オリンピックは風俗に似ている、とかなんとか言っちゃって~その2
つまり、オリンピックそのものにそもそも‘ナショナリズム’を助長する本質的側面があって、IOCとしても、大会の盛り上がりのためや、あるいは商業的部分で、その‘ナショナリズム’的興奮を煽ったり、利用したりしているはずなんですよね。バファリンの半分が優しさで出来ているのと同じように、オリンピックの半分は‘ナショナリズム’で出来ているといっても良いでしょう。良くないかもしれませんが。ともかく、にもかかわらず、「〈線引き〉の向こう側、政治的な方向への脱線はタブーですよ!」ってスタンスを取るというのは、性的興奮をさんざん刺激しておきながら「寸止めまでで、〈本番〉はNG!」っていう、ある種の風俗サービスに、どこか似ているな、と感じるわけです。そして、試合に負けたことであったり、パク・ジョンウ選手の政治性を濃厚に帯びた行為であったりを受けて「そもそも、あそこの国の体質が…」とか、「兵役免除がどうのこうの…どうたらこうやら……」とか、そういうサッカー以外の部分にまで意見することは、やはり〈線引き〉の向こう側に対する言及であり、オリンピックが持つ「‘ナショナリズム’的高揚を助長する」という魔力にほだされてしまっているわけであって、「『ウチの店は〈寸止め〉までですよ!』ってのに、〈本番〉を求めてしまっている」という意味では、同じ穴の狢なのかな、と。レッツクリック!にほんブログ村