テーマ:ブランドシティ奈良(51)
カテゴリ:奈良
卸売市場時代の京終中街道について、 ちょっとした資料が手に入りました。 昭和の時代の「ゼンリン住宅地図」を引っ張り出してみました。南都水産のHPにもありますが、昭和52年から54年にかけて、郡山の筒井に「奈良県中央卸売市場」が設置されたことで、京終の卸売市場の業者はその店をそちらに移しました。ちょうど52年と54年の奈良市東部住宅地図がみつかり、京終地方西側町、東側町から桜井線踏切にかけての当時の店の名前などが推測できたのです。やはり、52年と54年とではわずか2年の間にいくらか変わっているのですが、じつはそのころの住宅地図って、家や店の名前や町名が「手書き!!」なんです。なので、建物の間口なんかも、今の地図とは微妙にズレているので、必ずしも「当時と今との屋号、世帯名が対照できる」とは限りません。まあ「大いに参考になる」というあたりでしょうか。 まずは、「奈良中央漬物」のあったところのビルです。やはり普通の住宅とはちょっと違いますね。現在の郡山の市場のHPには、業者としてその名前は見あたりません。左手の角の石は、昨日の「京終青果卸売市場」の敷地です。これが、四つ角の北東側で、南西側にあるのがこちらです。 昭和の住宅地図では「生菓子の浪速堂」ともう一軒のように描かれていますが、よくわかりません。ちなみに現在の市場のHPでは、浪速堂さんは健在のようです。整骨院がテナントに入っています。 その向かいの3階建ての並びのうちの一つがこちらですが、古い地図では「奈良鶏卵」の場所のようです。(社名が変わったのか、市場のHPには名前がありません)
「奈良鶏卵」のあった中街道東側の並びです。車の上に交差点の点滅信号機、その右の白いのが先ほどの「奈良中央漬物」の建物ですね。昭和地図によれば、道を渡って屋根と柱の見えているのが「大和青果市場倉庫」、こちらへ一軒挟んで、「加藤青果(株)」「奈良鶏卵」「(株)ヤマカン&吉田商店」「富森商店」そして、売家の看板が出ているのは「かねてつ奈良直売所」ということになります。 ちなみに「ヤマカン」さんは、現在の中央市場でも活躍中です。 さらに南へは「太田商店」「田和新商店」「笹本商店(現在と場所が違うようです)」、さらに「八尾倉商店」「東商店」「奈良塩乾物(株)」と続きます。 そして、その南、踏切手前の「近藤たばこ店」までの間、昭和54年版では、現在のような建て売りっぽい家並みが10軒近く描かれていますが、52年版では空白になっています。この「更地」というか建物のない敷地が、まさに「市場」だったところのようです。 反対の西側にも、商店の名前が並んでいます。大きいのが「北和海産」の敷地(裏には社員寮もある)、今もある「奈良種苗園」「奈良塗料」の他に、「八尾かまぼこ店」「食肉卸センター」「大和青果市場バナナ加工場」「総合食品卸スーパーサンコ」などの名前が見えます。そして今の「北和海産」跡地は、こうなっているんですね。「ケアハウス らくじ苑」 もともと、かなり大きな敷地だったようで、立派なビルが建っています。いずれにしても、道路の幅に対して、両方の建物(半分ほどは「しもた屋」ですが)がずいぶんと立派なのが、このあたりの特徴かも知れません。「おかたに病院」も近いので、これからは介護や整骨などの事業所が増える可能性も高いですね。 最後に、「イワイのパン」のことですが、かつての場所(中街道と藤井家=谷井友三郎氏生家との中程)に今も美しい町家の姿がありました。(市場の関連業者で名前が上がっています) 京終周辺、意外と奈良らしい建物があちこちに健在なんですね。「お口直し」の写真としてどうぞ。
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Last updated
2011.01.28 00:45:40
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