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Serene state of mind

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2024年08月25日
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カテゴリ:ライブレポ
6.5KB超えにつき色文字少なめ、レポ本文中敬称略
【2024年8月10日 atZeppなんば】

Neighbors Complain入場→佐藤竹善入場
1.Back In Love
"オオサカ~!" →2.Visions
ギターとピアノのソロの掛け合い…→3.純水

"皆様、ようこそいらっしゃいました"
SING LIKE TALKINGの合間にちょこちょこやってきたソロだが、30周年をやれるのは嬉しい
"今日のライブは長いです"
しかも、僕もみんなもそんなに若くない―が、休憩はない "大丈夫でしょうか"
NBCPの紹介 "関西が誇るNBCP"
今回は大阪の関目にリハーサルに来た話。彼らがそこにスタジオを持っていて…
東にラグヘッド・ウォンク、西のNBCP
バンドでコーラスがカンペキにできるのはスタレビとNBCP位
愛知でスタレビに呼ばれてイベントに出た話
"今日は配信があります" 北は稚内から、南は石垣島まで観ている人がいるらしい
"東京でだっけ"途中で5曲も飛ばしそうになった
"年波に寄らず一生懸命頑張りますので"

4.Wind of Change
5.Let Me In
…「Fact of Life」に入っている。当時、ロサンゼルスのキャット・グレイのアパートに住み込んでレコーディング
当時、いかがわしいコーラスができるのはSkoop On Somebody(現在)のTAKEしかおらず、彼がそのために2泊4日で来てくれた話

"ボビー・コールドウェルがいなければ自分の音楽は違うものになっていたであろう"
イーグルスやビリー・ジョエルも素晴らしいが、作りたい音楽とは違う気がしていた時、ラジオで「All My Love」を聞いて衝撃を受け、
その後、彼のルーツを通してソウル、ゴスペル、ブルースを知っていって…
その後、竹善のラジオ番組にボビーが来ることになり、これはタイヘンだと思った
その日、SLTのデビュー曲「Dancin' With Your Lies」がラジオで流れていて、ラジオ局にいたボビーが走ってきて"これは誰の曲だ?"
竹善、ド片仮名英語で"マイ・バンド"
その後、レコーディングでLAに行くことになり、ボビーがウチに来いと言ってくれ、SLTの3人で訪ねていって「Dancin' With Your Lies」のセッションをやった話
その後、ソロアルバムの楽曲の作詞を依頼

6.Devil In Disguise
7.Blue
8.夢みたものは
(6)可愛げなメロディーだが歌詞がエグい…洋楽にはそういうのが多い
実は「夢みたものは」は猿岩石に書いた曲
藤井直之・フミヤ兄弟の「あの雲の…白い雲のように」が大ヒット。フミヤは現在62歳
その次の曲もそこそこ売れ、3曲目に来ると思ったらレコーディングしないことになった…しかし、曲は気に入っていたので自分の曲としてレコーディング
元々他の歌手に提供するために書かれたものの世に出ず、自分でレコーディング、という楽曲は結構あり
実は山下達郎の「クリスマス・イブ」は竹内まりやのために書いたが、ディレクターがあっさり"これ、まりやには合わないね"と却下し、
"(達郎のモノマネ)しょうがない、自分でやろう"…で、大ヒット
"「夢みたものは」はアルバムに静かに収まっています"
→Face2Fakeに"Skoop On Somebodyの「Sha La La」みたいな・でも全くメロディーがかぶらない楽曲"をお願いした時、4回位飲みに連れていかれて…
"ボクの人となりを知りたかったのかも"
昔、ラジオの生放送で湘南に行ったとき、「潮騒通り」という場所があり、そこから見た風景を歌にしたいと思った
+ その近くに在住の友人から、娘が幼かったのが中学生~高校生と成長して大人になっていくのを眺めていてその想いを聞かされ、その辺も織り込んだ
"「Sha La La」じゃないよ"
9.潮騒通り
10.今日も君に恋をした

"急にお腹減ってきたぞ"
色んなソロ活動をやってきたが…ジェネシスとソロを行ったり来たりしているフィル・コリンズのようなスタイルに、デビュー当初から憧れていた
ソロとバンドンの活動が相互にプラスにしていく…という
カバーから始まり、ジャズミュージシャンやオーケストラとも共演
玉置浩二とのオーケストラのライブにゲストで呼ばれ、それを見ていたユニバーサルミュージックジャパンのスタッフがえらく感動したのが発端で、新日本フィルハーモニーとの共演でのレコーディングが実現
→今、世界中で色々な問題があり、これは自分なりの思いを歌にしたいと思っていて、(「Cornerstones 6」の)4人のアレンジャーの1人に依頼
実はSLTにも「Human」というタイトルの曲があるが、作詞者のShantiの思いを無駄にしないよう、黙っている
11.Human
"新日本フィルはこのホールに入りきれない"が、葛飾に彼らの拠点のスタジオがあり、"回線でつないでお送りしました"

最近、マクドナルドのCMで"ボクのCMが流れている"
マクドナルドで販売のコーラはずっとコカ・コーラで、当時のコカ・コーラのCMを舞台を現在に置き換えて再現…パクリではない、こういうオマージュもあるんだなぁ、と思った話 
"当時23歳の自分の声を61歳になってテレビで聞くとは"
当時、プロへの足掛かりとなったコンテストに出た時の映像を見たディレクターから連絡があり、レコード会社からオーディションを受けるように言われ、
"これ覚えて"と楽曲を聞かされてオーディション会場に行って、その日のうちに決定し、
2週間後にニューヨークでレコーディングだからパスポートとビザを取得するように言われた話
当時、アメリカに行くにはビザが必要で、2週間のビザしか下りなかった
―で、行ったらすごいミュージシャン達が…スティーヴ・ガットやウィル・リーなど当時世界の一流の人々がいて…
結局「とりあえず録った」ファーストテイクが採用された。しかも初めてのレコーディング
本番となると上手く歌おうなどと邪念が入るのか、ファーストテイクを超える歌が録れなかった。
その当時のカラオケが長らく行方不明だったが、出版社から「アナログテープが見つかった」と連絡
しかし、昔のぶっといアナログテープで、しかも経年劣化でくっついてしまっており、
それを特殊な薬品で煮て剥がして、音を取り込んでデジタル化、という作業を経なければならず…
百万円位かかるのかと思ったが費用は数万円程度だというので、ならば復活させようということになり、
「一か八か」―だったが見事成功、当時の音源が蘇った
"現在ビッグマックのCM、当時I Feel Coke"
12.I Feel Coke '87
"どうですか、61歳のI Feek Coke"
61歳になって乃木坂46と共演するとは…
1989年のCMでは作曲も竹善

"新日本フィルをたった1曲のために待機させるのもなんなので"
オーケストラは裕福な人のための楽器・音楽、かたやアフリカ西部のセネガルなどには裸足で生活し、まだ教育をまともに受けられない子どももいる…その格差に対するメッセージにもなるという考え
それをセネガルの、国家が認めるプレイヤーのパーカッションで具現化
"よろしいでしょうか"
13.Africa

NBCP戻る
"せっかくNBCPとやるんだから、彼らのグルーヴを活かさない手はない"
ここからはグルーヴィーに
SLTが3枚目のアルバムを制作中に、藤田千章が"ファンクをやる"と主張、
プロデューサーのロッド・アントゥーンなどの手配によって出来たのが"トラックとオケだけ。「これにメロディーをつけて」と言われた"
当時、レコード会社からはカラオケで歌いやすい曲を要求されていたが…"いやいや、そんなことしたらファンクじゃなくなる"
結果、この曲のスタイルに。NBCPは当時1歳
14.Show Time
→15.Happy
→NBCPだけで… 16.(?)
竹善戻る 17.No One There
18.Something Sad
Gottiの紹介 "なんか…乗り移ったね。いかがわしいギター、いつ習得したの?""最近です"

東京では西村智彦がゲストで、名古屋では「SAHAJi」(自らイギリスに売り込みに行って、全英チャートで8位になって話題になった兄弟ユニット。国外・アジアチャートなどではなく全英チャート)
今日の配信はSHOGUNの芳野藤丸が見ているらしい
―で、今日のゲストを誰に? と考えて声をかけたら"いいよ"
西村智彦登場 "オレより歓声が多いとは"
"おかげさまでこの猛暑の中…何とか生きてます"
最近インバウンドであちこち大賑わい。駅で弁当を買おうとしたが大混雑で、新幹線に乗り遅れてはいけないと思って諦めた話
→"じゃあいっちゃいましょう…(19)「Rise」!"
2番はOTOがリード、OTOKASHGOTTITAKAソロ回し
"トモ・ゴッチ!"
20.Change The World
"西村智彦さん!""佐藤竹善~!!"
→"あいつと58年一緒になるハメになるとは"
ちなみに千章は大学教授になって、学生対応やらテストやらでタイヘンとか

"皆さん長い時間でしたが楽しんでいただけましたか"
竹善としては、ライブの最適な体感時間は3時間だが"スタレビの百曲ライブよりはマシ"
今は亡き土岐英史主導でレコーディングした曲を、若きNBCPと時を超えた共演のイメージで…
21.Desperado


<アンコール>
"長かったですね~"トイレに行く人がたくさんいるのをモニターで見て、悪いコトしたな~…と
"どうですOTO""感慨深いです"(Gigツアーも含めて)5月から始まって、東名阪も今日で終わってしまうのか…と
NBCPはこの後ツアーがある話
"喋っちゃったんだ、喋りなしで始めると申し合わせていたのに"
→"もうちょっと楽しんでください"
22.Whatcha' Gonna Do For Me

"ホントに最後の曲になってしまいました…石垣の人寝てるよ"
「今日は宣伝しないの?」と客席から声が上がり、"グッズ・Tシャツ・アクスタ・CDの発売・ライブのお知らせなど…詳しくはホームページでSING LIKE TALKINGで検索!"
→"これからも自由な活動を続けていくつもりです"
昨年のSLTの35周年ライブの映像もスコットランドから上がってきた話
+ 小田和正は現在77歳、"自分も77歳までやっていたらまたI Feel Coke聞けるかも"
→"僕の歌詞は95%伊集院静さんの影響"
オリジナルのソロデビュー。十五夜は中国由来だが、満ち足りる途上の美しさを愛でるのは日本ならでは
伊集院のエッセイのタイトルを冠したという…
23.十三夜の月
"Oto!Gotti!Kash!Taka!チク!!"
"佐藤竹善&Neighbors Complainでした!!"

【Hamburger】2024.jpg


既に申し上げたとおり、SING LIKE TALKINGの正式なファン歴は1996年1月からです。
ということは、1994年の竹善さんのソロ活動開始時の「Cornerstones」リリースの時はまだSLTと出会っておらず、
1999~2000年の「Fact of Life」リリース時からリアルタイムです。
といっても、当時「Alive & Kickin'」のツアーには行っておらず、
(おそらくネットが既にあるにはあっても使いこなせておらず、情報が入ってこなかったからではないかと)
その後の打ち上げ的なライブ「Nothing But The Funk feat. Eddie M.
―で、初めて竹善さんとご対面となったのでした。
月日は流れ、プライベートでひと転機発生に竹善さんのブログ見たさが後押しする形で当ブログを立ち上げたのが、竹善さんのブログ開設から半年程経った頃。
そして「Indigoなウタヂカラ」は当ブログにもしっかり載っています。
その頃知り得なかった竹善さんのソロの楽曲の背景を今日初めて知ることができたのも良かったです。
しかし、たとえば「潮騒通り」はその場所の風景だけでなく他にもストーリーがあることなど
…もしその当時知ったとしても、そこまで心が動かなかった時期だったかもしれません。
…それを思うと「また竹善さんのオリジナルソロアルバムを作ってもいいのでは」と期待するのは ―私だけではないと思います。
さらに欲を言うと、スケジュール的に可能なら、昨年のライブで勝手に「SLTの後継者」と本気で思ったNeighbors Complainとガチでのレコーディングで。
あと、実現していないことで早くやってほしいのが、「北郷想」改め「故郷想」の残り。少なくとも近畿では大阪がまだですから…
―と、こんな所に載せても竹善さんはエゴサーチで検索に引っかからない限り読んでくれまい、ですって? 承知の助

―ビッグマックセットのCMですか? なにぶん、うちにテレビないんで~…
これがデビュー前の竹善さんによる歌だったことは、確か1998年位まで知らなかったと思います。
ちなみにお盆休み中、私が休みで夫が出勤だった日に午前中に映画を観に行き、
 昼食に久々にハンバーガー店に入りました。
  といってもその映画館近辺にマクドナルドがなく、行き当たった別のチェーン店でしたが、
「他に行ける店がない」というような消極的な理由ではない選択でハンバーガー店に行ったのは…やっぱりCM効果かいな。
(ただしドリンクはコカ・コーラではなくオレンジジュース)





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最終更新日  2024年08月25日 18時55分00秒
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