ネット情報の活用法 その1172
前回は、アホバカがなぜアホバカなのか、を「馬鹿の壁」から解説したが、とどのつまり、宇宙を知るには物質だけをみていては駄目で、また解剖などのもはや霊魂の抜け殻となった死体の物質構造だけをみていても、致命的な病気の治療も自然治癒頼みでせいぜい外科的処置の病気の先送りしかできないことがわかる。 宇宙を完全に知るには思考力を4%どころか、残りの96%まで拡げないといけないからである。 しかし、現状の地球人を見る限り、4%どころか、そこにも到達できないせいぜい1%にも満たない思考力しか持ち合わせていない人ばかりなので、先見力がほとんど皆無で、自分の見ている視野が単に狭いだけなのに、それを相手に強要して闘争を繰り広げている愚かさに終始しているわけなんである。 俺が正しい、というエゴ宗教を皆がやっている愚かさ満開なんである。 アホバカな奴ほど思考力が皆無で視野が狭いので、場当たり的で、何度も同じ間違いを繰り返す、ということが、その思考力の無さからも証明される。 そこで、少しでも思考力をつけ、視野を拡大するために、あえて、量子力学と脳理論を融合した量子脳力学を提唱したい。 量子力学とは、観測するまでは、例えば、電子なら、電子が取りうるあらゆる状態の重ね合わせの確率からなる波動関数を想定する。つまり、この確率波が、人間の脳の場合の思考力(本当は思考力は脳にあるのではなく、脳は霊魂の思考力を媒介しているにすぎない)に相当する。 量子力学の場合、観測してはじめて、電子なら、電子の位置か、もしくは運動量が決まる。しかし、位置と運動量を同時に正確に決めることはできない。粒子とは名ばかりで、実は波動で、本当は渦なので、粒子というと、小さくとも広がりを想定せざるを得ないから、プランク長の粒子だが、広がりをもたないと考えるとよい。 つまり波動関数というエネルギーの確率波は、物質界に適合するために、プランク長の粒子として振る舞うというわけなんである。 この量子力学の観測論を、脳理論にも適用すれば、現実化が想定される、あらゆる状態の重ね合わせの確率波が、脳の思考力というわけである。つまり、脳の思考力を超えて、人間は何も行えず、ただその思考力のうちの最も現実化の条件に適合するものを選択するのが知性で、その知性を、物質界の自然の翻訳者にして、外界を認識する視覚が得られる、というわけなんである。 視覚は、思考力のなかで、肉眼から得られる情報から、最も現実化の可能性が高いものが取捨選択されて構築される、というわけなんである。つまり数学的にいえば、スカラーというより、知性が内貼りされたベクトルという感じである。 だから、脳の構造に知性をもたない人ほど、外界の視野は狭くなっていくので、現実化できない幻覚をみるようになる。 思考力を失うほど視野が狭くなり、アホバカになるというわけで、アホバカ総理のような不正やインチキやパクリを平然と行う人類からの脱落者が生まれるわけである。妄想や出鱈目ばかりを叫んでいるのも頷ける。 アホバカ総理のようにインチキやパクリの不正を平然と行うというのは、そのようなことを見抜く能力、つまり思考力に欠けているので、神々が計画した神になるための人類の進化計画から逸脱する、ということを意味する。 端的にいえば悪魔の仲間入りというわけなんである。ハイ 地獄行きの悪魔一丁出来上がり!というわけなんである。 ネットで調べてみてもわかるが、実は量子脳理論というのは、以下のウイキでみてもわかるように実は既に存在する仮説なんである。しかし、その欠点は、どれも唯物論を前提にしているので、ぜいぜい宇宙の4%の物質界しか想定できていないところにある。 ★ ★ ★ 量子脳理論 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E8%84%B3%E7%90%86%E8%AB%96 量子脳理論(りょうしのうりろん)は、脳のマクロスケールでの振舞い、または意識の問題に、系の持つ量子力学的な性質が深く関わっているとする考え方の総称。心または意識に関する量子力学的アプローチ(Quantum approach to mind/consciousness)、クオンタム・マインド(Quantum mind)、量子意識(Quantum consciousness)などとも言われる。具体的な理論にはいくつかの流派が存在する。 概要 脳の振る舞いに系の持つ量子力学な性質が本質的な形で関わっている、というのが量子脳理論と言われるものの一般的な特徴であるが、近年では意識の問題と絡めて議論されることが多い。 量子脳理論と呼ばれるものの全体を物理学的な言葉で特徴づけることは難しいが、一般的な特徴としては量子力学的な効果が効いてくる範囲として、普通の物理学者が考えるよりはるかに大きい時間的・空間的スケールを考えている点が挙げられる。 ヒトの脳はおおよそ20cmほどの大きさを持っておりその内的構造は非常に複雑である。 そして脳はおよそ常温(一般に体温である37℃、つまり310K程度)で動作している。こうした系においてマクロスケールで量子力学的な性質が効いてくると考えることは中々難しいが(量子的効果をマクロスケールで発現させるためには普通、規則性のある構造や非常に単純な系を、かなりの低温、例えば絶対零度近くまで冷やさなければならない)、一般に量子脳理論と呼ばれる理論の提唱者においては、この点で強い考え方を持つ。 量子脳理論に共通するのは、意識の基本構成単位としての属性が、素粒子各々に付随するという考え方に基づいており、波動関数の収縮において、意識の基本的構成単位も同時に組み合わされ、生物が有する高度な意識を生じるとしている点である。 こうした理論が提出される背景には様々な動機があるが、そのひとつとは自由意志の問題である。 これは物理的世界が因果的に閉じている(物理領域の因果的閉包性)という主張をうまくかわしながら、現在の物理学と整合的な形で実体二元論的立場を取るための方策として、物理系に因果作用を与えられそうな地点として、波動関数の収縮過程の存在を利用できるためである。とはいえ必ずしも量子脳理論と呼ばれる理論のすべてが自由意志の問題を背景にもつわけではない。 たとえばペンローズの理論は決定論であり、哲学的な意味では自由意志の問題ではなくむしろ数学的なプラトニズムの立場と関わる。 様々な流れ ノイマン・スタップ アプローチ ジョン・フォン・ノイマンの流れを受け継ぎつつヘンリー・スタップによって提唱されているアプローチ。 エックルズ・ベック アプローチ ジョン・エックルズの流れを受け継ぎつつF. ベックによって提唱されているアプローチ。 治部・保江アプローチ 梅沢博臣の1978年,79年の論文に起源を持つアプローチ。量子脳力学(Quantum Brain Dynamics)と呼ばれ、現在治部眞里、保江邦夫などが研究を行っている。場の量子論を使って、神経細胞の間隙にある水を巨視的凝集体としてみて、記憶の素過程などを明らかにしようとするものである。目だった哲学的な含意や理論的飛躍は特になく、量子脳理論とよばれているものの中ではおそらく最も普通である。 量子脳力学の理論はサイアス 1999 年 12 月号に「■特集1 シリーズ「人間」 脳と心の物理学 場の量子論はどこまで人間の本性に迫れるか?」と題して紹介された。「数理科学 2000 Vol.38 No.10」では、「脳と心の量子論ー物理学が拓く脳科学の新たな地平」という特集が組まれている。 ペンローズ・ハメロフ アプローチ 理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフによって提唱されているアプローチ。二人によって提唱されている意識に関する理論は Orchestrated Objective Reduction Theory(統合された客観収縮理論)、または略して Orch-OR Theory(オーチ・オア・セオリー)と呼ばれる。 意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられているが生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している。 臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べている。 ★ ★ ★ どれも唯物論を想定しているので、量子力学の肝心の観測論が巧く表現できていないようにみえる。例えば、治部・保江アプローチは、量子場の理論を使って神経現象を表出しようとするものだろうが、量子場自体が、唯物論を土台とする真空の調和振動子を想定するので、神経現象の場合の真空の調和振動子は何に想定するのか? また摂動論との一致性など、ちょっと論文を読まないとわからない。 ペンローズ・ハメロフ アプローチも、唯物論を土台にし、霊魂を、唯物論上の意識に置き換えているにすぎない。それに、「素粒子より小さい物質」は、素粒子の定義と矛盾する。つまり霊魂を無視しているので、唯物論で、唯物論の矛盾に陥っているのである。 上述の量子脳理論はどれも唯物論の土台からなっているので、結局唯物論を超えることはできない。つまり4%を超えることは不可能なんである。 つまり人智学を加味しないと、ホンモノの量子脳理論は提唱不完全に終わるのである。 それにせっかくの量子力学の観測論という霊魂(意識)を想定しないとわからない唯物論の矛盾を解決できずに、その傷口を拡げるだけで、場当たり的なんである。つまり霊視力という、かつて人類がもっていた、今では失ったので、新しい知性となった思考力を考えないと人類は次の知性の段階に進むことなく、脱落、落第するだけなんである。