジャスティンなのかどうかの疑惑を残す為の布石としての

演出なのではという印象があります


つまりこの人物がジャスティンかどうかの「真意」を問う為では無くて
「疑惑」を残す事自体を目的にこの場面を作ったと言う事です


それがなぜ分かるのかというのは

この人物が「ジャスティン」であるか否かは問題ではなく
ジャスティンと「同類」である事を印象付ける

演出上の「サイン」としての布石を映画が必要としていて
丁度この場面がその役割を果たしているから

が理由になります

なぜその様な布石が必要なのかという詳しい理由は
次の頁に詳しく解説しておりますので ご参照ください☆



▲目次へ▲
​​​​​『PART2 補完編』
「もっとディープに解説」
-前のり編-

■b. 恵の父親もDV被害者?■

これは幼少から親から虐待を受けて育った子供が

親子関係の「中心事項」となる対人関係が
「暴力」でしか繋がれていない様な異常な状況の時

虐待を受ける中で作られた親との関係性が
「人との繋がり方」の全てとなって

自分が受けてきた事と同じ事を
相手に行ってしまう といった

DV被害者が成長し成人して結婚して子供をもうけたときに
親から受けた虐待を今度は自分の子供にしてしまうという

『虐待の連鎖』と呼ばれる虐待の関係性が連鎖する事が
約3割の確率で起こる事があるとされています

この『虐待の連鎖』に付いては
次の頁の

■6. 竜はなぜ「U」全体から迫害を受けるのか■
e. 竜への迫害は竜自身が原因


■8. 恵はすずに振られたのか?■
g. DVの連鎖を断つという意味


の所で詳しく解説していますのでご参照頂くとして・・・

この『虐待の連鎖』という言葉は非情にデリケートな言葉で
ともすれば「偏見の温床」となるものでもあり

DV被害を受けた人達が せっかくDV被害から逃れても
今度は社会から 第二のDVと呼ばれる「社会的スティグマ」

つまりは一般人がにわか知識で得た誤った認識によって貼られた
偏見のレッテルによって

DV被害者が「危険人物」かの様に見られてしまい
不当な差別を受ける被害の事で

これは社会問題になっている事でもありますので
注意が必要です


つまり『虐待の連鎖』というより
『虐待の関係性が連鎖する』事によって

DV被害者が新たにDV加害者になるとされている訳です


恵の父親は 見るからに傲慢で尊大な
体つきもガッチリとした体格の大男で

東京の高台の一等地に家を構える様な金持ちで
恐らく高学歴の頭が良さそうな人物でありながら

自分の息子に「価値がない」という言葉を吐き暴力を加える
「異常者」としか言い様の無い人物です


しかしこの様な人物がなぜDV加害者になったのかという経緯は
母親が居ない環境で仕事も子育ても兼ねなければならないストレスから

人格が変わったとも考えられますが

先程の『虐待の関係性の連鎖』によってDV加害者になったという
かつては親からDV被害を受けていたという経緯が感じられます


例えば、雨の坂の場面ですずと対峙したこの人物は
すずには大声で威嚇するばかりで殴りつける訳でもなく

虚勢を張った末に腰を抜かして逃げ出す所などは
「腰抜け」と一括するよりは
別の何かを感じるものがありました

つまりこの人物の中身は外見の尊大さとは異なり
ひどく怯えた子供の様な内面を持っている印象があり


すずの信念を持って見据えて立ちふさがる態度の中に
かつて子供時代に父親に暴力行為を受ける直前
自分を見下ろして見据える父親の態度が重なって

そのトラウマが蘇って
子供の時の様に逃げ出したという事かもしれません




この、すずを見て突然腰を抜かして
怯えて逃げていくという
一見 意味が分からないこの人物のおかしな行動の中には

幼少時代から親からのDVを受け
それがトラウマとして今も残っているという
恵の父親がかつて親からのDVを受けていた経緯を
感じさせるものがあると言えます

ただこの理由だけでは ここまでの大袈裟な態度に現れる事に
少し無理がある様な印象があるので

実は他にも
この場面に付いて考えられる別の解釈がありますので
それはこの後解説して行くとして・・・

つまりはそれらの様々な理由複合的に重なって
この人物をあれほどまでに動揺させたという

事なのかもしれません



又、この人物の家から感じられる裕福さと空虚さ

かつてその様な裕福で高学歴な家族の中の家庭で育ち

政治家 なのか 医者なのか 起業家 なのか 分かりませんが
その様な 高学歴でなければ、頭が良くなければ、
地位や名誉が無ければ、財産がなければ

人として何の価値もないと言う極端に偏った価値観を持った親による
この人物の厳格な家庭環境を彷彿とさせるものがあり

その様な威圧された環境での英才教育を
力付くで強要をさせる様な親には

おおよそ「人の愛情」の欠片も感じさせない
人としての大事なパーツが欠落した
「空虚」なものしか感じられない事から

その家庭環境がそのまま受け継がれていると
捉える事ができます


又、この人物の「親」の人物像も
自分の子供が思い通りにならないと 力付くでも分からせ様としてきた
DV親 だった事が想像できます

そう考えますと恵に対して「何の価値もない」と言い放った言葉とは

この人物が子供時代に親から言われた言葉
無意識にそのまま自分の子供に言っているという印象があります


更に考えますと、
得意の妄想も交えて想像しますと

この人物は
その様な『DVの関係性の連鎖』から逃れたくて 親とは縁を切り

親とは違う仕事に着き、そうして財産も得て、優しい妻や子供にも恵まれて
自分の力で本当の幸せを掴もうとしたという

この人物の過去の「DVの連鎖」を断ち切る戦いがあった事を

家での傲慢な態度と坂道の場面の弱々しい態度とのギャップから
その様に彷彿とさせるものがあります


すずが恵達兄弟に立ちふさがった時
この人物はどうしてもすずを殴る事が出来ませんでした

又 「子は親の鏡」と言いますが
弟を守ろうとして父親の暴力に耐える恵の姿は
恵の父親が恵位の年の頃の少年時代を

彷彿とさせるものがあるとすれば

つまりは恵の父親は本当はこの様な乱暴な人物ではなく
本来は優しい男である事を物語るものがあります

又 この人物の妻も結婚した経緯が
その様な内面を知っていた最大の理解者だったという
事実があったのかもしれません

そんな折に愛する妻を失った事はこの人物にとって
人が変わってしまう程の耐え難い悲しみだった事が想像出来ます


それによってかつてDVの関係性で認識された
「自分は価値がない、だから世の中は自分に残酷である、
だから結婚しても幸せは続かず
妻を失い不幸になるのは当然であり
自分の運命である」

という「ワーキングモデル」が
再び心の中で蝕み始め


初めは、小さな事で腹を立てるようになった事が
やがて 自分の思い通りにならない事の全てが我慢できなくなり

まだ成長途中の自我が芽生えていない子供の混沌とした行動も
許せなくなり

力付くでも思い通りにさせようとして
暴力を振るうようになって行った

という経緯を感じさせるものがあります


又、更に考えますと この人物の父親も同じ様に厳格な家庭で育ち
戦前戦後昭和の時世の厳格な親による
暴力まがいの狂ったスパルタ英才教育を受けて来た経緯が
感じられます

恵の父親を「異常者」として括るのは
これまでの子供に行ってきた尋常ではない
「罪」がそうさせるものがあるので
致し方ない事ではあっても

その様な『虐待の連鎖』が家族で受け継がれてきた事が背景となって
被害が子供に受け継がれて来たという事であれば

この様な家庭が持つ独特の「閉鎖感」
その温床となる一つの大きな要因として
問題視すべき所だと言えます

「SDGs」の取り組みにより誰も取り残されない社会が叫ばれる昨今
社会人として生活する私達に出来る事があるとすれば

人との関わり合いの中で誰かが疎外されない社会を目指すことが
この様な家庭を減らして行く事に微力ながらも繋がるのではないかと

思う所でもあります☆


▲目次へ▲
■中洲の場面で「すず」の手を取ったのは?■

これはこの後の「補完編11] で書くべき事なのですが
「補完編」は文字数制限を越えてしまいましたので

「前のり」でコチラに掲載する事にしますw

映画が始まって9分辺り「中洲の場面」で
濁流になった川で中洲に取り残された子供をすずの母が救いに行った後
子供が救われても母の姿が無く

行かないでと泣きながら濁流の川へ向かうすずの手を
ばっと握る誰かの手が映るのですが

あれは状況的に 小さい頃の「しのぶくん」の手だと思います

しのぶくんは家族と来たのかすず達に付いて来たのか
あの時面識があったのかどうか

定かではありませんが

重要なのは 手を取ったのが「誰」では無く
「なぜ」手を取ったのか

にあると言えます

当然、濁流の中に入ろうとする「すず」を止める為ですが
これはこの場面に限らず「しのぶくん」が「すず」に対して取る

全般的な「行動」の意味に関わって来る
「布石」として重量な場面だと言うことになります


あの時「しのぶくん」も「すず」も幼く
中洲に取り残された子供を単身救いに行くすずの母に
手を貸す事も出来ず、ただ見守るしかありませんでした

それは「すず」にとってみれば
「母を失う自分」を救う事が出来ない事を差し

「しのぶくん」にとってみれば
「母を失うすず」を救うという事が出来ない事を
指す事になる訳です

つまり すずの母の死は「しのぶくん」にとっても
どうする事も出来なかった自分の無力さを痛感した

一生忘れられない「心の傷」を受けた出来事となったと言えます


「しのぶくん」がどんな小さな問題でも「すず」の身に起これば
真剣に「すず」の力になろうとするのも

そういう時の「しのぶくん」が ひどく張り詰めた様な
尋常ではない「何か」を感じるのも

あの時 眼の前で「母を失うすず」を救えなかった「無念」があって
あれから何年も経った今も自分自信を責め続け

「すず」だけは何があっても自分が守るんだと
未だに母の死を乗り越えられない「すず」を支えようと
「しのぶくん」を駆り立てている現れだと言えます

ラストシーンで「しのぶくん」が
「やっと開放された、もう守るんじゃなくて普通に付き合える気がする」
と「すず」に告げたのは

これまで「すず」が母の死を乗り越えられずにいて
中洲で母親を失って只々泣き崩れる無力な幼い少女だった頃と
何も変わらなかった事で

「しのぶくん」もそんな「すず」を
変わらず ずっと見守り続けてきた事で

2人の時間は「中洲の事件」移行
ずっと止まったままで居て

実は「しのぶくん」も「すず」同様
「中洲の事件」を乗り越える事が出来ていない一人だった事が

これで分かる訳です

そして
人前で唄えず、怯える様に引きこもっていた「すず」が
「竜」の件で積極的に利他的な行動を取る様になった事で

「しのぶくん」も「すず」も お互いの「止まった時間」から解き放たれて

誰かの為ではなく、誰の目を気にする事なく、他の誰でも無い自分の為に
ようやく高校生らしい新たな一歩を歩み始める事が出来る様になったと

いう事なのでしょう

映画が終わった後の「しのぶくん」と「すず」がどうなるのかは
想像に任せるとして・・・

学校女子の憧れだった「しのぶくん」に対して「すず」がどうなるのかは
これから大変になるとしても

これは「予想」というか
いつもの「妄想」が入った「想像」になりますが・・・

「しのぶくん」がクールでカッコいい女子達の憧れだったのは

すずの件でいつもどこか尋常ではない位張り詰めて
「すず」の事しか見えていなかった事が

逆に他の男子には無い「クールな魅力」に見せていたとして
それが全校女子の胸キュンに繋がっていたのだとしたら

今回2人ともそれを乗り越えて
穏やかな高校生らしい姿に戻った事で

「ベル」という仮面を付けていた「すず」同様
はからずも「クールな魅力」という仮面を付けていた
「しのぶくん」の「魔法」も解けて

相変わらずイケメンではあっても
ある意味「普通の男子」となった事で

全校女子もそんな「しのぶくん」に自然と魅力を感じられなくなって
憑き物が落ちる様に「しのぶくんブーム」も去り

誰も「すず」と「しのぶくん」の恋路の邪魔はしない
「ハッピーエンド」となるのかもしれません



という訳で 次の頁「もっとディープに解説」で
又お会いしましょうw



『PART2 補完編』
​​「もっとディープに解説」 に続く≫
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最終更新日  2023年10月29日 20時15分28秒
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Re:『竜とそばかすの姫』すずが竜を救おうとする理由とは(09/01)   人間辛抱 さん
どうもお久しぶりです。
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いかがお過ごしでしょうか。
今後も宜しくお願い申し上げます。 (2022年11月07日 19時16分37秒)

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