テーマ:ブランドシティ奈良(51)
カテゴリ:奈良
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ちょっとめずらしい角度からの南円堂さんです。南円堂に上がる階段の途中から三重塔の方へ進んで、右上を見上げたところですね。今は竹垣で囲われていますが、かつてはこの崖は子どもたちの遊び場で、木の蔓にぶら下がってターザンごっこをする姿が見られたものです。このように興福寺境内、特に南円堂さん周辺というのは子供にもお年寄りにも大変親しみ深いエリアでした。かつては、今の猿沢池・采女神社前から上がる階段の他に、三条通りから南円堂周辺に上がる通路が二つあって、誰もが気軽に三重塔やこの崖下にやってきていたのです。
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![]() まずは現在「興福寺会館」となっている旧NHK奈良放送局への三条通・札の辻側からの通路でもあったルートです。現在の高札場から手力雄神社の前を通り旧NHKの門前に通じています。 ![]()
![]() もう一つ、元林院町の絵屋橋から北へ三条通に突き当たり階段を上がって、三重塔に通じる通路。靴屋さんやみやげ物屋さんの間を抜けて興福寺の境内に通じていました。興福寺側から見ると、路地のつづきが階段になっているのがわかります。 この二つのルートは、いまは柵が閉鎖されていて、通り抜けることができません。いくらオープンな興福寺境内とはいえ、あまりにイケイケでは、文化財の保安上の問題があるということなのでしょう。東の方の大湯屋や心字池あたりは、もっと広く鉄の柵で囲ってしまっていますね。それは仕方のない話なのでしょうが、これはちょっとどうでしょうか。 ![]() 南円堂の向かって右側、「びんずる」さんと一言観音堂との間も、柵がされています。右手の灯籠の後ろに見えている「板戸」は、もとの「絵馬堂」ですが、近づくことが出来ません。鉄柵のフェンスはあくまでも仮設のようなものですが、ずいぶんと長いことこの状態です。で、この向う側(西金堂跡側)から見ると、なんとこんな感じで放置されています。何らかの工事が行われているわけでもないのに、いつまでこんな状態で置いておくのでしょう。かつて、この南円堂の周囲は小学校の授業の「写生」が盛んに行われていました。南円堂を見上げたり西金堂跡に腰を下ろしたりしながら、子どもが筆を動かしたりしていたものです。どうしても必要があって立ち入りを制限するのなら、こんな汚い柵を放置するのでなしに、もう少し「国宝寺院」らしい「みだしなみ」に気を遣ってほしいものです。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.06 23:19:42
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