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カテゴリ:詩とやまと歌と
鈴木真砂女は、明治三十九年の今日、千葉県鴨川市の旅館吉田屋(現鴨川グラン
ドホテル)に生まれました。結婚して長女も生まれましたが、夫が突然失踪して、実家に戻りました。 実家では長姉が急逝し、4人の遺児を真砂女が育てることになりました。周囲に 勧められ義兄と再婚しましたが、真砂女には密かに思う人がいました。 俳句は亡き姉の影響で始め、久保田万太郎に師事しました。 脳溢血で倒れた夫(義兄)の世話をしつつ吉田屋の女将として働き作句に励みました。しかし、海軍士官Mさんへの思いは断ちがたく、旅館と夫を後に故郷を出て、 銀座で小料理屋を開きました。 真砂女の句は、全霊をこめて詠むような激しさがあります。同時に、感情に飲み 込まれず、秘めた過去の罪を客観的に見つめる句もたくさんあります。 被…ヒ、こうむ(る)、かぶ(る) 草を焼く心ほとほと疲れけり 「疲れ」「さみしい」に、共に暮らせぬ恋しい人への思いや、負い続けなければ ならない罪の自覚が感じられます。「焼く」という行為も象徴的です。 一連の句には物語性が感じられ、どんな出来事があったのか、知りたいと思わせ ます。 捨てきれぬものにふるさと曼珠沙華 振り切るように出てきた故郷ですが、海と曼珠沙華に重なるイメージで、真砂女 の句によく出てきます。捨てきれないところにさみしさがあります。 敬老日ビーフステーキミディアムに 「敬老の日」に「ビーフステーキ」何というユーモラスな句でしょう。真砂女は、 いつもいつも過去の中に沈んではいません。晩年までつややかに生きました。 初夢は顔を洗って忘れけり80代も後半と思えない若さに脱帽です。 引用および参照元:『鈴木真砂女全句集』角川書店 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 24, 2019 12:00:20 AM
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