カテゴリ:労働問題
クロニクル 春闘で空前の交通スト
1974(昭和49)年4月11日 46年前のこの日、総評系を中心とした春闘共闘会議は、諸要求の実現を目指して、交通機関を中心としたストライキに突入しました。 国鉄(現在は分割民営化されてJR各社になっています)は史上始めて、全路線で全面運休となり、他に大都市圏の私鉄も加わって、スト参加者は全国で600万人に達する、大規模なものとなりました。 当然、各地の学校は休校または自宅学習の措置をとり、企業もまた社員が出社できず、開店休業の状態におかれる会社が続出しました。 このストは、48時間に渡ってぶち抜かれ、3日目に入った13日の早暁、経営側の一定の譲歩を得て、収拾されました。労働運動が大きくかつ輝いていた時代のことでした。春闘では、JRや私鉄といった交通機関のストがつきものの時代で、気楽な身分の学生や生徒は、ストになれば学校が休みになると、責任のない立場にあることを良い事に、ストを期待し、国・私鉄の労働者に「頑張って!」とエールを送っていた、あくせくしない時代でもありました。最近は労働者も、学生も元気がないですねぇ。 アメリカでは、若い世代の支持を背景に、民主社会主義者を自称する民主党のサンダース候補が、かなりの支持を集めているというのに、日本では実にミスの多い安倍内閣がいまだ安泰とは… 「ストは何処に行った」なんて歌が、そのうちはやるのでしょうか? 少なくともコロナウィルスによる 席の見えない登校禁止のお休みよりも、ストによるお休みの方が良いですよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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そうでした!
思い出しましたよ。 これより少し後だと思いますが、高校生の時、鉄道もバスも止まって学校に行けず、友達と面白半分に自転車で峠越えして登校したことがあります! それを思えば、今は大人しいというか無関心というか。。 (2020.04.11 18:32:30)
私も高校生の時にストでJRが使えず、
バスで2時間ぐらいかけて学校に行ったら、 「無理してこなくてもいいのに。」と先生に笑われたことがあります。 でも、それが最後だったような気がします。 (2020.04.11 23:34:26)
そうそう、そんな時代もありましたね。
私には腹立たしい思い出ばかり。 JRのストでいつも大変な思いをしたし、市の職員のストで保育園が閉鎖になってしまって仕事に行けなくなったり。 コロナなら許せるけれど、当時の労働組合の思い上がりぶりはいまだに許せない!! 市の組合幹部と電話で話したことが有るけれど、スト権は認められている権利だというのです。 では私たちの働く権利はどうなるんだ。 権利を主張し合えば、権利と権利がぶつかり合うだけだというと、自分たちのおかげで労働者の権利は守られていると開き直る。 そのころのことです。 市長室に子供を置いて出社したという、つわものまで現れました。 私は園長に直接交渉して、園長室に子供を預けて出社しましたよ。 今のように子育てをしながら働くことが、社会的に認知されていない時代でしたからね、休むなんて絶対にできない時代でしたから。 その後もいろいろありましたが、労働組合が労働者を守ってくれるだなんて未だに思っていません。 (2020.04.12 05:32:46)
私が高校で、電車を使っていた頃は、ストは少なかったと思うし・・・
私が使っていた私鉄は、入社の時の規定で、ストはしないと契約を結ばされるそうで、ストはしない電車だったから、印象は、ないのですよ~。 でも、小中学校の頃は、バスのストで、本当、苦労しました。 遠いからバスに乗っているのに・・・歩いて登校して、妙な気持ちでした。 (2020.04.12 09:36:55)
覚えています
東京で学生していました もちろん学校は休校 後で線路際のアパートに住んでいたクラスメートが 「電車の音が全く聞こえなくて落ち着かなかった」と言ってました (2020.04.12 14:50:58)
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